2013/6/2

R・A・ラファティ『蛇の卵』(青心社)
Serpent's Egg,1987(井上央訳)

Illustration:後藤啓介、Direction&Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 ラファティの作品については、昨年11月末に短編集『昔には帰れない』、4月の本書、5月にはベスト級長編『第四の館』(1969)と、半年間に3冊の新刊が出たことになる。本書が出版されたのは1987年である。ラファティが新作を書かなくなったのは1984年だが、その2年前に書き上げられていたという。以降に出た著作は、すでに完成していた作品か、書き直したものだ。長編の中では、もっとも後期の1つになる。

 2035年、超知性を持った子供たちがいる。知性も道徳観も既存の人類を越えた、驚異の歩行コンピュータ、青い目の類人猿、試験管で生まれた人間。彼らを含め、さまざまな動物の姿をとる12人の子供たちは、世界を支配しようとするカンガルーの野望に立ち向かう。戦いの中で、次々と倒されていく子供たちは、やがて、海底に眠る寺院で、巨大な「卵」と遭遇する。

 ラファティには熱狂的なファンがいる一方(だから、短期間に3冊も出る)、大衆的な人気はない(日本でも、文庫の多くは絶版になっている)。休筆以降の出版物の多くは、マイナーな経路でしか流通しなかった。その理由は、読者が求めるような筋書きが希薄だからだ。奇抜な登場人物には魅了されるが、謎のような引用や、フラットに置かれたエピソードの羅列が分かり難い。そもそも、読者が求めるような“意味”を、作者は明示してくれない。しかし、本書解説でも、牧眞司や井上央が一部の謎解きをしてくれているが、隠された意味知ることがラファティ読解に必要だとは述べられていない。ラファティを読む場合、筋を追わない“余裕”があったほうが良いからだ。12人の子供たちの個性(先のロボット、類人猿、男の子に加えて、女の子、ヘビ、胎児のゾウ、オウム、アシカ、他の宇宙の天使、クマ、チンパンジー、クズリ。動物と人間とが、全くシームレスに扱われる)と、大言壮語の面白さ(世界を飲み込む人工の海、謎の殺し屋集団、海底に現れる巨人の寺院、透明海賊船に透明海賊)を楽しむことが、まず肝心だろう。

 

2013/6/9

宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』(早川書房)


Cover Direction & Design:Tomoyuki Arima、Illustration:Takumi Yoza

 2012年に出した初短篇集『盤上の夜』(表題作は第1回創元SF短編賞応募作)が第147回直木賞候補になると同時に、第33回日本SF大賞を受賞してしまうという、華々しいデビューを飾った作者の、本書は2冊目の著作/受賞後第1作品集である。オムニバス短編となっており、各作品はお互いに関連しあっている。

「ヨハネスブルグの天使たち」(2012/2):内戦下の南アフリカの大都市で、定時ごとにロボットの雨が降る
「ロワーサイドの幽霊たち」(2012/8):9.11から40周年、ニューヨークでは事件の再現が行われる
「ジャララバードの兵士たち」(2012/11):アフガニスタンの地方都市で起こった、女性兵士殺人事件の謎
「ハドラマウトの道化たち」(2013/2):イエメンの世界遺産都市で、武装集団と米軍とが対峙する
「北東京の子供たち」(書下ろし):外国人が多数を占め、スラム化した東京郊外の団地群

 「伊藤計劃のヴィジョンとJ・G・バラードの手法」と帯にはある。DX9という家庭用の(ボーカロイドをリアルにしたような)ロボットを狂言回しとして、共通する人物を配しながら物語は作られている。安価で頑丈なDX9は、テロリストの兵器だったり、過去の記憶を留める器のようにも使われる。各都市の物語では、日本人/日系の登場人物が漂泊民として描かれる。果てしないテロ戦争で荒廃した都市と、どこにも定住できない漂泊者。そこが、伊藤計劃の虚無感やバラードのテクノロジーの荒野を思わせるのだが、むしろ本書からは登場人物に対する深い共感が感じられる。12歳までニューヨーク在住だった(しかし、現地に溶け込めなかった)自身の体験が、色濃く反映されているからだ(Wired2012年9月25日インタビュー、SFマガジン2013年7月号インタビュー)。

