2009/11/1

Amazon『紀大偉作品集『膜』』(作品社)

紀大偉『紀大偉作品集『膜』』(作品社)
膜 他3編,1996(白水紀子訳)


カヴァー画:サンドラ・ラモス「海の涙」

 台湾セクシュアル・マイノリティ文学(全4巻)の一冊として、2008年12月に刊行された作品集である。この叢書は、同性愛などの非異性愛をテーマとした台湾の文学を紹介するというもの。さらに本書は「クィアSF」なのであり、希少な存在といえるだろう。著者は現在コネチカット大学の准教授で、本書に収められた10年前の時期に(20代で)SFを発表し話題となった。

 「膜」(1996):2100年人類の大半は海底に移住、エステで名を上げた主人公は20年ぶりに母と会うが
 「赤い薔薇が咲くとき」(1994):国家に成り代わった企業が麻薬で幻想を見せ、社会を支配する未来
 「儀式」(1993):30年ぶりに、かつて痴情を演じた同性の友人と再会した主人公の思い
 「朝食」(1999):愛人との浮気を朝食作りで償う主人公の顛末(ショート・ショート)

 著者はクィア理論と伊藤潤二のホラー漫画(多くが中国語に翻訳されており、台湾のファンも多い)、翻訳家/評論家の但唐謨などから影響を受けて「膜」を書いたという。オゾンホールが大きく開き、地上はすべて生存不適になっている未来。主人公は幼いころにアンドロイド(実際はある種のクローン)と暮らし、別れた記憶を持っている。その時代のエステはアンチエイジングを兼ねた高度な医療と看做されており、エステシャンには高い社会的地位がある。そういった伏線が、最後の意外な結末へと結びつくのだが、最新SFとも共通するアイデアとなっている点は評価できる。「赤い薔薇…」は、企業がユーザに幻覚を売り、現実と夢との境界が曖昧になっていたり、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の登場人物がそのままの名前で出てくるなど、よりテーマが明確な作品である。張系国の80年代SFと現在をつなぐ作品集なので、台湾SFの水準を測る意味でも十分価値があるだろう。

 

2009/11/8

Amazon『化身』(角川書店)

宮ノ川顕『化身』(角川書店)



装丁:鈴木久美(角川書店装丁室)、装画:亀井徹「想念」ぬりえ美術館蔵

 第16回日本ホラー小説大賞受賞作。短篇としての受賞は2005年の恒川光太郎「夜市」以来のことであり、全体を通しても2003年遠藤徹「姉飼」、1999年岩井志麻子「ぼっけえ、きょうてえ」など数自体少ない。

 「化身」*:生活に疲れた男が、熱帯のジャングルの中で蟻地獄のような池に落ち、次第に体を変容させる
 「雷魚」:溜め池に棲むという巨大な雷魚を狙う少年と、白い服を着た女の触れ合い
 「幸せという名のインコ」:自営のデザイン事務所を構える主人公は、娘に請われるまま白いインコを買うが
  *受賞作、これ以外は書下ろし 

 著者は、インタビューで芥川龍之介の影響を受け、作家を目指したと述べている。特別ホラーに対する思いはなく、ホラー的な要素を持つ作品を書いてきただけという。表題作は変容の物語である。人間が物理的/肉体的に変化し、動物のような/異界の生き物のような、明らかに人と別の何かに変わっていく。SFではそういった作品が数多く書かれてきたし(例えば蠅の遺伝子が混入した男は、次第に蠅になっていく)、ホラーにも多いだろう。選考委員のなかで、高橋克彦が「大傑作」と賞賛する一方、荒俣宏は「異能の持ち主」、林真理子は「奇妙な作品」と述べて、やや距離を置いた評価になっているが、これは、本書のユニークさに対する見方の差といえる。本作と従来の作品との違いは、主人公の淡々とした意識の描写にある。日々生きることだけに執着を持ち、人外のものへの変身に少しも(超常的な)恐怖を感じないのだ。書き下ろしの2作では、さらにその傾向が強まっている。

 

2009/11/15

Amazon『時の娘』(東京創元社)

中村融編『時の娘』(東京創元社)
Double Take and Other Stories,2009(中村融他訳)


カバーイラスト:鈴木康士、カバーデザイン:東京創元社装幀室

 中村融編のオリジナル・アンソロジイ、テーマはタイムトラベルを基調にしたロマンス小説。とはいえ、SFにおけるタイムトラベルは、実は甘いロマンスの成就のために機能はしない。本来ありえない出会いを演出する装置だが、過去/未来の因果律(鶏が先か卵が先かの関係)が崩れたとき、たいてい思わぬ悲劇が生み出されるのである。

 ウィリアム・M・リー「チャリティのことづて」(1967):18世紀の少女と視覚の共有ができた少年
 デーモン・ナイト「むかしをいまに」(1956):墓場から生まれ、やがて母の胎内に戻る男の一生の物語
 ジャック・フィニイ「台詞指導」(1965):映画ロケで半世紀前のバスに乗り深夜のニューヨークを走る
 ウィルマー・H・シラス「かえりみれば」(1970)*:時間を遡り15年前の少女に戻った主人公の行動
 バート・K・ファイラー「時のいたみ」(1968):10年の時間を打ち棄てて男が得ようとしたものとは
 ロバート・F・ヤング「時が新しかったころ」(1964)*:恐竜期に旅した男は少年少女の兄妹と出会う
 チャールズ・L・ハーネス「時の娘」(1953):未来を占う会社で財を成した母とその娘の確執
 C・L・ムーア 「出会いのとき巡りきて」(1936)*:冒険を求める男は時の迷路で一人の女と出会う
 R・M・グリーン・ジュニア「インキーに詫びる」(1966):30年前と現在とを断続的に見渡す主人公
  *本邦初訳、他も新訳版

