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二人称「あなた」とは、主人公の娘のことだ。しかし、それは同時に本書を読むあなたであり、人類すべてを記述する1つの記号のことでもある。すべての人生が、たった1つの文字=記号に凝集され、物語られるのである。
アイデアの作家ではあるが、チャンの場合アイデアはあくまでも物語の一面にすぎない。たとえば表題作は、異星人とのコミュニケーションと、主人公の娘の一生(なぜ、主人公が娘に向かって二人称で語りかけているのかが肝要)が、異星の文字(事象を1語で認識できる)を交点にして焦点を結ぶ。お話の構造としても大変に美しい。本書には、ファンタジイも多く含まれている。作者は、魔法は科学と違って、人の意識がより大きな位置を占めるから興味があると語る。「バビロンの塔」や「七十二文字」は、世界の謎を魔法で解き明かす物語だ。よく似た作風のイーガンは、
科学でも、客観とは相容れない領域に興味を向けるが、どちらもSFの手法を使っている点は共通している。SFを知らない一般読者向けには、むしろ世界の解明を伴わない「地獄とは…」や、「ゼロで割る」の夫の心理に共感できるだろう。
「地獄とは…」は、よくキリスト教的な世界観を引き合いに出して難解さを論じられているが、そもそも作者は熱心なクリスチャンではない。これは、理不尽な自分の運命に、意味を見出そうとする人の執念の物語なのである。特異な世界/特異な事件から、人間の意識の奥底が違和感なくつながって見える。
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その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりに小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。 その国は、45ヶ国もある。どこか辺境に固まりあって存在するようでもあり、世界の各地やさまざまな年代に遍在するようでもある。ある国は現実の戯画、ある国は映画の物語を鏡のように映し出し、ある国は美しい幻想を、ある国は恐怖の様相を見せてくれる。さまざまな王、さまざまな賢者と愚者がおり、奇妙な住民たちがさまざまな愛憎を奏でている。 たとえば、ある恋人はその国から出たら足を地面に着けられず、ある国の人々は望遠鏡を肌身離さず、ある国は数年毎に死と再生を繰り返し、ある国は異形の人々の棲む町で、ある国では花を手に戦いに赴き、異邦人を見ると逃げ回る国や、魔王の機械の秘密が潜む国、野蛮と烙印を押された国、風が吹きすさぶ国、そして女だけの国がある。 そのどの国も地図にはない。けれど、そのどの国にも、何かしらの教訓や揶揄、伝説や冒険、そして我々の誰かを連想させる物語があって、わずか5ページほどの小さな空間に、ちょっとした宇宙を垣間見せてくれるのである。
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ホラー作家小林泰三の、『海を見る人』に続くSF短編集。前作が“世界の物語”と
すると、本書は“法則の物語(世界を説明する物語)”といえるかもしれない。
「空からの…」は、まるでロバート・L・フォワード『竜の卵』のような作品。客観的で物理的な現象が、観測する側/される側でまったく違って見えるという、本書のテーマを端的にあらわした作品でもある。「未公開実験」では、最近のSFでよく書かれる例のネタと、これもよくあるタイムパラドクスとが巧妙に組み合わされている。前者のネタによって後者を説明するというのは、本編が初めてかもしれない。時間テーマは、デビュー短編集に収められた「酔歩する男」以来、作者の課題であるようだ。「予め決定…」では、手計算でシミュレーションされた世界=仮想空間が描かれている。ありふれた仮想空間=現実世界のオチに、周到な理屈で別の説明が付けられている。アイデアだけを見ると旧来のものだが、アイデアを構成する法則/原理は、まったく新規のものだろう。
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伝説の作家の書き下ろし。山尾悠子がどれぐらいの伝説だったかは、下記にある菅浩江のエッセイに詳しい。先に出た『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)は、基本的に過去の作品の復刻/再刊だったのだが、本書は23年ぶりの長編になる。 夜の乗換駅で、わたしは深夜の画廊に置かれた、小さな3枚の銅版画に見入る。冬眠者を投げ捨てる従者、寝室に眠る人物と人形、広大な邸宅の庭園で落ち葉を焚く老人と若者…。 いつの時代か、<冬の館>と呼ばれる広壮な貴族の館がある。そこは、<巨人の棟>とそれに続く<塔の棟>から成り立っている。<塔の棟>には大小無数の尖塔があり、冬の訪れとともに、館の主人たちが冬眠に赴くのである。その世界の人々は、1年を通して目覚めている従者たちと、春から秋まで目覚め、冬中を眠る貴族たちの2つの階級に分かれている。ただ、その年の冬はいつも通りではない。季節外れの豪雨、予期せぬ地震、伝染病の蔓延の中で、館は混乱に陥る…。 近未来を思わせる日本、人口が減少し、至る所に衰退の兆しが忍び寄っている。祖母の葬式に戻ったわたしは、冬の眠りのはざまに、生みの母親と飼い犬の思い出を蘇らせる…。 ありきたりの感想かもしれないが、本書からは、マーヴィン・ピークの『ゴーメンガースト』(3部作)の舞台を思い浮かべることができる。壮大な尖塔の群れと、そこに住むエキセントリックな登場人物が印象的だ。晩秋から初冬という、今の季節に読むには好適な一冊といえる。<冬の館>の世界について言えば、『作品集成』にあるような往時の緻密さに、まだ少し欠ける印象。
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『ロケットの夏』の川端裕人が描き出す、“星の声”(SETIによる知的生命探査を意味する)に憑かれた男の物語。と同時に、この男は1960年という時代そのものの再演者でもある。 大阪の郊外、主人公たち3人の中学生は、まだ自然が残る裏山に奇妙なドームを発見する。外観は田舎の古ぼけた屋敷だったが、その中には彼らの知らないさまざまな書籍や音楽、そして小規模ながら電波望遠鏡が置かれていた。電波望遠鏡で、宇宙の深遠に繁栄する異星文明の声を探そうとしているという。主は風采が上がらない30代の男で、「せちやん」と呼ばれていた。少年たちは、せちやんの家に入り浸り、やがて“星の声”は彼らの人生に重要な意味を及ぼす…。 せちやんと分かれた後の主人公は、大学でプラネタリウム製作にのめり込こみ、やがて金融会社でデリヴァティヴ取引に没入、バブルが崩壊すると活況に踊るアメリカのIT業界へ、しかし、自堕落な生活に溺れるうち無一文へと転落する。物語の終幕で、せちやんとは無縁の人生と思っていた主人公に、再び彼の役割を担う運命が待ち構えている。そして“星の声”の正体もまた明らかにされるのである。 結局のところ、彼が聴き/視たと思った宇宙の声/宇宙の視界とも呼べるヴィジョンは、主人公の人生そのものを実は支配している。作者の見る60年代生まれの“流されてきた”生きざまは、この結末と等しいのかも知れない。ちょっと悲しすぎるように思えるが。
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