MIYACON 1974

 1974年8月3日、4日の両日に第13回日本SF大会 MIYACONが開催された。この大会は、前年のEZOCON(北海道大会)で、開催権を東京と争い、参加者の投票によって決定した経緯をもっている。MIYACONはまだ関係者多数が(中年とはいえ)存命であるし、本来ならば筆者のような部外者が論じる立場にないが、翌年のSHINCONにつながる流れとして触れてみたい。

MIYACONプログラム ・リーフレット(MIYACON実行委員会):協賛に関西大学SF研究会とあり、実働部隊が関大であったことがうかがえる。

 MIYACONは京都教育文化センターで開催された。ここは、現在毎年開かれている、京都SFフェスティバル(京都大学SF研究会主催)の合宿所とも近く、星群祭(星群の会主催)や京フェス自体も会場にしたことがある。ホールは約300名程度の収容力があった。大会の期日は、企業の夏休みが集中するお盆を外すのが通例である(社会人参加者のためではなく、交通手段の関係)。8月ならば第1週か第4週が多かった。

 プログラムは以下のようであった。


  • 8月3日(初日:土曜)
  •  講演「戦後SFマンガ」(青木治道)
  •  PRタイム
  •  クイズ・ゲームタイム
  •  講演「アダルト・ファンタジー」(渡辺広蔵)
  •  ファンジン紹介
  •  映画「コロサス」上映

  • 8月4日(日曜)
  •  オークション
  •  ショート・ドラマ「日本沈没」
  •  パネル・ディスカッション「日本SF界展望」
  •  (古書即売)
  •  来賓挨拶
  •  次年度SF大会開催地発表
  •  星雲賞授賞式
  •  コスチュームショー

 オークションや古書即売は、いわば定番で、SHINCONにも継承されている。古いSFを入手する手段が限られていたからだ。

 MIYACONのプログラム自体は、十数年来の大会の集大成というべきものだった。講演もファン自らが準備して行ったし、寸劇もまたファンが行っている(ただし、ファンといっても、70年代前半頃、SFに関する書誌的研究は、ファン以外ではほとんど行われていなかった)。企画中ではショート・ドラマ「日本沈没」の出来がよく、原作のパロディとしても優れていた。今日の分科会形式の大会と比べても、企画の1つ1つはむしろ質が高かったように思われる(注1)

 ただ、これがホールで数百人の観衆の前で行われ、他に選択の余地がなかったことが、規模の拡大を阻害する要因でもあった。初見のファンは舞台に仲間意識を感じられず、古手のファンは企画も見ずに、ロビーや喫茶室で雑談、というのもよくある光景だった(今でもそうか)。主催者が思っているほど、SFファンは均一ではなくなっていたのである。

 また、ヴァーチャルな実行委員会だけで、全ての企画の質を高めることは、大会準備期間が1年を切る時間的制約では、なかなか難しい。しかし、当時はまだその見極めができておらず、さまざまな議論を呼んだ。少し後(1978)になるが、HINCON(77年の第16回横浜大会)公式レポートの中で、あべ りょうぞう氏が次のように述べている。

―(前略)―ここ何回かの大会が、規模の拡大と内容面において、いわゆるファン活動の枠を越える傾向を持ちはじめ、(中略)つい数年前まで大会が明確に持っていた(はずの)ファン活動の「場」としての性格が失われつつあるのではないだろうか。(中略)「集める」だけで「集う」ことを拒否するならば、ファン活動の否定であり、ファン活動としてのSF大会の否定ではないか。

 これは古くからSF大会を運営してきたファンの正直な感慨であり、SHINCON型(ショー型)大会への反発の代表的な意見だろう。当時、疑問だったのは、そのようなファン活動の「場」に入れるのが、限られたファンだけではないか、という点である。年齢的には数歳の差だが、ファン活動は参加自由といえるほどオープンな雰囲気ではなかった(注2)

 MIYACONは参加者320名、過去最大規模のTOKON2(1965)でも400名だった。この規模の大会で、スタッフは50名近くが必要だった。翌年のSHINCONはその3倍の900名を埋めなければならなかった。


注1:これらを客観的に見てみると、古代SF大会の直系の子孫は現在の大会ではなく、実はSFセミナーや京都SFフェスティバルであることが分かる。最近の大会はフリーマーケット化した自主企画の塊だが、セミナー等はまだ自立的に企画を立てているからである。しかも、毎年実行委員の変わる大会とは異なり、継承性を持っているため、ノウハウが流出することもなく、過去の経験も生かせる。

注2:とはいえ、HINCONが打ち出した並列分科会型大会は、低予算でも大規模大会が運営できるという意味で、後の主流となった。もちろん、企画力の重要性は形式に関わらず同様であるが。

 

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