 

2013/6/16

ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』(河出書房新社)
The Dandelion Girl and Other Stories,2013(伊藤典夫編)

カバー装画:松尾たいこ、ブック・デザイン:祖父江慎+鯉沼恵一(コズフィッシュ)

 河出書房新社《奇想コレクション》叢書の最後の一冊である。1つ前の『平ら山を越えて』から、ちょうど3年ぶりの完結となる。そもそも本書が3年前に出ていれば、『ビブリア古書堂の事件手帖3』(2012)のエピソードでヤングは取り上げられず(当然、TVドラマで剛力彩芽が語ることもなく)、話題の盛り上がりに欠けたかもしれない。本書のような、タイム・ロマンスものには、むしろ相応しい展開なのだろう。

「特別急行がおくれた日」(1977*):毎日繰り返される、蒸気機関車が引く特別急行列車の日常
「河を下る旅」(1965):誰もいない河を、筏で下る一人の男と途中から乗った女との出会い
「エミリーと不滅の詩人たち」(1956):博物館に設けられた、不人気の詩人エリアを担当する女の機転
「神風」(1984*):宇宙戦争必勝のために、自爆攻撃を命じられた男の運命
「たんぽぽ娘」(1961):休暇中の中年男が森で出会った少女は、自分は未来からやって来たと自己紹介する
「荒寥の地より」(1987**):昔住んでいた土地から見つかった、封印された箱に隠されていたもの
「主従問題」(1962*):発明家が偶然発明した装置は、村一つをもぬけの殻にした
「第一次火星ミッション」(1979*):少年たちの作ったロケットがたどり着く火星の光景
「失われし時のかたみ」(1973):奇妙な部屋の中には、彼のあらゆる過去が展示されていた
「最後の地球人、愛を求めて彷徨す」(1973*):戦争から帰った男は、自分が最後の地球人だと思い知る
「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」(1965):時間旅行途上で訪れた場所で時が静止していた
「スターファインダー」(1970*):宇宙クジラを宇宙船に改造するドックで、意志疎通した男の聞いた声とは
「ジャンヌの弓」(1966):フランス系植民惑星を制圧する軍は、ジャンヌの活動を阻止しようとする
*初訳 **遺作

 ロバート・F・ヤングの翻訳書は、昨年まで2冊しか出ていない。1977年に出た日本オリジナルの短編集『ジョナサンと宇宙クジラ』と、同じくオリジナル編集の1983年『ピーナッツバター作戦』だけである。一般読者に、ほとんど知られていないのだ。しかし、1967年に「たんぽぽ娘」(メリル編『年刊SF傑作選2』)が紹介されて以来、ファンの間では知名度が高かった。時間ものを書く作家の多くと共通する特徴として、ヤングにも描いた時代に対する愛着が感じられる。時代を超越しているように見えても、半世紀近くを経た各作品からは、著者が生きた(1915-86)アメリカが透けて見えるからだ。詩人が自動車に押しのけられ、浮浪者たちが田舎を汽車で旅していた頃、子供たちのロケット遊びや、人生を象徴する過去の展示物。そのクラシックな舞台を背景にして、人生の河を描くロマンス(「河を下る旅」)、時を超えたロマンス(「たんぽぽ娘」)が描かれている。そういう意味で、他愛のない/臆面のない筋書きでありながら、ヤングの情感には著者独特の本当らしさがある。

 

2013/6/23

コニー・ウィリス『オール・クリア1、2』(早川書房)
All Clear,2010(大森望訳)

