2008/7/6
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アメリカには、平坦で真っ直ぐな(しかも、えんえんと続く)道路が多い。そこを何日もかけて旅し、さまざまな人と出会うことで、旅人は自身の人生を反芻し、内面に隠れていた本当の姿を知るようになる。そういう意味で、“ロードノベル”は(長い道路があり、町と町とが隔絶されている)アメリカ特有のジャンルといってよい。本書は異色のロードノベルである。
著者のコーマック・マッカーシーは、1933年生まれで今年75歳になる。1965年にデビューして以来長編10作等があるのみだが、92年の『すべての美しい馬』でブレイク、それ以降の作品はメインストリームで常に高い評価を受け、ベストセラーともなっている。『血と暴力の国』(2005)は、2008年アカデミー賞『ノーカントリー』の原作。本書も2007年のピュリッツアー賞受賞作である。
灰が降り積もり、絶え間のない雨の続く世界。あらゆる都市は壊滅して久しく、下がり続ける気温に耐えかねて人々は南を目指す。そんな中で、一組の父親と幼い息子が旅を続ける。枯れ果てた森、略奪された住宅、稀に見かける生存者は、食うために命を奪い合う敵だった。さまざまな出来事が起こる中、絶望的な状況下で親子だけの会話が続く。
マッカーシー特有の文体である、地の文とシームレスにつながる会話、心理描写のない三人称が閉塞的な設定を描く中で際立つ。句読点がほとんどなく、リズムだけで読ませる文章(これは訳者のセンスもある)も印象的。一般的な小説とは違うので、読みにくく感じるかもしれない。とはいえ、生き抜くことだけを目的に、ひたすら南を目指す父と、人間的な交わりを求める少年との葛藤には、このリズムが良く似合う。特に子供がいる人は、父親に感情移入して読めば、十分納得できる展開だろう。
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2008/7/13
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2月に出た本。2年前から昨年7月にかけて、ポプラ社の雑誌「asta」に連載されたものである。7つのオムニバス形式の短編だが、同一の設定/同一の舞台/主人公は女性という共通項がある。
「天上のデザイナー」(2006/11):零細デザイン会社で、宇宙服のデザインに挑んだ主人公に降りかかるプレッシャー
「港のタクシー艇長」(2006/12):人工島では主要交通手段となる海上タクシーを操る主人公の奮闘
「楽園の島、売ります」(2007/1-2):数少ない熱帯雨林の景観を、金持ちに売ろうとする不動産屋の女社長
「セハット・デイケア保育日誌」(2007/3):さまざまな人種が住む島で、さまざまな幼児を預かる保育所の騒動
「Lift me to the Moon」(2007/4):軌道エレベータの巨大なケージに、リリーフ乗組員として乗り込んだ主人公
「あなたに捧げる、この腕を」(2007/5):金属/石造彫刻に挑む主人公に、舞い込んだ伝統的仕事とは
「the Lifestyles Of Human-beings At Space」(2007/6):宇宙の力関係すら変えてしまう食の変革プロジェクト
時代は21世紀半ばの2050年、舞台はシンガポールにほど近い熱帯の孤島。そこには世界最初の商用軌道エレベータ基地が設けられ、世界から無数の人々が集った結果、島は巨大な人工都市へと成長していた。まったく新しい社会であるが故に、既存の柵なしのチャンスも生まれる。主人公たちは、それぞれが掴んだ機会に果敢に/無謀に挑んでいくわけで、小川一水得意のポジティブな姿勢が際立つ設定だろう。確かに彼らには、苦い挫折が待ち構えているのだが、その先にはより大きな希望が必ず見えてくる。(日本での90年代以降の作家で)クラーク直系といえば、著者か野尻抱介になる。しかし、“未来の明るさ”に対する展望は本家クラーク以上といえる。
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5月に出た本。上の小川一水がポプラ社、本書は理論社のヤングアダルト向け叢書の一冊となる。旅芸人の女性、少女である主人公、西洋人形(ビスクドール)のオフェーリアが登場する1つのプロローグ、3つのミステリ風ファンタジイ、用語辞典風に書かれた作品設定の5編からなる。
「人形流しの夏」:人形とともにさ迷う主人公は、人形を操る女大道芸人と出会う
