2007/5/6
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昨年に翻訳が出た『イリアム』(2005)の続編。3月に出たもので、2700枚あるため上下巻に分かれている。
トロイアとギリシャ連合軍が木星圏の機械生命モラヴェックと組んで、オリュンポスの神々との戦闘を始めてから8ヶ月が経過した。戦いの決着がつかないまま、人間側の両軍の内部では疑心暗鬼が渦巻いていた。神々の側でも大神ゼウスを欺いて、戦争を旧来に戻そうとする勢力が暗躍する。一方、本来の地球では、従順な下僕であったはずのヴォイニックスが人間を殺戮、さらに異様な外観を持つ怪物セテボスが地上に現れ人類の存続を脅かす。異変の中心が地球にあると見たモラヴェックたちは、大型の探査船を送り込むが。
さて、ダン・シモンズの本書を形容するとすれば、多分に“文学的”ということか。それも現代文学ではなく西洋的な古典教養文学。『イーリアス』に始まるギリシャ古典はもちろん、プルーストや『テンペスト』に象徴されるシェイクスピア(セテボス、キャリバン、プリスペロー、エアリアル)、さらには19世紀の詩人シェリーが包含されるという(ギリシャ神話に題材を取った反逆の詩作)。衒学的とまで言わないにしても、普通の人(特に評者を含む日本人)にこれら全てが理解できているとは思えない。ただし、本書の場合重要なのは、これら文学がお話の元ネタということだけではない。“物語(を創造する力)”が、この世界の謎=存在に深く関連しているからである(例えば、なぜギリシャ戦争の史実ではなく『イーリアス』の叙事詩世界なのか、なぜ『テンペスト』の登場人物がそのまま実在するのか)。アイデア面では《ハイペリオン・シリーズ》を超えないものの、仕掛けの面白さは健在だろう。
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2007/5/13
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本書は2002年の英国SF協会賞、2003年のアーサー・C・クラーク賞、2006年にはフランスのイマジネール賞を受賞したプリーストの最新長編である。
第2次大戦直前、ベルリン・オリンピックのボート競技に舵なしペアで出場した双子の英国選手は、銅メダルを獲得し凱旋する。しかし、そこから2人の運命は大きく分かれてしまう。1人は空軍のパイロットとしてウェリントン爆撃機の機長となり無差別爆撃に参加し、もう1人は亡命したユダヤ人の女性と結婚して赤十字に勤務する良心的兵役拒否者を貫く。しかも分離されたのは2人の命運だけではなかった。報復と再報復という泥沼に落ち込みながら、互いを爆撃しあうイギリスとドイツもまた、矛盾を孕んだ2つの歴史に引き裂かれていくのである。
本書は歴史ミステリではない。むしろ、並行世界ものとして書かれている。ただし、どちらか一方(片方の歴史の流れ)に物語が収束してしまうような単純なものとは異なる。ここには対比された「2つの立場」が明白に置かれている。1つは、戦争の熱狂に取り憑かれた兄弟。1人は爆撃機での戦闘に酔い、もう1人は戦争を忌避するが赤十字の活動で否応なく戦争に巻き込まれる。もう1つは、戦争貫徹を説くチャーチルと和平を提唱した(とされる)ナチスの副総統ルドルフ・ヘスという国家の立場。これは、同時に個人と国家という第3の対比を生み出す(ヘスの和平工作が成功しチャーチルが退任した世界/その逆の世界と、爆撃機が撃墜され/救急車が爆撃で破壊され兄弟のどちらかが死んだ世界が、さまざまな形で組み合わされる)。そして、これらすべては同時に存在し、互いを侵食しあいながら並行世界を形作っていく。
ただ、本書を読むポイントはそういった複雑な物語の謎解きより、戦争により人生を定められてしまった“1人の人間”の、数奇な運命に対する作者の視点にあるといえる。主人公の生きざまは、並行世界を介した手法を使うことで、従来得られなかった重層感を読み手に与えてくれるのだ。
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2007/5/20
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クローネンバーグの映画『スパイダー』(1990、映画化2002)で知られるマグラアの初期短編集『血のささやき、水のつぶやき』(1988)に、単行本未収録の6編を加えたオリジナルの短編全集。既に初期短編集を含めて著作8作中5作が翻訳されており、日本でも定評のある異色ミステリの作家である。あいにく評者はアンソロジイに掲載された短編しか読んでいないので、著者の全貌を正当に論じることはできない。本書は作者が得意とする異常な精神世界の一面を、ワンアイデアで切り取ったものだ。
「天使」(1987):貧民街で取材する作家は“天使”を知っているという男と出会うが
「失われた探険家」(1988):少女は自分の裏庭で19世紀のコンゴを探検する瀕死の探検家を発見する
「黒い手の呪い」(1988):インドを訪ねた女性は婚約者の体の異変を知る
「酔いどれの夢」(?):ニューヨークの古い倉庫で絵を描く画家はキャンバスに得体の知れない影を見出す
「アンブローズ・サイム」(?):パブリック・スクールに勤める神父が抑圧された欲望を抑えられなくなったとき
