2000/12/3

中井紀夫『異響の門』(徳間書店)
 中井紀夫の新作長編。《タルカス伝》が終って6年、以来アスペクトなどでのノヴェライズ作品は多かったが、SF長編としては久しぶりになる。
 惑星グレイストームに住む主人公は、ある日歌姫ヴィオレッタとギター弾きの原住民アーツァツァクに出会う。アーツァツァクの村には、古代から続く、交易のための「門」があるという。そこには、宇宙創生に関わる重大な秘密が隠されていた…。
 中井紀夫には独特のテンポがあり、ユーモアがある。ドライブ感あふれる展開(冒険)と、ほのかな恋というのが、例えばタルカス伝などでの基本パターンだった。本書にもこれが当てはまるので、楽しく読める点は評価する。ただ、残念ながら、中井流のペースに乗リ切るには、お話が短すぎるようだ。
ILLASTRATION:中澤一登
装画:河原崎秀之,装丁:松田行正 豊田有恒『日本SFアニメ創世記』(TBSブリタニカ)
 著者の自伝的作品といえば、『あなたもSF作家になれるわけではない』(徳間書店)があり、本書の中のエピソードにも、『あなたも…』と共通するものが多い。
 豊田有恒=シナリオ・ライターという意識はあまりない。著者の経歴の上で、比較的短い期間だったこともある。しかし、アニメ黎明期、「鉄腕アトム」(1963)「8マン」(1963)「宇宙少年ソラン」(1965)「スーパージェッター」(1965)「冒険ガボテン島」(1967)と、これらの多くで、豊田有恒は中心的なシナリオ・ライターだった。エンタティンメント翻訳の世界に詩人が多かったように、アニメのシナリオにはSF作家が多く携わった。筒井康隆や眉村卓らも「スーパージェッター」のシナリオを書いた。そのあたりのエピソードは、本書によって全貌を知ることができるものだ。
 小説が目的ではない。絵もかけない。けれど、何とかしてSFに関わっていきたい――そこに新しい分野、今日のアニメーションの世界が開けていったありさまが読み解ける。

2000/12/10

石黒達昌『人喰い病』(角川春樹事務所)
 無用なコメントかもしれないが、石黒達昌はかつて「海燕」新人文学賞を受賞し、『新化』(ハルキ文庫既刊)の原型「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……」(1994)という長い題名の作品で芥川賞の候補にもなった、いわばブンガクの人である。瀬名秀明とともに、理系作家(本業は医師)と騒がれた経緯もある。
 とはいえ、北海道の寒村で発生した、人体組織を蝕む潰瘍「人喰い病」を巡る表題作は、ひたすらその奇病の原因を科学者として客観的に追跡する物語である。この作品をあえて分類するとすれば、純文学でもホラーでもなくSFになる。従って、本書がそのような売られ方をするのは間違いではない。著者からすれば、「雪女」であっても、それが生理作用から起こる現象であるかぎり、“病因”(明快な理由付け)を究明することが可能なのだ。短編4つで構成された作品集で、前半2作「雪女」「人喰い病」には物理的病因があり、後半2作「水蛇」「蜂」は精神的病因により近いといえる。
装幀:芦澤泰偉
カバーデザイン:芦澤泰偉,カバーオブジェ:三浦均 平谷美樹『エリ・エリ』(角川春樹事務所)
 この題名はSFでもおなじみ、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(神よなぜ我を見捨てるのか、と叫んだイエスの言葉)から採られた。
 第1回小松左京賞受賞作。新人賞では、第1回SF新人賞もあったが、今年は小松左京賞の勝ち。SFマガジン2000年ベストのレンジ(10月末刊行分まで)から外れているものの、本来ならば、本書がSF界最大の話題作といっていいだろう。
 21世紀中葉、太陽系内に広がった人類は異星人とのコンタクトを求める一方、その精神的支柱“神”を失いつつあった。神は存在しないのか、それとも別の意味での超越者が、神に代わって人類の前に姿を見せるのか。折りしも、太陽系を横切る形で、巨大な異星の宇宙船が接近しつつあった…。
 という、これ以上ないSF本流の設定で物語は構成されている。前作『エンデュミオン・エンデュミオン』が、“神話の喪失”をテーマとしたように、本書は“神の喪失”をメインに据えたものだ。
 とはいえ、本書の弱点は実は前作と同じところにある。地球外知的生命との接近遭遇や、神の不在といった壮大なテーマに比べて、この結末だけでは納得がいかない。不可能なものに答えを書くのがSFであるからだ。さまざまな登場人物の動機も、不十分に感じる。しかし、例えシュートを外したにしても、正面からゴールを狙った気迫は買いである。技法的な進歩もある。『エンデュミオン…』が実際に書かれた時期は、本書よりかなり前になるのではないか。
 斯界の反応は上々。水鏡子罵倒事件の再現か、と思われたSFマガジンのレビューも、書き直しの甲斐あって、無難にまとまっている(残念?)。

