2000/07/2

平谷美樹『エンデュミオン、エンデュミオン』(角川春樹事務所)
 光瀬龍に師事する作者のデビュー長編。この作品については、これまでにもさまざまな意見があり、どちらかといえば批判的なものが目に付く。たとえば、
 アメリカを舞台にしているのに、人物の感性は日本人そのまま、とか。
 近未来を舞台にしているのに、現在の単純な敷衍に過ぎない、とか。
 結末がテーマを十分に消化しきれていない、とか。
 ――とはいえ、評者としては、上記欠点を前提条件に(頭の中に入れて)読めば、十分に楽しめる作品であると評価する。
 新人の作品では、残念ながら「作品」単体での技法が、読者の既成概念を破壊するほども洗練されていないことが多い。そのため、読み手の疑問点を解消しきれずに、上記のような弱点が目立ち、作品本来の面白さを覆い隠してしまう。逆に、それらを知った上ならば、作者の主張も見えやすい。
 本書は、人類の持つ普遍的な“神話”意識と、次の世代への精神的進化の意味に挑んだ意欲作だ。
 ブラッドベリの短編に、次のような作品がある。
 火星に人類が降り立とうとしている。そこには人々や子供たちが紡いだおとぎ話の世界が広がり、自分たちをないがしろにしてきた科学技術に、復讐をしようと待ち構えている。けれど、その日地球では最後の童話が火にくべられ、ページが燃え尽きた瞬間、神話の主人公たちは、たちまち霧散してしまう。降り立った人類の前には、荒野が広がるのみ…。
 平谷美樹は、これを、ファンタジイからSFへ一歩進めた。
装画:那智上陽子,装幀:芦澤泰偉

2000/07/09

装丁:増田寛,(C)AURA/STScl/NASA 池上永一『レキオス』(文藝春秋)
 5月に出た話題作を今ごろ読む。「レキオス」とは沖縄のこと。しかし、本書でのレキオスは地理的な沖縄を指してはいない。
 基地の島沖縄、ここには巨大な米軍基地があり、島の暮らしも基地の存在を抜きに語れない。そんな町で生まれた混血の少女デニスには、太古から続く巫女の血が流れていた。沖縄は極東の要にあり、呪術的なエネルギーの焦点でもある。そこを狙った秘密結社GAOTUのキャラダイン中佐は、沖縄を魔術により開放し、途方もないパワーで世界を征服しようとする…。
 とまあ、物語は無限に発散していく。登場人物も尋常ではなく、天才科学者や中国の工作員、日系のパイロットに沖縄独特の占い師ユタ、頭の抜けた女子高生(といってもただモノではない)と極めて多彩。これらが渾然と織り込まれながら、ついに時空を歪めてしまう。ある意味で本家をしのぐ、沖縄版『帝都物語』ですね。
 正直なところ、評者は『バカージマヌパナス』にはそれほど惹かれず、『風車祭』(文藝春秋)は未読なのだが、少なくとも本書に至って、著者の世界は「多民族国家」沖縄をバネに、ファンタジイでもSFでもない普遍性を獲得したと思える。魔術的リアリズムといっても、現地では単なるリアリズムに過ぎないこともある(異国の常識に無知というだけ)。沖縄の持つ魔術的リアリズムとは何かを考える意味もあるだろう。
 ――それにしても、猥褻超絶科学者サマンサ・オルレンショー博士はいいですね、くすくす。

カバーイラスト:佐藤道明,カバーデザイン:しいばみつお(伸童舎)カバーイラスト:佐藤道明,カバーデザイン:しいばみつお(伸童舎)

谷甲州『覇者の戦塵1943 激闘東太平洋海戦(1)〜(4)』(中央公論社)
 1が出たのが昨年11月末なので、半年かかって4巻(1エピソード)が完結したことになる。シミュレーションノベルのペースとしては、あまり早くない。
 対米開戦後1年、ミッドウェーを占領した日本軍に対し、米国の本格的な反撃が始まる。莫大な物資を背景にして、機動部隊が殺到する中、防衛一方の守備隊に勝機はあるのか…。
 前にも書いたが、評者が(現時点で)読んでいる架空戦記は、本シリーズだけである。ということなので、あまり公平な評価でないことを前提に書く。
 このシリーズでは、一方の大勝利はない。日本の国力は史実と変わりがないので、物量戦で勝てるわけもない。技術的工夫を多用し、トリックスター的指揮官/部隊を配して、圧倒的不利を打開するのである。とはいえ、あまりに緩やかに改変が進んでいるので、どこまでが史実に基づく技術で、どこからがそうでないのかが見分けにくいきらいはある。むしろ、そこにこそ著者の意図があるのだろうが。続刊は来年らしい。

