2009/3/1
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鈴木光司が10年ぶりに出版した、新作ホラー長編である(5年前の「野生時代」連載に加筆修正を加えたもの)。
主人公はフリーライター。父親の失踪という過去を持つ彼女は、一家失踪事件を追ううちに、日本中/世界中で同種の事件が頻発していることを知る。普段の生活を残し、何の動機もないままに、無数の人々が消え去っている。それだけではない。無理数で知られるΠ(パイ)の計算結果が、ある桁数を超えると0の列になってしまうのだ。宇宙から物理法則にまで、一体何が起ころうとしているのか。真相を探るうちに、彼女は父親の影を再び感じるようになる。
そもそも、著者は数学の定理/定数と、プランク定数といった物理定数とを混同している。前者の変化を本当に描写できたのなら、本書のユニークさも高まっただろうが、たぶん、それでは円城塔のようなお話になってしまう。また、物理定数が変化したらというアイデアは、小松左京の短編「こういう宇宙」でも書かれている。ただし、科学を適度に誤解した“非科学SF”の前例にはJ・P・ホーガンらもいるので、必ずしも悪いことではない。ヴェリコフスキーの影響で書かれたホーガン『星を継ぐもの』は、1981年の星雲賞を取るなどファン絶賛の作品ながら、ニュートン物理学すら満たされていないと批判された。しかし、お話の上で筋が通っていれば読者には受け入れられるのだ。それより、本書の結末のあまりに古典的なオチが、著者自身が主張する「世界でも鈴木光司にしか書けない小説」に相応しいかが問題だろう。
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2009/3/8
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昨年11月に出た、2008年第20回日本ファンタジーノベル大賞、大賞受賞作『天使の歩廊』、と優秀賞『彼女の知らない彼女』である。2作が選ばれた場合、対照的な作品となることが多いが(例えば、第16回の平山瑞穂と越谷オサム)今回も例外ではない。中村はデビュー作、里見にはノベライズを中心に既に12冊の著作がある。
『天使の歩廊』:天使に魅せられた孤高の建築家のエピソードを、オムニバス風に描いた作品である。明治14年誕生、大正3年-子爵の未亡人から依頼された鎮魂の家、明治20年-少年の頃に見た鹿鳴館、昭和6年-大津に建てられた探偵小説家の迷宮、明治37年-東京帝国大学の卒業計画で設計された建物、大正8年-海外視察中の妻の死、大正13年-資産家の夫人が望む川を跨ぐ家、昭和7年-満州への渡航、という輻輳した時間の流れで構成されている。
『彼女の知らない彼女』:マラソンランナーで国民的アイドルの夏希が怪我で故障、このままでは2016年東京オリンピックの予選会に間に合わない。スポンサーからも責められ困り果てたコーチは、パラレルワールドの夏子をスカウトし、替わりに出場させることを思いつく。マラソン未経験者の夏子だったが、才能は夏希と変わりないはず。思惑どおりにトレーニングは進み、やがて、最大の難関名古屋国際の当日になる。
前者は何といってもテーマがユニークであり、選者の評価もその点に集まっている。狂気を孕んだ自由な建築は、法的な制約が少なく、資産家が生まれた関東大震災前までの大正期に多い。そういった時代を舞台に、レトロでエキゾチックさを感じさせる点が面白いのだろう。ただし、本書の建築物は意外にビジュアルではない。建築をテーマに据えながら、どちらかといえば建築家の生きざまに焦点を絞ったようだ。
最新の宇宙論は、後者のような小説を書くには大変便利にできている。何しろ、多世界解釈/多次元世界ではあらゆる可能性が存在するわけだから、どんな願望充足も思いのまま。並行世界間を移動する描写は極めてチープ(『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のパロディ)なのだが、そこは著者も承知の上だ。本書の見どころは、マラソン初心者の主人公が、走りに目覚めていく過程にある。ファンタジイ的な要素は薄く、ライトなスポーツ小説になっているため、かえってファンタジーノベル大賞の中では目立ったのだろう。
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2009/3/15
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ニール・ゲイマンの代表作となる長編で、2001年に刊行され、ヒューゴー賞(2002年)、ネビュラ賞(2003年)、ローカス賞(2002年)、ブラム・ストーカー賞(2002年、それぞれ最優秀長編)等を受賞したもの。
主人公が3年の刑期を終えて出所する直前に、彼を待っていたはずの妻が事故死する。帰郷の旅は、何の安らぎにもならなかったが、そこで彼は奇妙な初老の男から仕事の依頼を受ける。アメリカには移民たちとともに、無数の神々たちが棲みついてきた。しかし、今ここで大きな勢力の変動が起ころうとしているのだという。神なき国アメリカで、社会の底辺に押し込められてきた神々たちを訪問する不可思議な任務が始まる。
欧米の一神教社会からすれば、八百万の神々というのは原始的な存在である。まして、キリストの神よりも金銭やITを崇めたてる現代アメリカでは、神すら使い捨ての消耗品と化しているのかもしれない。神々が生きているとは、どういうことなのか。多神教(例えばヒンドゥー教)では、神の盛衰が明確に表われる。ある時代に絶大に崇拝された神が、次の時代になると顧みられず衰退する。つまり、神は人々の信心する心によってのみ生き永らえる。忘れられた神は死ぬ。そういった人間と神との関係を、斬新に描き出したのが本書だ。主人公の秘密を交え、死に行く古代の神たちが、現代の軽薄な神たちと対立し、あるいは反目し合いながら結末へと雪崩れ込んでいく。半ば冗談のようなテーマながら、アメリカ社会の本質を感じさせる出来上がりとなっている。
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2009/3/22