「アーノルド・クロンベックの話」(1988):死刑を待つ受刑囚にインタビューした女性記者は相手の口調に魅入られるが
「血の病」(?):若々しい婦人のもとにコンゴから帰還した夫は、重い病で疲弊しているように見えた
「串の一突き」(?):叔父が記した日記には“小さな精神科医”に悩まされる顛末が書かれていた
「マーミリオン」(1988):南部の山林の中に南北戦争後に没落した壮麗な屋敷「マーミリオン」があった
「オナニストの手」(?):ナイトクラブで発見された生きている手は、ある男から逃げ出したものだった
「長靴の物語」(?):核戦争後の家族の運命を長靴の一人称で語る物語
「蠱惑の晩餐」(?):死体へと誘われる一匹の蝿の語る一夜の饗宴
「血と水」(?):没落した地主の屋敷で起こる殺人事件のありさま
「監視」(?):専門学校の講師を執拗に監視する潔癖症の女子大生
「吸血鬼クリーヴ あるいはゴシック風味の田園曲」(1991):クリケットの試合で見かけた男を吸血鬼と思い込んだ邸宅の女主人
「悪臭」(1991):博物館に勤める主人は異様な悪臭が家に漂っていることに気がつく
「もう一人の精神科医」(?):精神病院の医師である主人公は、女性患者の治療方針を巡って別の医師と意見を対立させる
「オマリーとシュウォーツ」(?):地下鉄のホームで恋人のためにバイオリンを弾く男(ギリシャ神話「オルフェウス」の再話)
「ミセス・ヴォーン」(1993):人妻に恋した若い医師が語る一人語り(長編の一部)
サブカルチャー雑誌初出の作品など正確な初出年が分からない作品が多いが、概ね1980年代中盤から90年初期ごろと思われる。著者はポストモダン・ゴシックの書き手と称された。明確で1つの解釈が成り立たず、読み手に不安定感を与える作品が多い。精神を病むという意味をさまざまな形式で描き出した点、病んだ精神が陥る記憶の不確かさ、自分の行動の信用できないありさまが書かれている点が本書の面白さだろう。中では、少女の残酷さを描く「失われた探険家」、静かな不気味さが漂う「アーノルド・クロンベックの話」、フロイト派精神学者を皮肉に描いた「串の一突き」などが印象に残る。
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2007/5/27
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台湾人の作家張系国(張系國)のSF(中国流に書けば、科学幻想=科幻小説)作品集『星雲組曲』(1980)と『夜曲』(1985)を1つにしたものが本書である。原作そのものが1970年代後半から80年代前半に書かれていることもあり、先端SFという印象は受けないが、独特のセンスを感じ取ることができる。
「帰還」(1980):海底に作られた採鉱ステーションで破壊工作が行われ、女性技術者が閉じ込められるが
「子供の将来」(1978):体外受精が当たり前になった未来、子供の容姿や才能を買おうとした夫婦の得たもの
「理不尽な話」(1980):過去の偉人の精神を蘇らせる大発明が招いた騒動
「夢の切断者」(1976):人々に幻想を与える夢幻空想放送は、反面想像力を奪うとされたが
「銅像都市」(1980):政変のある度に、その成果を巨大な銅像造りに費やしてしまう文明があった
「青春の泉」(1980):転生を繰り返しても成功することなく同じ人生を送ってきたグループの転機
「翻訳の傑作」(1976):異星人の言語を翻訳してきた主人公が犯した過ちとは
「傾城の恋」(1977):タイムトラベルで過去に魅せられた主人公のとった行動
「人形の家」(1976):生きた動物を誕生日にプレゼントされた息子
「帰還」(1980):過去を思い出すため女に思い出を語らせようとする男
「夜曲」(1981):時間を蓄えられる装置を手に入れた女
「シャングリラ」(1981):黒い石で覆われた惑星には未知の生命が潜んでいた
「スター・ウォーズ勃発前夜」(1982):一人の学者が機材損壊に問われた訳は
「陽羨書生」(1983):大金持ちの夫人は“風月瓢箪”を手に入れようとするが
「虹色の妹」(1983):亡くなった妻を忘れられない夫の許に毎夜かかってくる電話の音
「最初の公務」(1984):“風月瓢箪”を作った発明者を探し出すよう指示されたロボット
「落とし穴」(1984):奇妙な落とし穴に囚われた異星人の運命
「緑の猫」(1984):台湾に戻った夫とアメリカで別れて暮らす妻は、漫画好きの一人の男と出会う
(注:1980までが『星雲組曲』、以降が『夜曲』所収)
張系国はコンピュータ・サイエンスを専門とする科学者である。ただし、作品の主体はSFではなく、台湾人の複雑なアンデンティティ(中国本土の難民なのか、独立した台湾人なのか)を追及した一般小説にある。それは、本書の中では、手塚治虫へのオマージュ「緑の猫」で、アメリカで独自に生きようとする女と台湾に帰った夫という関係に顕れている。SFに絞れば、「子供の将来」「夢の切断者」は文明批評的だし、「銅像都市」「夜曲」等はアイデアと皮肉な結末が効いている。大半の作品で古風な男女関係が描かれているけれど、20〜30年前(の極東儒教文化圏)と思ってみれば当たり前かもしれない。
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