2000/12/24

日本SF作家クラブ編『2001』(早川書房)
 本年は大量のアンソロジイが出た年でもある。この大量という意味は、よい方向にも悪い方向にも取れる。これだけたくさんSFが読めるから楽しいともいえるし、量に読者がついていけるのかという懸念も感じられる。そもそもアンソロジイのように、個性が強い短編の集合体を読むには、一定以上の労力(集中力)が必要だ。月に何冊も読めるものではない。
 という中で、本書の中身は、140人を抱える職能集団の中から、第1-2世代の作家、荒巻義雄、田中光二、第3世代からは、新井素子、神林長平、谷甲州、野阿梓、これまでのSFデビューの流れから離れた新世代、瀬名秀明、森岡浩之、牧野修、藤崎慎吾、三雲岳斗というバランスになる。テーマは、大原まり子会長によると、「サイエンスの世紀に甦るフィクションにして、非リアリズムであるもの」である。ほとんどSFおよびSF周辺と等価な定義だ。
 もちろん、21世紀に向かう日本SFの前衛(という言葉は共産党もやめた死語ですが)であるからには、このような心意気も価値があることは認める。とはいえ、本書のテーマが「SF」に拡散した結果、逆に各作品とも、作者の個性から予想できる範囲に縮退したように感じられる。テーマ性は希薄である。また、作者の50音順に作品を並べるというセンスは(たとえ、所属作家に順序をつけない措置であるとしても)アンソロジイとしてどうか。
カラーCG:篠原保,カバーデザイン:奥沢潔(パークデザイン) 井上雅彦監修『ロボットの夜』(光文社)
 上とも重複するが、アンソロジイといえば井上雅彦である。積極的にSFテーマを含めることで、多数のSF作家に短編を書かせる機会を拓いたことは賞賛に値する。もちろん、SFのテーマ自体が超自然的ホラーと等価なことを承知の上での選択ではある。
 本書も、約60%がSF。ロボットという言葉から連想する、さまざまな短編が収められている。そこでのロボットとは、アシモフ3原則の破壊者であり、罪人の身代わり、障害者の身代わり、断罪者でもあり、懐かしい死者でもあり、人のライバル、人の介護者や保護者でもあり…そして、呪われた人形、機械仕掛けのゴーレム、人の怨念そのものでもある。
 日本はアトムや鉄人28号の国であるが故に、ロボットに託する思いが複雑に絡み合う。本書に囚われなくとも、読み手にとって、創造を広げるキーワードとなるだろう。

2000/12/31

グレッグ・イーガン/山岸真編『祈りの海』(早川書房)
 イーガンの中短編を集めたオリジナル・コレクション。長編を読んだ印象だけでは窺い知れない、著者の感性を知ることができる。長編での主張より、短編に感性があらわれる、というのも逆に思えるが、イーガンの既訳長編は、アイデアが羅列的に置かれたバランスの悪いものだった。そのため、主張がストレートに伝わりにくかったのである。
 本書に収められた中短編11作には、大半にイーガン流アイデアが込められている。そもそも、オリジナルに短編が編まれる作家、たとえばラッカーやワトスンらは、奇想作家と呼ばれる範疇に入る。このような作家は英米でも冷遇される傾向が強い。(一部とはいえ)マニアックな作家が好まれるのは日本の翻訳ファンの特徴かもしれない。
 1日ごとに自分が違う自分だったら。可愛い、しかし人とは認められない赤ん坊がいたら。不死を約束する意識のコピーを持てたら。あるいは、未来から送られてくる日記があったら。誘拐された感性、意識のアトラクタ、人類の祖先はアダムかイヴかが分かる瞬間。そして、ウィルスの正体(「イェユーカ」)や、神々と逢える海(「祈りの海」)の正体を知った主人公が取る行動は…。これらの多くは、奇想と言うほどのアイデアではないかもしれない。しかし、そこから投げかけられる、ヒトの核心に迫る問題意識の方向性こそが、他の作家にはないイーガンの本領なのである。
 解説の瀬名秀明は、科学的にテーマを追及していく結末で、なぜかオカルトに至ることが多い。それは、人間の本質の根幹とオカルトとの密接な関係を暗示するものだった。イーガンの目指すものとの共通項は、やはり“ヒトとは何か”に対する、飽くなき追求にあるのだろう。
カバーイラスト:小阪淳,カバーデザイン:ハヤカワデザイン

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