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第10回日本ホラー小説大賞の大賞受賞作。作者は1961年生まれで神戸出身、現在同志社大学助教授を勤め数冊の著作もある。本書は受賞作を含めて、4つの作品を収めた短編集である。 受賞作「姉飼」はこんな話だ。主人公は村の奇祭で、夜店に売られる“姉”を見た。それは杭に串刺しにされた生き物で、刺し貫かれているにも関わらず見物客を凶暴に威嚇する。しかし、姉の外見は、大人の凶女そのものだった。やがて、少年だった主人公は大人になり、姉に魅入られ溺れていく。 「キューブ・ガールズ」は、インスタント食品のように製造される女の子のお話である。その女の子は自分を“解凍”した男を前に、無意味な饒舌を垂れ流す。 「ジャングル・ジム」は、公園に置かれたジャングル・ジムを擬人化したお話。擬人化というと正しくないかもしれない。文字通りそれは生きているのである。 「妹の島」は、繰り返される殺人事件のお話。その舞台は、一面を果樹で埋め尽くした島である。昆虫の群れ、中でも有毒な大型蜂が島の住人を襲い始める。 ――という、4編。何れの作品も世界の特異性が特徴になる。「姉飼」では祠部矢(しぶや)、脂神輿(あぶらみこし)、蚊吸豚(かすいぶた)といった言葉の不思議さと、姉遊びで崩れていく男の運命が印象的だろう。現実世界とのアナロジーが透けて見える点は、(世界の底の浅さとも解釈できるため)ちょっと気になるが。
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第4回小松左京賞の受賞作。作者は1964年生まれで神戸出身、海星女子学院卒。ASAHI-Netのパスカル文学賞、堀晃の同人誌「SOLITON」(桓崎由梨名義)でも活躍した。震災で父親を亡くす体験もしたという。 近未来(おそらく100年以内の未来)の火星。植民化が進み、地表はパラテラフォーミングという部分的な地球化技術(大規模なドームを組み合わせ、巨大な空間を創出)により、居住地が拡大されていた。主人公は刑事だったが、犯人を護送中に奇妙な幻覚に襲われ意識を失う。目覚めた彼は、相棒の刑事殺しの容疑を着せられていた。幻覚の正体は何か、真犯人は誰か――捜査が何者かの圧力で封じられる中で、彼は遺伝子操作で生まれた“プログレッシヴ”である一人の少女と出会う。 パラテラフォーミングの本格的な描写は本書が初めてかもしれない。しかし、ここに描かれたお話の大半は、既出のアイデアを前提としている。たとえば、軌道エレベータを巡るシーンはキム・スタンリー・ロビンスン『レッド・マーズ』を思い起こす。それもそのはずで、現在の火星は、さまざまなテラフォーミング(地球化の意味)の検討が科学的に加えられた、きわめて“現実的な”世界なのだ。 ロビンスンの火星もオリジナルのアイデアではない。今現在、火星への有人飛行すら危ぶまれる状況だが、それは単に採算至上主義が幅を利かせているからに過ぎない。価値観などすぐに変わってしまう。火星が実現性の検討に軸足を移した世界であるのは確かだろう。 そこで本書は、超共感性を持つ次世代人類 を少女の形で登場させ、直情型の刑事との絡みを交えることで、現実とは違うフィクションを創造した。文章や構成の完成度も高く、読んでいて安定感がある。昨今の傾向と比較すると、結末はちょっとソフトすぎるかもしれない。ただ、その分後味が爽やかなお話になっている。
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今年8月号の「文學界」に掲載された中篇。来年著者は70歳を迎える。これは5年前の『敵』で想定した年齢、75歳とのちょうど中間点にあたる。『敵』では、死が主要なテーマだった。著者自身を思わせるエピソード(餅を喉に詰めて窒息死を意識したことなど)も含め、本書のテーマは“死後”である。 主人公は、過去のさまざまな事件を思い出している。彼は、たくさんの仕事を経て裏社会で富を得た。小学校のころふざけて朝礼台から落とした友人は、一生片足を悪くする。ガキ大将だった少年はヤクザに、片足の友人は大企業で成功する。しかし、そのとき仲間だった3人の運命は、後の人生で交わることなく、彼らが今存在する死後の世界“ヘル”で明らかになる。喜怒哀楽が失われ、ただ好奇心のみが残ったヘルの住人たちが知る、さまざまな死のありさまは、いつの間にか主人公たちの周囲を巻き込む騒動へと連なっていく。 リチャード・マシスン『奇蹟の輝き』も、ある意味でこの“ヘル”を描いた作品だ。そこは死後を信じない迷える人々が集う世界で、信仰心の有無が同じ世界を天国/地獄と解釈させると説く。まったく立場は異なるものの、本書で描かれる地獄が認識の中間点である点は、どこか似ているのかもしれない。ヘルに集う人々は、やがて、さらに次の階梯へと去っていくのだから。
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本年(2003年)のヒューゴー賞ノヴェレット部門受賞作。昨年は長編部門でAmerican Godsが受賞(未訳)しているので、2年連続の受賞になる。といっても、本書は児童向けファンタジイであるから、この高評価には、前年の長編の影響が大きいのだろう。 古い大きな家に越してきた少女コララインと両親は、ある日開かずの扉の向こうから侵入した魔女に連れ出され、鏡の反対側の世界に迷い込む。そこは、コララインのいた世界とよく似ている。魔女自身、母親とそっくりなのだが、目がまるでボタンのようで生気がない。少女は魔女に知恵比べで挑む。 コララインは両親と共に住んでいる。けれど、両親共に在宅勤務であまりかまってもらえない。扉の向こうに開けた世界は、彼女に取り入ろうとするが、実は魔女の作り出した邪悪な世界である。本書は童話のスタイルで作られ、そのように翻訳されている。しかし、設定はニール・ゲイマン流のダークなものであり、闇の底でランプが作り出すような、独特の影の濃さを感じさせるものだ。お話は他愛ないレベルなので、作者特有の雰囲気を楽しめるかどうかがポイントだろう。 ダークでありながらブラック(残酷)ではない。同じ設定を他の作家が書いても、決してこんなお話にはならないのである。
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