カバーイラスト:松尾たいこ、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 ウィリスの3500枚に及ぶ長編の後半2分冊である。原書では前半『ブラックアウト』と、後半『オール・クリア』の2冊だったものだが、さすがに新書で後半を1冊にするのは無理だった。4月と6月の2回に分けて刊行、分量的には、前半が53章、後半が68章から成る。

 第2次大戦下に派遣された史学生たちは、未来への回収を待つが、その機会が訪れることはない。同時期だった3人は辛うじて出会い、お互い情報を交換しながら未来と連絡を取ろうとする。事態の深刻さを知った史学部の教授は、自ら彼らを救出しようと空襲下のロンドンに降り立つ。しかし、そこで恐るべき可能性に思い至るのだ。

 本書では、前半に引き続き、第2次大戦下のロンドンでの暮らしが描かれる(空襲下のデパートや、地下鉄駅を利用した避難壕、女性を徴用した看護部隊、暗号解読のエキスパートが集う秘密の町、大聖堂を守る防空監視員たち)。一時的な滞在で済まなくなった彼らは、戦争の後半、ノルマンディー上陸作戦前後まで、さまざまな手段で生存の痕跡を残そうとする。痕跡さえあれば、そこに向けて救助チームを送れるからだ。
 ウィリスは多数の時間ものを書いている(下記『ブラックアウト』レビュー参照)が、最新理論に基づくハードSFを目指しているわけではない。むしろ、古典的な「単一の時間線」をベースにしている。時間線を乱すノイズは自動的に“処理”されるから、1つの過去/現在/未来が維持できるという考え方だ。単一時間線でのタイムトラベルは、「親殺しのパラドクス」のような矛盾を生じる。子が自分を生む前の親を殺すとどうなるか、などはSF的なパズルの材料としてさまざまに応用されてきた。ただ、もちろんウィリスは単純に古典を踏襲してはいない。100章分に振り分けられた伏線を回収する大ネタとして、大胆なひねりを加えている。最後は感動の大団円だが、あざとさを感じさせない筆力はさすがといえる。

 

2013/6/30

三島浩司『ガーメント』(角川書店)


Book Desigh:Akihito Sumiyoshi+fake graphics
Cover Photo:(C)nostalGie/Shutterstock.com
Cover Photo Effect:fake graphics

 「ガーメント」というのは、文字通り「衣服=身にまとうもの」のことだ。戦国時代にタイムスリップした主人公たちが危機に陥るたびに、アーマーのような衣服が現われ彼らをサポートしてくれる。本書は純粋な著者のオリジナルではなく、角川書店の井上社長が温めていた“戦国時代に二足歩行兵器(ロボット)を持ち込む”という物語をきっかけに書かれたものである。

 大学生の主人公は、ある日、異常に遅延した時間に囚われる。まわりの全てが、静止しているかのように見えるのだ。その中で、彼は落ちてくる着物姿の少女を受け止める。少女は現代のことを何も知らないようだった。しかし、それから奇妙な現象が起こるようになる。歴史的な事件と連動するかのように、織田信長が生きた頃の戦国時代へと飛ばされるのだ。そこで知り合った仲間から、歴史を改編しない限り、元の時代に戻れないと聞かされる。

 著者は“アイデア”ではなく、“概念”を主眼にして作品を書くとする(SFマガジン2013年7月号インタビュー)。この説明は分かり難いが、独立して成り立たないものをアイデア、背景を伴い自律できるものを概念と呼んでいるようだ。本書で言えばガーメントがそれであり、縦糸と横糸で織られたガーメント世界=宇宙とする新しい概念なのだろう。織物をキーとするSFでは、バリントン・ベイリー『カエアンの聖衣』(1976)やクライヴ・バーカー『ウィーヴワールド』(1987)、牧野修『傀儡后』(2002)などが思い浮かぶが、タイムスリップ(これ自体、従来とは全く異なる使われ方をしている)との複雑な組み合わせがユニークだ。