2000/07/15

装丁:多田進 宮田昇『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社)
 3月に出た話題作を今ごろ読む。なんだか、20世紀最後の年にして早くも落穂拾いのようであるが、本書はそれほど軽々しい内容ではない。造本や活字まで、クラシックな雰囲気。著者は日本ユニエージェンシー(翻訳書の著作権表示を捜せば、この会社名をよく見かけるはず)の創業者である。評者にとって、この名前よりペンネームであるジュヴナイル作家内田庶の方が親しみが湧く。
 本書に描かれているのは、戦後まもなくから、主に70年代までの翻訳の状況だ。しかし、いわゆる大局的報告ではなく、個性的な翻訳者の逸話を中心としている。戦後翻訳の中心は、ミステリやSF等のエンタティンメントに移っていく。その過程で、早川書房を中心とした編集者/翻訳者が多数登場する。
 たとえば、詩人として知られる田村隆一も早川の編集者だった。そもそも、詩人出身の翻訳者や編集者が多い。今でもそうだが、詩だけでは食えなかったからだ。福島正実はバイクに皮ジャン、サングラスできめていた。早川社長のケチの裏側に潜む謎(堀さんは疑問を感じるようだ)、宇野利泰の奇行や、田中融二自殺のエピソードも興味深い。これら翻訳家の訳書は、今でもサーチすれば山ほど出てくる。戦後や訳者に興味のない方にもお勧めできるウラ本。
小松左京『虚無回廊V』(角川春樹事務所)
 『虚無回廊』が連載開始された当時の騒がれ方は、まあすごいものだった。直径1.2光年、全長2光年の超巨大物体SSが発見される。そして、人類が創造した最新の知性、人工実存AEが正体解明に飛翔する…。
 未完のそれが再開されるというのだから、また話題を呼ぶだろう。とはいえ、本書自体は“再開”ではなく、8年前に中断された雑誌(「SFアドベンチャー」)連載を収録しただけのもの。SS内に到達したさまざまな異星の知性たちが、SS解明を論争する件が描かれている。という意味では、何も始まってはいない。
 ただ、評者は、本書の場合、完結が肝心とみる。いかにアイデアが卓抜であっても、それだけなら類作はいくらでもある。リングワールドでも、階層宇宙でも、アイデアだけなら、よりすばらしい。そこに留まっていては、小松SFの集大成とはいえない。物語はまだ何も答えを出していないのである。
装幀:芦澤野泰偉,装画:山本ゆり子
カバーイラスト:野中昇,カバーデザイン:ハヤカワデザイン フィリップ・K・ディック『シビュラの目』(早川書房)
 ディックの日本オリジナル短編集。ディックの短編の面白さは、既に出ている各短編集(たとえばこれ)を参照のこと。本書の場合、長編の合間に書かれた中篇が多いためか、サンリオから多数出ていた(お話が)破綻した長編群(たとえばここ)を思わせる。つまり、物語の混沌ぶりが楽しめる。ただ、これを面白がるには、ディックファンとしての年季が必要かもしれない。中では、スーパーコンピュータが大統領を務める未来に、大統領代理に任命された凡人がたどる運命「待機員」あたりがベストか。

2000/07/30

ディーン・クーンツ『デモン・シード』(東京創元社)
 完全版。といっても、何が“完全”なのか。
 とある研究所で開発された最新鋭の人工知能は、知力ばかりではなく、人間の情動までをも模倣しようとする。“彼”が目をつけたのは、離婚したばかりの美人ゲームデザイナーだった。豪邸に独居する彼女を封じ込め、愛を獲得し、彼自身の子供を生ませようとする。
 “サイコパス”のコンピュータなんて、クーンツ以外の誰も思いつくまい(思っても書かないでしょう)。まあしかし、クーンツも考えたものである。いまさらコンピュータが世界制服をたくらんだところで、アナクロな上に百番煎じを免れないけれど、こんな書き方もあったのである(書き直される前の原作(1973)では、コンピュータは、歪んではいても、アナクロタイプに近い描かれ方だった)。
 しかも、サイコパス人工知能は、あさましい男の性の象徴でもある。独占欲、動物的な性欲、抑制を忘れ相手を構わぬ独善…。
CoverDesign:岩郷重力+WONDER WORKZ

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