2002/8/4

ニール・スティーヴンスン『クリプトノミコン3、4』(早川書房)
Cryptonomicon, 1999 中原尚哉訳
カバーイラスト:佐伯経多&新間大悟、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン
 

 ふーむ。やっぱりSFではありませんでしたね。人によっては「SFマークではなく、一般読者向けに出すべきだった」という意見を持たれる作品です。とはいえ、これはSFファン(たとえば、ハッカー風、ハイテク/IT関係者風、または情報オタク風読者)に好まれるタイプのノンジャンル情報(過多)小説であり、世間一般読者がどれだけ面白がれるかは重要ではないかも。テーマはまったく異なりますが、『鳥類学者のファンタジア』ともよく似ていますね。
 3-4巻目、「現代」の主人公が遺産相続で発見した、膨大な暗号データ(パンチカード)に書かれた情報の中身とは。一方、「大戦中」の舞台では、敗色濃い日本軍が、アジア各国から略奪してきた金塊と、Uボートで密かに送られたヨーロッパの膨大な金を、フィリピンの地下深くに埋蔵しようとしている(いわゆる、山下奉文の財宝というやつですね)。50年を経て、その金を手にするのは誰か。さまざまな勢力が、情報収集に虚虚実実の戦いを繰り広げる…。
 ふーむ。オタク的まじめさ(世間から見ると不真面目)、皮肉と諧謔に満ちた戦争アクションですね。最初の本格的暗号戦争にフォーカスし、過去と現代をリンクさせた点はユニーク。登場人物たちも、体制順応型は一人もおらず、奇妙な性格と意外な行動パターンで読者を驚かせます。
 ふーむ。無意味な冗長さはやっぱり多い。主人公がいかにシリアルをおいしく食べるかとか、学者家系の親戚一同が遺産相続を遺伝的アルゴリズムで決定するとか、ギリシャ神話のアテナとアレスの違いは何か、とか本筋とは遊離した薀蓄が頻出します(でも、面白い)。もちろん、すべてがそうではなくて、テーマを補強する伏線も入念に準備されています。かえって、無関係の枝葉で終わっている分、お話の混乱を引き起こさずに済んでいるともいえますね。とはいえ、普通、枝葉部分は印象が薄いはずなので、この饒舌もスティーヴンスンの暴走する想像力を象徴するものなのかもしれません。累計3200枚の大作ながら、会社の短い夏休みの読書にも好適。

bullet 『クリプトノミコン1』評者のレビュー
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bullet 『クリプトノミコン2』評者のレビュー
bullet 『鳥類学者のファンタジア』評者のレビュー
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2002/8/11

林譲治『ウロボロスの波動』(早川書房)
 
Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。 Cover Illustration:福留朋之
 

 Jコレクションが贈る“ハードSF作家”の3人目(野尻抱介、小林泰三、林譲治)。電卓片手に「計算して」作品を書く作家である点は共通するが、出来上がりの印象はまったく異なる。野尻SFは直球ストレート日本(情感)風味、小林SFは(どこまでマジだか分からない)大リーグボール1号、林SFは直球と見せて落としてくるフォークボール。どこか、クラークの『白鹿亭奇譚』のハードSF風法螺話と似ている。
 6つの短編からなるオムニバス作品集。大半はSFマガジン掲載作(99-01年)で、1作のみが書き下ろしである。とはいえ、こうした形でまとめて読むだけの価値はあるだろう。

  1. 「ウロボロスの波動」ブラックホールを巡る人工降着円盤で起こったAIの反乱
  2. 「小惑星ラプシヌプルクルの謎」小惑星での予期しない事故の真相
  3. 「ヒドラ氷穴」地球から火星に潜入した暗殺者との駆け引き
  4. 「エウロパの龍」木星の衛星エウロパの海に潜む謎の生物
  5. 「エインガナの声」重力波観測施設で巻き起こる地球人とAADDとの感情的もつれ
  6. 「キャリバンの翼」真理を追うあまり無謀な実験を企てる科学者とその弟子
  特徴は、それぞれのお話に「科学的な」決着が図られる点だろう。「偶然とは認知されない必然」とあるように、著者にとって全ての偶然(事故)には何かしらの原因がある。クラークの『白鹿亭』は、法螺話の科学的解釈だったが、その発想のベースは共通している。それをミステリのように解き明かす中で、社会的/人間的なさまざまな問題も浮き彫りにされていく。
 AADD(人工降着円盤開発事業団)という水平分業型組織が登場する。これは、グローバルスタンダードなトップダウン(トップが全てをコントロールする)企業とは正反対の、トップを持たない組織である。そもそも日本の企業(特にメーカー)は、このような組織形態で運用されてきた。なぜかというと、日本のトップからの指示は曖昧/抽象的なことが多いので、現場主義/ボトムアップが普通なのである。そこでは給与よりも仕事内容が重視され、単純なコスト計算だけで割り切れない、技術的こだわりが許容されてきた。今日のグローバル社会では、何よりも短期の利益、採算性が最重要とされる。規範がそもそも違うのだ。AADDが存在できるのは、技術的優位=生存が成立する、過酷な宇宙空間が舞台であるからだろう。
 
bullet 著者の公式HP
bullet 『侵略者の平和(第一部)』評者のレビュー
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2002/8/18

