今年も早川書房から「SFが読みたい!
2001年版」が出る。それに合わせて90年代SFベストが選出される。これは、各選者からの推薦作を集計してベストテンとするもの。コメントはつかないので、評者の推薦作と推薦理由を簡単に紹介する。なお、2000年ベストはコメント付きで掲載される。ご参照ください。
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恩田陸『ライオンハート』(新潮社) ケイト・ブッシュのアルバムと、さまざまな絵画、何よりロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』からインスパイアされた連作短編集。というより、オムニバス長編か。 1978年のロンドンで、一人の教授が行方不明となる。彼は、若い女性記者の取材を受けた直後に跡形もなく消え去る。やがて舞台は、1932年のロンドン、1944年ロンドン、1871年シェルブール、1905年パナマ、1603年ロンドン、1969年フロリダ、1855年オクスフォードと、イギリスを中心にめまぐるしく移り変わりながら、時を越えたラヴ・ストーリー、エリザベスとエドワードとの物語を構成していく。 各作品は、ミステリであったりファンタジイであったりする。そもそも、一つのお話にするにも無理がないではない。しかし、作者の背景には、最初に書いたケイト・ブッシュとネイサンがあるわけで、これが背景を貫く屋台骨となっている。矛盾が矛盾に感じられないのは、まあ恩田流の作風というか、人徳といえるかも。 |
浦浜圭一郎『DOMESDAY』(角川春樹事務所) 小松左京賞の佳作受賞作。『エリ・エリ』のテーマと比べ、よりホラーに近い内容であり、今風でもある。 恵比寿ガーデンプレイス(によく似た)郊外都市に、突然直径400メートル弱のドームが出現する。その中にいた人々は、外とは隔絶され、赤く黄昏た世界に閉じ込められる。いったいドームの目的とは何か、神の摂理か、宇宙人による隔離なのか、混乱の中で死と再生のおぞましい儀式が繰り広げられる。 ドーム状の物体でありながら、これは「物体O」でも『首都消失』でもない。そこが、本書のユニークな点といえる。物体の正体は最後まで明かされず、中でSF作家が述べるSF的な解釈も、真実であるか否かは明かされない。むしろ、ゾンビと化した再生者との抗争や、正気を失っていく人々の心理に重点がある。『バトル・ロワイヤル』風サバイバル小説でもあるが、より世界の謎に言及している。 文章や心理描写など、ベテラン並みの旨さを見せながら、やはりこの設定を説明し切れなかった点が喰い足りない。正体を書く必要はなくとも、物語としての必然性を納得させてほしい。 |
筒井康隆『恐怖』(文藝春秋) とある地方都市、そこには多くの文化人が住み、独自の地域社会が作られている。作家である主人公は、買い物の帰り、知り合いの画家が絞め殺されているのを発見する。これが、文化人連続殺人事件の始まりだった…。 日ごろから小説を書いたり論評をしたりの文化人たちは、その感性を売り物にするが故に極めて臆病な人種でもある。疑心暗鬼に陥る主人公は、恐怖のあまり、しだいに正気を失っていく。 とはいえ、本書そのものは凄惨な内容ではないし、救いもある。『わたしのグランパ』につながる、人間味を感じさせる物語だ。 |
斉藤直子『仮想の騎士』(新潮社) 2000年(第12回)ファンタジイノベル大賞優秀賞受賞作。フランスの宮廷もの。太陽王ルイ14世とフランス革命に揺れるルイ16世時代の狭間、ルイ15世治世下で起きた、奇妙な恋と冒険の物語。といっても、ポンパドゥール夫人、詐欺師・色事師カサノヴァ、不死を約束する永遠薬(エリクシール)を目論む、錬金術師サン・ジェルマン伯爵――と、登場人物は多様。中でも主人公の騎士デオンは、騎士でありながら女と見まごう美青年。女装すれば絶世の美女、それを利してロシアとの外交工作に奔走する。 これら奇怪な人々が実在した、というだけでも、18世紀フランスの文化的爛熟ぶり(そしてまた腐敗ぶり)が分かろうというもの。 大阪弁をしゃべるカサノヴァ(イタリア人)など、人物の個性が明瞭に描き分けられており、細部にユーモアが溢れた作品。遅滞なく読め、どことなく酒見賢一『後宮小説』を思わせるすっきりした味わいがある。 |
ブルース・スターリング『タクラマカン』(早川書房) スターリングの新作短編集(99年刊)。短編集という意味では『グローバルヘッド』(1992年刊)が97年に翻訳されているので、4年ぶりになる。とはいえ、スターリングは、極めてポストモダンな(“今”を書く)作家であるが故に、時代とともにリアルタイムに読むことがまず肝要である。たとえば、『グローバルヘッド』は断末魔のソビエトがあった時代に、一番面白く読めたはずだ。 さて、そこで本書はどうか。ネットワークに張り巡らされた反権力組織「招き猫」、シリコンバレーのマッドサイエンティスト「クラゲが飛んだ日」(ルディ・ラッカーと共著)、フーリガンに揺れるドイツ「小さな、小さなジャッカル」、そして電脳時代の無法地帯《チャタヌーガ》を描く3部作へと連なる。スターリングの場合、電脳空間を描くことには興味がなく、その中で蠢く人間模様を重視するので、サイバーパンク風ガジェットが古びた今日でも、さほどありふれた印象は残らない。同様に人に興味を移したウィリアム・ギブソンとの違いは、多様な小道具と皮肉なユーモアの存在だろう。スターリングがよりSFファンの感覚に近いこともよく分かる。表題作「タクラマカン」に登場する、奇怪な地下の光景は、まさにSF的悪夢そのもの。 本書の原題 A Good Old-fashioned Future は、21世紀を迎えた今に相応しい題名だ。というか、“今この時”にこそ楽しめるものといえる。 |