昨年(2001年)の7月に出た『ロボット21世紀』(文春新書)と連動して書かれた、一連の短編を集成したものである。作品は、短い挿話を挟んで、オムニバス風に組み立てられている。各タイトルはSFの古典を思わせる。内容はSFの重要なテーマであった“ロボット”と、それに関わる人々との接点を描いている。
ただし、著者はロボット自体をテーマにしたわけではない。本書の主人公は、“インターフェース”なのである。
たとえば、
「ハル」では、人間の挙動をまねるロボットの中に、生命の“魂”を感じ取る人々。
「夏のロボット」では、子供の頃の夏休みに出会ったロボットに“知性”を見出す少女。
「見護るものたち」では、地雷探査ロボットに賭ける主人公と、現地人の少女との交点。
「亜希への扉」では、ロボット・コンサルティングの主人公と、小学生の少女との触れ合い。
「アトムの子」では、年老いたロボット工学者が育む真の“アトム”の姿。
本書の世界は、近未来の、架空の歴史の上に成り立っている。爆発的なブームを経てロボットが社会に浸透し、それを媒介(パラメータ)にして、さまざまな出会いが生まれる。最後に、ブームの基点である“アトム”へ物語は収斂していく。手塚治虫のアトムは、研究者がロボットを開発する動機
ともなった。なぜ、アトムが研究者の共通項だったのか、なぜアトムは単なる機械ではないのか、ロボットとは(ペットのような)生き物なのか。いくらロボットが人に近く見えても、ロボット=人ではない。我々は外部から観測し、解釈を下すだけである。
最初に書いた“インターフェース”とは、人とロボットとの接点をさす。瀬名秀明は、本書でその意味の一端を示してくれる。
著者の作品の多くは、科学に取材しながらも、それ自身を主題には選ばない。登場人物の“思い”への執着がある。その点では、(かつて)悠久の時が主人公といいながら、人間の行動に終始こだわっていた光瀬龍に近い面があるのかもしれない。
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