S・P・ソムトウ『ヴァンパイア・ジャンクション』(東京創元社) 『スターシップと俳句』以来16年、S・P・ソムトウ=ソムトウ・スチャリトクルの翻訳がようやく出た。といっても、原書は1984年の作品になるので、1981年の『スターシップ…』とさほど離れてはいない。 12歳の美少年ロックスターは、実は千年を生きた吸血鬼である。しかし、彼は自身のルーツを探すために1人の精神分析医にかかる。甦る過去、アウシュビッツ、美少年の虐殺者青髭公、神話の預言者シビュラの記憶。そして、60年前の黒魔術の儀式に参加した老いた指揮者と、主人公ヴァンパイアとの間には不可分の秘密が隠されていた。 本書は、一見まともなヴァンパイアものに見えるが、登場人物の行動には、いささかトンデモ的要素が見られて、その点『スターシップ…』とも共通する。例えば、猥雑で異端的な雰囲気で描写される、タイ辺境に住む少数民族とか、タイの王子(自分がモデル?)、放火魔の老指揮者、鉄道オタクな吸血鬼などなどは、深刻というより滑稽かもしれない。物語の最期では、吸血鬼ものの定番、追跡と虐殺のホラー風となり、主人公の心に潜むユング的元型までが明らかになる。 著者はタイ人だが海外生活が長く(ケンブリッジ大学卒)、「タイ」や「アジア」は、ある意味でカズオ・イシグロらの描く「日本」とよく似た関係といえるかもしれない。つまり、人種的には近いが、育った文化的には全く異質であるという意味で、まさに感性の溝の深さを知ることができるわけである。自身のルーツである文化に対する姿勢が、倒錯的なのが面白い。
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吉川良太郎『ボーイソプラノ』(徳間書店) 『ペロー・ザ・キャット全仕事』に続く、受賞第1作。 今回の主人公は、前作でも登場した探偵、舞台も同様。近未来、第3次非核大戦が終了した世界は、犯罪者が横行する不安定な都市国家群で成り立っている。そんな中、安全が確保されていたはずの、暗黒街の顔役パレ・フラノ治下の都市で、不可解な殺人事件が頻発する。フラノ子飼いの兵士たちが殺されていくのだ。しかも、目標は都市の頂点にまで及んでいく…。 前作では、猫に憑依する兵器が描かれたが、今回もまたある種の生物兵器が登場する。猫のペローの他、12歳の訳ありの美少年、ラヴクラフト「クトゥルフ」を僭称する犯人、冷酷な警備隊長、主人公を支援する中年警部と、人物像はより多彩になっている。 作者も書いているように、フィリップ・マーロウ風ハードボイルド。という意味では、極めて古いスタイルのお話ではある。しかし、その点は承知の上のようだ。既存のさまざまなガジェット(SF以外の題材を含む小道具)の組み合わせが、この作者の最大のポイントといえる。ハードボイルドとボーイソプラノといった、やおい風(としか思えない)キーワードもあるが、具体的踏み込みはない。 ただし、ハードボイルドとして一挙に読むには、ややお話に淀みが目立つ。
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藤崎慎吾『蛍女』(朝日ソノラマ) 『クリスタルサイレンス』から2年ぶりの新作書き下ろし長編。『クリスタル…』は、ほぼSF本流のアイデアを集積した、複合的内容だった。しかし、それ以降の中短編は、むしろ1つの現象/事件を(SF的解釈で)追及する視点へと収束してきたように見える。事件は、例えば“猫には見えて人には見えないもの”(「猫の天使」)、“赤ん坊にダウンロードされるコンピュータウィルス”(「星に願いを」)といった、ある意味で非科学の領域に近づいてきている。 都会に程近い原生林、IT雑誌編集者である主人公は、廃屋に残された電話から呼び出し音が鳴っていることに気がつく。聞こえてきたのは、森で行方不明になった女からの声だった。女は無数の蛍を使って、自身の姿を浮かび上がらせる…。 本作は、要約してしまうなら“開発で破壊される森による復讐の物語”であり、結局、『もののけ姫』とか『平成狸合戦』とかと同じ物語である。なぜ森が物理的な力を得られるのかを、SFの手法で説明したところに、類作にない新規性がある。とはいえ、題材と展開が、あまりにもありふれているため、ユニークさが際立たないのが難点。また、こういった(ガイア的)オカルト的世界は、SFファンの嫌うテーマでもあるので、評判が気になるところ。
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津原巧『DOOMSDAY−審判の日−』(講談社) 9月に出た第22回メフィスト賞受賞作。いかにもメフィスト賞らしく、既存のどの受賞作とも異なる作品であり、「新本格SF誕生」と謳われている。 南米のジャングルで殺人ツアーに参加していた富豪たちの前に、ロボットのような宇宙人が出現、彼らを皆殺しにする。その後、アメリカの片田舎の町が、突如不可侵のドームに包まれ、閉じ込められた7千人の群集をロボットが殺戮していく…。 本書は、昔ならばショートショートで、(やんわりと)書かれてしまう落し話がベースにある。しかし、本書の力点は、田舎町の住民たちの、死を目前にした人間模様にある。その意味では、このような因果応報的な理由付けは特に必要なかったともいえる。とはいえ、登場人物の会話や行動は概ね冗長なものなので、そもそも本書のドライブ感を支えるものが一体何なのかが気になる。 例えば、人物の頭が悪い(アメリカ大統領を含む)、主人公が極めてわざとらしい悪運の持ち主、宇宙人の意図があまりにも単純、殺戮はいかにもマンガ的と、これらは本書のギャグを示唆する特徴だろう。ギャグの1つ1つはつまらなくとも、繰り返しによる麻薬効果が生まれ、総体としてドライブ感を生むともいえる。とするなら、無意識的な文体効果かもしれない。 あえて類似作を探すと(下記編集者座談会にもあるが)、スティーヴン・キングの『レギュレイターズ』(リチャード・バックマン名義)あたりか。
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