2001/5/6

横田順彌『横田順彌のハチャハチャ青春記』(東京書籍)
 著者の世代は、純粋なSFファンから作家になった第1世代といえる。それ以前(小松左京、筒井康隆らの時代)は、誰もが読めるプロフェッショナルなSFなどは、まだ存在しなかったからだ。本書が描くのは、著者の高校時代から作家になるところまでで、SFに関係するのは、巻末のおよそ3分の1程度になる。“60年代”といえば、もはや40年前の話である。今の世代から見て、戦中や戦前の話と変わりあるまい。
 評者の世代は、著者の世代から10年遅れの時代を生きた。ちょうど一の日会全盛期が終わるころで、伊藤典夫さんや鏡明さんらとの交流が普通にできていたころだ(それでも20数年前になる)。当時の青春記は、たとえば水鏡子の著書や、やや時代は下るが牧眞司の著作に詳しい。とはいえ、単なる古本オタクだった少年たちよりも、SFファンから落語研究会、宇宙気流の元祖オタク人種たちとつながる、羽目を外した青春記の方が、より面白いことは間違いないだろう。
 一部書かれているが、ここ数年の著者は、長いスランプに陥って離婚まで経験している。そのような暗さがまったく感じられない点も、評価すべきかも知れない。60年代に共通する特徴として、誰もが共通して貧乏で、かつ将来が明るく(何とかなりそうに)思えた、という点が挙げられる。昨今のデフレ的未来像(今日より明日のほうが悪くなる)の対極にある。このムードは本書でも同様なのだ。

bullet水鏡子の自伝的評論『乱れ殺法SF控え』評者のレビュー
bullet牧眞司の『ブックハンターの冒険』評者の紹介記事およびレビュー
装丁:金子裕,イラスト:とり みき

2001/5/13 

カバーイラスト:加藤直之,カバーデザイン:ハヤカワデザイン オースン・スコット・カード『エンダーの子供たち(上下)』(早川書房)
 2月に出た本。エンダーシリーズ(『エンダーのゲーム』、『死者の代弁者』、『ゼノサイド』)の完結編に相当するお話である。
 人類の生存を左右する危険なウィルスに犯された世界を浄化するために、圧倒的な勢力で進攻する粛清艦隊。植民者、ルジタニア固有の知的生命と、窩巣女王は人工知能ジェインの助けで脱出を図ろうとする。しかし、ジェインの活動も封じられ、滅亡の時が迫る。世界を救うため、エンダーの分身たちが旅立つが…。
 評者にとって、エンダーもののメインは『エンダーのゲーム』と『死者の代弁者』に尽きる。そのあとの作品は、あまり高い評価をしてこなかった。
 そもそも『死者の代弁者』でのカードの主張は、絶対的な悪や憎悪の対象などはありえない、というものである。どのような極悪人も、他者に語るべき生き方を持っている。我々のように、マスコミを介してしか悪人の“真実”を知らされない者からすれば、代弁の意味は小さくない。こういった分かり易さが、読者の共感を生んだのである。ところが、これだけの主張では、エンダーの世界すべてを語りきることができない。本書でも、大江健三郎に刺激されたカード流の世界観により、人類の本質(本流の周辺に存在する文明であるが故に、激情に駆られやすく自制が必要)が描かれる。もっとも、これは代弁者よりも説得力に乏しい考えで、本書の焦点をより曖昧にした。前作から続く登場人物の議論の多さも気になる。

bullet『エンダーのゲーム』評者のレビュー
bullet『死者の代弁者』年間総括での簡単なコメント
bullet『ゼノサイド』読書日記での簡単なコメント
bullet『エンダーズ・シャドウ』評者のレビュー