 さて、本書の中でもっともオーソドックスな時間ものは「時の娘」だろう。時間旅行から生じるパラドクスの典型的なパターンが書かれ、そこに親子の対立を含めて印象を強めている。「インキーに詫びる」はフラッシュバックのように交錯する過去と現在が斬新だ。「チャリティのことづて」は200年を経た仄かな恋、「時のいたみ」は時間を超えた男女関係の皮肉な結末と、各作品ごとに趣向が変わっていて楽しめる。

 

Amazon『煙突の上にハイヒール』(光文社)

小川一水『煙突の上にハイヒール』(光文社)



装幀:坂野公一、装画:中村佑介

 8月に出た本。小川一水が「小説宝石」に掲載した5作を集めたもの。最近の中間小説誌は、執筆者/読者の世代が交代している所為もあって、見た目の印象は同社の「ジャーロ」などのミステリ専門誌とさほど差が感じられない。そういう意味で、SFが載っても違和感が少なくなっている。

 「煙突の上にハイヒール」(2007/5):背負うことができるヘリコプターで人生を変えようとするOL
 「カムキャット・アドベンチャー」(2008/11):CCDカメラを仕込んだ飼い猫が隣家で写してきたもの
 「イブのオープン・カフェ」(2009/1):真冬のオープンカフェで主人公はロボットと出会う
 「おれたちのピュグマリオン」(2008/3):新しいインターフェースを持つ家庭ロボットの開発者たち
 「白鳥熱の朝に」(2008/9):壊滅的な鳥インフルエンザ大流行後、家族を失った男と女子高生が同居する

  本書の主人公たちは、(当人にとってはともかく)あまり深刻な悩みを抱いているわけではない。しかし、その憂鬱を普通の小説では描けない手段で解消しようとする。それがヘリコプターであったりロボットとの会話であったりする訳だ。著者の新境地と思えるのは「白鳥熱の朝に」で、強毒性新型インフルエンザで800万人もの人が死んだ後、翳を抱えた人たちが、それを克服し“前向きに”(作者を特徴付けるポイント)生きていく様までが描かれている。“前向き”の手前に1段階を増やしたことで、従来の作風に厚みを増したといえるだろう。

 

2009/11/22

Amazon『プシスファイラ』(徳間書店)

天野邊『プシスファイラ』(徳間書店)



Book Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。Photo:David Tipping/Getty Images

 第10回日本SF新人賞受賞作。本年は『競馬の終わり』と併せて2作受賞となった。昨年の受賞作『宇宙細胞』も破天荒さが話題となったが、本書も「専門用語の氾濫に、読者の方は戸惑うかもしれません…」という異例の紹介文が書かれている。

 BC10000年、クジラたちは独自の通信手段で自らをネットワークで結ぶ特異な社会を形成していた。その中で、あるクジラの記した童話が、別の名義で公表される。なりすまし事件から200年後、童話を契機に全く新しい通信プロトコルが開発され、クジラたちは1つの思念体プシスファイラとなった。やがて数千年の時を経て、クジラたちのネットワークは人類と結合するに至る。

 本書が読みにくいのは、クジラ社会がインターネット通信の(ほとんど生の)専門用語で表現されているからだ。また、クジラが現代の人間と何も変わらない点も違和感になっている。一方、人類と接触して以降の話は、いきなり超未来へと飛躍しており、もはや個体としての人やクジラの物語ではない。ステープルドン的ともいえる。そういう濃縮されたSFの要素が新人賞に値すると評価されたのだ。とはいえ、コミュニケーションというテーマを理解するには、本書を読み通すだけの根気が必要。

 

2009/11/29

Amazon『壊れやすいもの』(角川書店)

ニール・ゲイマン『壊れやすいもの』(角川書店)
Fragile Things short fictions and wonders,2006(金原瑞人 野沢佳織訳)


装丁:鈴木久美(角川書店装丁室)

 原題のFragile Thingsとは、荷物などに表示されている「壊れもの」のこと。生きていく上で、何が壊れものかといえば、それは人の心や夢、記憶であったりする。本書は2007年のローカス賞(短編集部門)を受賞した、ニール・ゲイマンの短編集である。詩8編を含めて31編も収録されているので、個々の作品を解説するスタイルに馴染まない。また、発表媒体はさまざまだが、一冊の作品集としての全体構想に基づいて作られている。詳細な作者解説(リンク先はオーディオ)も付いている。

 冒頭にある「翠色の習作」(2003)は、ラヴクラフト世界のシャーロック・ホームズという趣向。2004年にヒューゴー賞(短編部門)を受賞している。「十月の集まり」(2002)は季節の名前をもった登場人物が、順番に手持ちの物語を語っていく。ブラッドベリのオマージュで、翌年のローカス賞(短編部門)を受賞している。同賞受賞作は他に、「顔なき奴隷の禁断の花嫁が、恐ろしい欲望の夜の秘密の館で」(2004)があるが、これのベースは没になった習作だという。末尾の「谷間の王者」は、今年翻訳された『アメリカン・ゴッズ』(2001)の後日譚となっている。

 各短編は、単独で読めるものより、ごく短い独白のような作品が多い。作者が夢に見た話、ちょっとしたアイデア、友人から得たインスピレーション、病気を経た復帰第1作…大半はアンソロジイ向けに請われて書かれた作品だが、たぶんその1作だけではゲイマンの世界に入り込めない。それらが連続することで、全体として1個の物語を構成しているように読めるからだ。