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西澤保彦のSF短編集である。SF小説という分野は残念なことにマーケットが狭く、たくさんの作家を抱えるだけのキャパシティはない。そのため、かつてSFに憧れた少年少女たちの多くは、ミステリや一般文学の作家に身を変じ、密かに反攻の機会をうかがっている…ということなのかどうなのか、デビュー以来14年の実績を積んだ西澤保彦が、満を持して“SF”(帯には“非ミステリ”と書かれている)を謳った作品集を出した。
シュガー・エンドレス(2007):砂糖の誘惑に獲り憑かれた主人公は、家族の味覚を次第に犯していく
テイク(1999):国防総省が絡む秘密実験とは、“遡行性自我”の解析を行うものだった
家の中(1999):主人公の幼い頃、家の中には誰にも見えない老婆が暮らしていた
虫とり(2009)*:月面にある“D星人”たちをデバッグする男たちは、やがて奇妙な事実に気がつく
青い奈落(2000):独身を通したフリーカメラマンの女性は、上下が逆転し空へ落ちていく妄想に囚われる
マリオネット・エンジン(書下ろし)*:臓器だけでなく、容貌や性別さえも人工的に交換可能な社会
*…デビュー以前の習作がベース
本書に収められた作品は、さすがにSFを標榜するだけにハードなものが多い。「テイク」「虫とり」「マリオネット…」などは、自意識、人工知能と人間性、肉体の自由改変というSFの典型的なアイデアで書かれている。「シュガー…」はトンデモ系科学を皮肉に捻ったもの、「家の中」「青い奈落」はワンアイデアを膨らませたもの……という意味では、ジャンルSFに則っている。ただ、ミステリ作家らしい理屈の展開のためか、大テーマの追求よりディティールの説明に稿を費やし過ぎているように感じる。
なお、表紙は加藤直之のデビュー作品である(1974年の1回だけ存在した、ハヤカワSFコンテスト「SFアート部門」入選作)。著者の希望で転載されたが、この絵自体画集にも未収録だったもの。
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2009/3/29
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早川書房から新創刊された叢書<想像力の文学>の第1回配本は、田中哲弥の短編集と瀬川深の長編である。SFコアを目指す<Jコレクション>とは異なり、「ジャンルの境界を超越する」として、創作版の<プラチナ・ファンタジイ>を意図したものだろう。当然のことながら、第1回には叢書を象徴する作品が選ばれるため、田中哲弥の位置付けは重要になる。
猿駅(1999):幼い頃別れた母親と会うために降りた無人駅は、無数の猿たちに埋め尽くされている
初恋(1999):寄合の儀式に供せられる15歳になった初恋の少女
遠き鼻血の果て(2000):朝起きると、主人公は流れ出した鼻血に固められた浴槽にいる
ユカ(1998):誰からも忘れられ、記憶に残らない女がたどり着いた行動
か(2002):そのセールスマンは、蚊に対して強迫的な執着心を持っている
雨(2007):娘が入院したと聞いた男は、降りしきる雨の中、タクシーを走らせて病院までたどりつく
ハイマール祭(2001):田舎の村に派遣された男は、奇妙な風習の主役に祭り上げられる
げろめさん(2001):夢の中のような学校の中で聞く“げろめさん”の怪談
羊山羊(2007):部下の妻が“羊山羊”に感染する。それは深層の欲望を開放する病である
猿はあけぼの(1993 未発表作):知能が飛躍的に向上し、人と見分けがつかなくなった猿が彷徨う神戸の町
直前の作品集『ミッションスクール』が出たのは2006年。3年ぶりだが、収録作品の時期には大差がない。寡作に変わりはないようだ。本書は、表題作が「猿駅」「初恋」であることでも分かるように、著者独特の幻想性を強調した内容となっている。特に「初恋」は、“グロテスクであるが切ない”という、非常にユニークな作品であり、発表当時大きな反響を呼んだ。田中哲弥は、スラップスティックな《大久保町シリーズ》の人気が高い。そういった点から、筒井康隆の影響を感じることも出来る。しかし、各作品の主人公が持っている気弱さ/後ろめたさのような、ある種背徳的な機微は、おそらくこの著者でしか表現できない感性だろう。中では、長年未完成のまま(一部が)公開されていた「猿はあけぼの」が完成した形で読めるのが嬉しい。
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昨年5月に『鼓笛隊の襲来』が出てから半年余りで、三崎亜記の新作短編集が出た(1月刊)。こちらは「小説すばる」収録作が中心になっている。人気作家らしく、雑誌掲載後1年を待たずに単行本化されたわけだ。
七階闘争(2008/7):犯罪や事故が多発するという理由で、町中の7階が“撤去”されることになった
廃墟建築士(2007/3):世界水準の廃墟を作るため、廃墟の設計者たちが目指したものとは
図書館(2008/10):夜半を過ぎると、図書館は野生を取り戻し、本たちが飛翔するようになる
蔵守(2008/11):いつとも知れない古代から連綿と残る“蔵”を管理する蔵守たち
「七階闘争」、「廃墟建築士」は、住民運動や環境保護/公園行政といった現実社会のパロディと読める。一方、「図書館」(2005年の「動物園」と同じ主人公が登場する)や「蔵守」に至ると、よりファンタジイの度合いが高まっている。その分、世界構築の必要性が増しているようだ。野生化した本が飛翔するというイメージは、スラデックの短編(「教育用書籍の渡りに関する報告」)にもある。しかし、リアルな図書館にそのような設定を持ち込むのであれば、バックグラウンドを明確化しなければいけない。本書のお話は御伽噺ではない(そのように書かれていない)。非生命の野生とは何か、本が飛ぶとはどういう意味なのかの背景がないと、物語のリアリティが失われてしまう。日常をほんのちょっと踏み外したところから始まった著者の作品だが、ここにきて新たな領域に入りつつあるように思える。
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