J・G・バラード『コカイン・ナイト』(新潮社)
Cocaine Nights, 1996 山田和子訳
装幀:新潮社装幀室、装画:コルネリス・コルネリスゾーン・ファン・ハールレム作「龍に食われるカドムスの家来たち」(1588)
 

 昨年12月に出た本ですが、夏休み特集として取り上げます。
 いまや英国現代文学の重鎮となったバラードの新作。このHPの基準からすると、SFとはずいぶん離れた位置にあるが、著者の原点である『ヴァーミリオン・サンズ』を思わせる、地中海沿岸のリゾートを舞台とした作品だ。
 ジブラルタルに近いスペイン領の沿岸部。そこには、ヨーロッパ各地から引退後の生活を求めて、富裕階級が集ってくる。人工的な清潔さに満ち、何の刺激もない繰り返しの中で、頭脳を麻痺させる倦怠感だけが蔓延するリゾート。そんな生活の中で殺人事件が発生する。パーティの最中、老夫婦の邸宅で火事が発生し5人が焼死する。原因は周到に準備された放火であり、容疑者は犯行を自供している。だが、主人公の弟の告白には、納得のいく説明がなかった。なぜ、弟は嘘をつくのか。リゾートに隠された秘密とは何か…。
 『ヴァーミリオン・サンズ』(1971)は、架空のリゾート都市が舞台だ。その後、バラードの作品は『クラッシュ』(1973)から、『ハイ-ライズ』(1975)と、急速に現実世界に接近し、25年後の『ヴァーミリオン…』である本書も、仮想の繁栄に満ちた90年代社会の延長上にある。その社会は、安逸な平和に終結するのではなく、麻薬と殺人にドライブされて、始めて活性化できる。
 21世紀は、テロル(9.11)と復讐というきわめて原始的な情動ではじまった。人間の暗黒面を予言したバラードのテーマと、まさに一致するものだろう。安逸さは何も生み出さない。たとえば、クラーク『都市と星』の完全都市ダイアスパーが、ユニーク(トリック・スター)を必要とするように。だから、我々は競争や反抗が進歩に必要なものと単純に考えがちだ。だが、それらは無制御なままでは、憎悪や虐殺につながる。むしろ、それが本質なのだから。逆にいえば、現代社会は、犠牲者=生贄がなければ安定して存在できないのである。

bullet スパイク・マガジンが主催する著者関連のHP
bullet ソラリス・ブックスにある著者関係のHP
bullet 『太陽の帝国』評者のレビュー
bullet 『殺す』評者のレビュー

2002/8/25

エドガー・パングボーン『デイヴィー』(扶桑社)
Davy, 1964 遠藤宏昭訳
カバー・イラスト:田中光、カバー・デザイン:岩郷重力+WONDER WORKEZ
 

 幻の(サンリオ)SF。今回は(キース・ロバーツ『パヴァーヌ』のような)復刊ではなく、新訳である。“幻の”未訳作品は、その時代性を色濃く反映しているため、今さら読んでも共感できないものが多い。とはいえ、枯れてしまったが故に、かえって深みを増すという幸運な作品も少なからず存在する。たとえば、SF版『ハックルベリ・フィン』(『トム・ソーヤ』の続編。奔放な少年の冒険行、背景に父親による暴力、いわゆるDV問題も内在させる)、あるいは『トム・ジョーンズ』(18世紀のプレイボーイによる、性と冒険の物語)と称される本書もそうだ。
 限定核戦争と、その後の生物兵器戦により、世界は分断され壊滅する。それからおよそ300余年が過ぎ、文明はようやく中世にまで復活する。核の爪あとは赤ん坊に残り、教会の権威で旧時代の書物は禁書とされ、さまざまな小国家が乱立し、変異した狼と虎は旅人の脅威となっている。そんな旧アメリカの東海岸の一角に、少年デイヴィーが生まれ、成長し、さまざまな大人たちや恋人たちと交歓する。お話では、少年から大人へと成長する主人公と、新しい国家を作るために船出した大人の主人公という、2つの物語が平行して描かれる。口語で書かれた日記の体裁で、結末は、出会いと別れのクロスポイントとなっている。後半やや走るが、終わり方は物語を象徴する「生きることの哀切さ」を感じさせるものだ。
 パングボーンが1976年に亡くなってから既に26年、本書を含めたパングボーンの著作はマニア以外には知られておらず、ペーパーバックも10年近く再刊されていない。そういうマイナーな作品で、地味な内容ではあるものの、本書に描かれた世界は、確かに“未来の中世”といえるだけの見事な存在感を示している。

bullet 著作のファンサイト
bullet 短編を含めた詳細リスト(ISFDB)
bullet パングボーンを含む再刊出版社(オールド・アース・ブックス)

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