「顔なし人形の謎」:不吉な運命に呪われた旧家で、その呪いの原因となった事件を追う
「落ちた人形の謎」:維新政府が接取した祭りの山車から落ちた人形の真相を追う
「消えた人形の謎」:周りを封鎖された村から住人が忽然と姿を消す。そして現れた浄瑠璃人形の謎を追う
「言の葉事典」:照座御代(かみおますみよ)、影歩異界(かげあゆむいかい)等、不可思議な用語を読み解く
時代は江戸時代から明治維新頃をイメージするが、地域を含め明確な設定はない。それは、本書独特の“用語=陽語”を見ても分かる。「言の葉事典」を読むと、(突き詰めて行くと)あらゆるものが曖昧になる言葉の意味の迷宮性が確かめられて楽しい。しかし、本書自体は哲学小説ではない。深い読みを求められているわけではないのだ。古典的なミステリの山田風アレンジや、過去の自作品を思わせる言葉の使い方など、さまざまな作者の遊びが伺える。
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2008/7/20
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28年ぶりに本書を再読した(1980年にサンリオ文庫から初訳)。この作品は、KSFA(海外SF研究会)が選出した1980年の年間ベスト1だった。1980年8月から1年間に4作の長編(『ブロントメク!』、本書、『冬の子供たち』、『カリスマ』)が翻訳され、俄かにコーニイの人気が高まった時期でもある。しかし、ブームも長くは続かず、以降長期にわたってコーニイの存在は忘れられる。
どこともしれない異星が舞台。夏の避暑地、港町でもあるバラークシに、政府高官の家族と少年が訪れる。そこには1年前に心を惹かれた少女が住んでいた。港では、やがて海流が変わり、豊漁をもたらす粘流の季節を迎える。内陸部に続く戦争の影は、町にも深くかかり始める。少年は少女との再会を果たすが、やがて町の運命を変える大きな事件に巻き込まれていく。
当時のコーニイ(コニイ)が絶賛一色だったわけではない。際立った特徴がなく、堅実だが派手さがないなど、同年に刊行された諸作(下記、山岸真エッセイを参照)に比べて地味な印象が強かったからだ。ただ、そういったシンプルさが一部のファンを惹きつけた。ほぼ30年を経た本書は、SFを取り巻く情勢の変化(奇異なもの→普遍的なものへと変化)もあり、一般読者でもごく自然に読めるようになった。本書程度の異世界描写ならば、ファンタジイと思って読んでも違和感がないだろう。かつての熱心なファン(訳者)により訳文も一新、経年変化による古めかしさも一切感じられない。そういう意味で、2008年に本書を読む意義はより増したといえる。
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2008/7/27
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『スペースプローブ』以来、ほぼ1年ぶりに出た、機本伸司の新作書き下ろし長編。映画化との関係か、6年前の処女長編『神様のパズル』と同じ大学を舞台にしているものの、直接の関連はないようだ。
主人公は女子大生。入学したばかりの大学で、目的も自己主張もなく、占い同好会で怠惰な生活を送っている。そこに量子コンピュータ製造会社のはみ出し社員から、アルバイトの口を持ちかけられる。しかし、それは素人から見てもありえない事業だった。何しろ、量子コンピュータで仮想世界を創造し、そこに存在する神までをシミュレートすると言うのだ。しかも、その目的は「占い」なのだという。
2023年、量子コンピュータは巨大な全翼航空機に搭載されている(といっても、それ以外の日常描写はほとんど現代と変わらない)。量子の不安定さを回避する目的で高空から自由落下させ、無重力状態を作り出し、その一瞬で計算するのである。ほとんど国家予算並みの莫大な経費で作られたコンピュータと、占いという落差が面白い。とはいえ、神様のシミュレーション/神の実在に関する議論、量子コンピュータ技術を巡る国家的な陰謀やテロの予感など、盛りだくさんな議論(機本SF特有の、登場人物たちによる会話の応酬)を含め、設定にはちょっと無理が多い(実現性を含め、あまりにリアリティがない)。そう感じさせてしまうが故に、結末がやや納得できないのは残念だ。
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