2003/10/5

テッド・チャン『あなたの人生の物語』(早川書房)
Stories of Your Life and Others,2002(浅倉久志他訳)

Cover Illustration&Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 二人称「あなた」とは、主人公の娘のことだ。しかし、それは同時に本書を読むあなたであり、人類すべてを記述する1つの記号のことでもある。すべての人生が、たった1つの文字=記号に凝集され、物語られるのである。
  1. バビロンの塔(1990):天まで届く塔を建設し、ついに天頂の壁に達した男のたどり着いた世界とは
  2. 理解(1991):脳内の神経線維を再生する治療は、主人公に驚くべき“理解力”をもたらす
  3. ゼロで割る(1991):数学を根底から否定する証明を導き出した、数学者である妻と夫
  4. あなたの人生の物語(1998):異星人との接触がもたらした全く新しい文字で、表現された主人公の娘の物語
  5. 七十二文字(2000):非生物に生命を与える、ある種の呪文“名辞”の命名師に課せられた新たな使命
  6. 人類科学の進化(2000):優れた新人類の叡智を知るには、理解できるものをひたすら“解釈”する道しかなかった
  7. 地獄とは神の不在なり(2001):天使の降臨が天変地異を引き起こす世界で、その意味を追いつづける人々の命運
  8. 顔の美醜について(2002):美醜を感じ取る機能を遮断する運動は、社会の差別をなくすとされたが…

 アイデアの作家ではあるが、チャンの場合アイデアはあくまでも物語の一面にすぎない。たとえば表題作は、異星人とのコミュニケーションと、主人公の娘の一生(なぜ、主人公が娘に向かって二人称で語りかけているのかが肝要)が、異星の文字(事象を1語で認識できる)を交点にして焦点を結ぶ。お話の構造としても大変に美しい。本書には、ファンタジイも多く含まれている。作者は、魔法は科学と違って、人の意識がより大きな位置を占めるから興味があると語る。「バビロンの塔」や「七十二文字」は、世界の謎を魔法で解き明かす物語だ。よく似た作風のイーガンは、 科学でも、客観とは相容れない領域に興味を向けるが、どちらもSFの手法を使っている点は共通している。SFを知らない一般読者向けには、むしろ世界の解明を伴わない「地獄とは…」や、「ゼロで割る」の夫の心理に共感できるだろう。 「地獄とは…」は、よくキリスト教的な世界観を引き合いに出して難解さを論じられているが、そもそも作者は熱心なクリスチャンではない。これは、理不尽な自分の運命に、意味を見出そうとする人の執念の物語なのである。特異な世界/特異な事件から、人間の意識の奥底が違和感なくつながって見える。
 10年で短編集1冊分、寡作と言わざるをえない。下のインタビューで本人が述べているように、書く衝動に任せるタイプではなく、アイデアを得てからそれを練り上げるため、なかなか数が稼げないという (この書き方だと、どうしても情熱より様式美重視になる)。本書でついたファンが読む次の作品がないというのは、少々残念。 

bullet テッド・チャンのインタビュー
SF Site(2002年7月)に掲載されたインタビュー。
bullet もうひとつのインタビュー
Interzone誌(2002年9月)に掲載されたインタビュー。

2003/10/12

佐藤哲也『異国伝』(河出書房新社)

カバー:ジョセ・デ・モンペール
 

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりに小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
 その国は、45ヶ国もある。どこか辺境に固まりあって存在するようでもあり、世界の各地やさまざまな年代に遍在するようでもある。ある国は現実の戯画、ある国は映画の物語を鏡のように映し出し、ある国は美しい幻想を、ある国は恐怖の様相を見せてくれる。さまざまな王、さまざまな賢者と愚者がおり、奇妙な住民たちがさまざまな愛憎を奏でている。
 たとえば、ある恋人はその国から出たら足を地面に着けられず、ある国の人々は望遠鏡を肌身離さず、ある国は数年毎に死と再生を繰り返し、ある国は異形の人々の棲む町で、ある国では花を手に戦いに赴き、異邦人を見ると逃げ回る国や、魔王の機械の秘密が潜む国、野蛮と烙印を押された国、風が吹きすさぶ国、そして女だけの国がある。
 そのどの国も地図にはない。けれど、そのどの国にも、何かしらの教訓や揶揄、伝説や冒険、そして我々の誰かを連想させる物語があって、わずか5ページほどの小さな空間に、ちょっとした宇宙を垣間見せてくれるのである。

bullet 『見えない都市』評者の紹介文
イタロ・カルヴィーノが描く55の架空の都市の物語。
bullet 『妻の帝国』評者のレビュー  
bullet 『ぬかるんでから』評者のレビュー
 

2003/10/19

小林泰三『目を擦る女』(早川書房)

カバーイラスト:笹井一個、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン
 

 ホラー作家小林泰三の、『海を見る人』に続くSF短編集。前作が“世界の物語”と すると、本書は“法則の物語(世界を説明する物語)”といえるかもしれない。
  1. 目を擦る女(1999)隣人の女はしきりに目を擦って、自身が目覚めないようにしているという
  2. 超限探偵煤i2001):不可能犯罪解明を目的 とする探偵は、驚くべき事実にたどりつく
  3. 脳喰い(2001):遭遇した異星人は、人類の脳を喰らう侵略者だったが…
  4. 空からの風が止む時(2002)永遠の風が吹くすさぶ世界に訪れる大異変の瞬間
  5. 刻印(2002)蚊にそっくりな姿をした異生物との恋の顛末
  6. 未公開実験(書き下ろし)タイムマシンを発明したと主張する男の根拠とは
  7. 予め決定されている明日(2001):世界をシミュレーションする“手計算”で作られた世界で、生きる女の運命