2001/5/20

コリン・ウィルスン『スパイダー・ワールド(賢者の塔)』(講談社)
 コリン・ウィルスンの日本での評価は、結構微妙な位置にある。『アウトサイダー』(紀伊国屋書店、集英社)や『夢見る力』(河出書房新社)で、まず文学のアンダーグランド面からの新鮮な評論が注目され、その後「オカルト」や「猟奇殺人」等の社会的なアンダーグランド論まで幅広く活動が紹介されてきた。とはいえ、イギリス本国での評価はキワモノベストセラー作家と厳しく、わが国のようなインテリ層に対するカルト的な人気(翻訳しているミステリ作家小森健太朗も熱心なファン)はないようだ。
 コリン・ウィルスンのキワモノたる証拠は、意志の力が単なる精神にとどまらず物理的な力となる、とする主張にうかがえる。レトリックや比喩ではなく、彼はこれを真実のものとしてノンフィクションや、フィクションに反映させているのである。結局、この“超人思想”がコリン・ウィルスンの小説に対する好悪に直結する。
 さて、本書(3月刊)は1987年に書かれたウィルスンの代表作である。
 25世紀の未来、地球は彗星の尾に晒され、大多数の人類は太陽系外に脱出。残されたわずかな人間たちは、知性を獲得した蜘蛛の下僕と化している。巨大化した昆虫の世界で、蜘蛛たちには精神による物理的支配ができたのだ。主人公は野生の人間だったが、成長過程で、精神パワーの秘密に気が付く…。
 ある種のドグマを前提としているけれど、もともと、コリン・ウィルスンにはベストセラー小説を書く技法が備わっている。思想に煩わされることもなく、久しぶりに「お話」の楽しさを満喫できた。砂漠の生活、昆虫の生態、人類の廃墟、蜘蛛の都市と、舞台も多彩。1200枚を費やして、第1部の2分の1。とはいえ、直ちに続きが出るわけでもないようなので、今読んでおいても損はない。

bulletウィルスンがある程度まとまって再刊されているペヨトル工房のHP
(注:ペヨトル工房は4月末に解散しているが一部書籍は現在も入手可能)
bulletペヨトル解散関係のHPファンサイト

ブックデザイン:熊谷博人,カバーデザイン:若菜啓

2001/5/27

装丁:神埼夢現 筒井康隆『大魔神』(徳間書店)
 昨年出た「SF JAPAN」誌の01号に一挙掲載された脚本に、イラスト多数を加えて単行本化したもの。「ガメラ」に続くリメイク版「大魔神」の脚本に予定されていた(まったく同一のものかどうかは分からない)。
 とはいえ、本書が描くものは、現代版「大魔神」でも、パワーアップ「大魔神」でもなく、全盛期日本映画(時代劇)へのオマージュといえる内容になっている。人柄はいいが政治力のない領主、美人でお転婆の姫、忠実な家臣と裏で武器密造を図る悪徳老中、癒着する商人とならず者の一団、殺人狂の用心棒、幕府の隠密、勝気で可愛い村娘に正義漢溢れる弟、大阪弁の道化役…と、ここにあるのは、完全なお約束のキャラクターであり、怒りの象徴大魔神もその類であることは、深く考えるまでもない。何も足されず、何も引かれず、あるがままに並置される。何もかもが破壊される結末は、それら失われた過去の世界の運命を象徴するかのようである。本書にもっとも近い筒井作品は、やはり『美藝公』(1981:映画が主力産業となったもう一つの日本)なのだろう。というより、『美藝公』の作中作か。

bullet原型のストーリーが詳細に記載されたHP

吉川良太郎『ペロー・ザ・キャット全仕事』(徳間書店)
 第2回SF新人賞受賞作。審査員絶賛、作者はフランス文学専攻の大学院生と、周辺の話題にも事欠かない。
 第3次非核大戦後のフランス、ギャングが事実上支配するとある都市で、主人公は、偶然エジプト警察の秘密兵器を手に入れる。一匹狼の彼は、その力を恐喝のネタに使って小銭を稼ぐケチな野郎だ。しかし、ギャングの幹部に捕まり、暗殺者に仕立て上げられる。秘密兵器とは、猫に憑依する能力だった…。
 小悪党が、大きな陰謀に巻き込まれるというパターンは、エフィンジャー『重力が衰えるとき』(1987)に近いかもしれない。投げやりな主人公、プラグインすることで得られる別の力、街の顔役に利用される、などなど共通点は多い。本書で特徴的なのは、猫との共棲というテーマでありながら、猫自体に対するこだわりがほとんど書かれていない点。これは、猫と人間の関係ではなく、本質的に主人公が“猫”だったせいではないかと思われる。孤独で所属意識に乏しいくせに、生活の場を変えたがらない主人公の人間性は、猫とほとんど等価に思えるからだ。
 冒頭から結末まで、何の破綻もなく書けており、昨年の受賞作より完成度は高い。とはいえ、本書のユニークさ自体は、上記理由でやや弱く感じる。なお、作者は中央大学SF研究会のOBらしいが、詳細は分からない。

bullet『SF JAPAN02号』評者のレビュー
bullet昨年の受賞作の評者レビュー
bullet中央大学SF研のHP

カバーアート:笹井一個,デザイン:海老原秀幸

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