 「空からの…」は、まるでロバート・L・フォワード『竜の卵』のような作品。客観的で物理的な現象が、観測する側/される側でまったく違って見えるという、本書のテーマを端的にあらわした作品でもある。「未公開実験」では、最近のSFでよく書かれる例のネタと、これもよくあるタイムパラドクスとが巧妙に組み合わされている。前者のネタによって後者を説明するというのは、本編が初めてかもしれない。時間テーマは、デビュー短編集に収められた「酔歩する男」以来、作者の課題であるようだ。「予め決定…」では、手計算でシミュレーションされた世界=仮想空間が描かれている。ありふれた仮想空間=現実世界のオチに、周到な理屈で別の説明が付けられている。アイデアだけを見ると旧来のものだが、アイデアを構成する法則/原理は、まったく新規のものだろう。

bullet 『竜の卵』評者の紹介文
中性子星にすむ生命の誕生と進化の物語。
bullet 『海を見る人』評者のレビュー

山尾悠子『ラピスラズリ』(国書刊行会)

装丁:柳川貴代
 

 伝説の作家の書き下ろし。山尾悠子がどれぐらいの伝説だったかは、下記にある菅浩江のエッセイに詳しい。先に出た『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)は、基本的に過去の作品の復刻/再刊だったのだが、本書は23年ぶりの長編になる。
 夜の乗換駅で、わたしは深夜の画廊に置かれた、小さな3枚の銅版画に見入る。冬眠者を投げ捨てる従者、寝室に眠る人物と人形、広大な邸宅の庭園で落ち葉を焚く老人と若者…。
 いつの時代か、<冬の館>と呼ばれる広壮な貴族の館がある。そこは、<巨人の棟>とそれに続く<塔の棟>から成り立っている。<塔の棟>には大小無数の尖塔があり、冬の訪れとともに、館の主人たちが冬眠に赴くのである。その世界の人々は、1年を通して目覚めている従者たちと、春から秋まで目覚め、冬中を眠る貴族たちの2つの階級に分かれている。ただ、その年の冬はいつも通りではない。季節外れの豪雨、予期せぬ地震、伝染病の蔓延の中で、館は混乱に陥る…。
 近未来を思わせる日本、人口が減少し、至る所に衰退の兆しが忍び寄っている。祖母の葬式に戻ったわたしは、冬の眠りのはざまに、生みの母親と飼い犬の思い出を蘇らせる…。
 ありきたりの感想かもしれないが、本書からは、マーヴィン・ピークの『ゴーメンガースト』(3部作)の舞台を思い浮かべることができる。壮大な尖塔の群れと、そこに住むエキセントリックな登場人物が印象的だ。晩秋から初冬という、今の季節に読むには好適な一冊といえる。<冬の館>の世界について言えば、『作品集成』にあるような往時の緻密さに、まだ少し欠ける印象。

bullet 『夢の棲む街・遠近法』評者のレビュー
bullet 『仮面物語』評者の紹介文
著者が復刊を希望していないといわれる幻の処女長編(1980)、中篇版のみ『作品集成』に収録。  
bullet Nova Quarterly菅浩江のエッセイ
 

2003/10/26

川端裕人『せちやん』(講談社)

装幀:鈴木成一デザイン室、装画:影山徹
 

 『ロケットの夏』の川端裕人が描き出す、“星の声”(SETIによる知的生命探査を意味する)に憑かれた男の物語。と同時に、この男は1960年という時代そのものの再演者でもある。
 大阪の郊外、主人公たち3人の中学生は、まだ自然が残る裏山に奇妙なドームを発見する。外観は田舎の古ぼけた屋敷だったが、その中には彼らの知らないさまざまな書籍や音楽、そして小規模ながら電波望遠鏡が置かれていた。電波望遠鏡で、宇宙の深遠に繁栄する異星文明の声を探そうとしているという。主は風采が上がらない30代の男で、「せちやん」と呼ばれていた。少年たちは、せちやんの家に入り浸り、やがて“星の声”は彼らの人生に重要な意味を及ぼす…。
 せちやんと分かれた後の主人公は、大学でプラネタリウム製作にのめり込こみ、やがて金融会社でデリヴァティヴ取引に没入、バブルが崩壊すると活況に踊るアメリカのIT業界へ、しかし、自堕落な生活に溺れるうち無一文へと転落する。物語の終幕で、せちやんとは無縁の人生と思っていた主人公に、再び彼の役割を担う運命が待ち構えている。そして“星の声”の正体もまた明らかにされるのである。
 結局のところ、彼が聴き/視たと思った宇宙の声/宇宙の視界とも呼べるヴィジョンは、主人公の人生そのものを実は支配している。作者の見る60年代生まれの“流されてきた”生きざまは、この結末と等しいのかも知れない。ちょっと悲しすぎるように思えるが。

bullet 『ロケットの夏』評者のレビュー
bullet 『竜とわれらの時代』評者のレビュー
bullet著者があとがきで引用する関連サイト
SETI研SETIリーグ(北米)大平ホームページ(プラネタリウム個人製作 )

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