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参加者獲得までの長い道のり(1)

 DAICON5当時(1985-86年)は、パソコンがようやく業務処理(仕事)に使われだした時期でもある。NECのPC8001は79年に誕生していたが、Z80、8080という8bitCPUでは本格的な日本語処置はできず、ゲーム用途が主流だった。しかし、16bitCPU8086を使用したPC9801シリーズ(1982)、IBMのPC-AT(1984)が誕生して以来、データベースやコンパイラといったワークステーションクラスのソフトがパソコンでも使えるようになった。


最初期(85年秋)の事務局でのデータ入力作業

 DAICON5では、本格的なデータベースdBASE3(注1)を導入して参加者登録、宿泊者登録を実施した。ハードディスクなどなかったので、640kByteの5インチフロッピーで、毎日バックアップをとりながら作業した。データベースは、その後の事務作業の能率を一気に引き上げた。旧来の大会との最大の差別化ポイントといえる。

PC98当時の価格
購入時の稟議書。パソコンはまだまだ高かった。メーカーの新品定価は40万を越えていた。

 事務局は最初泊まり込むスタッフもおらず、事務作業と打ち合わせに使われるだけだったが、 問い合わせの電話は夜中でもあるし、ゲストはそもそも世間の昼には起きていない。やがて、実行委員長が住み、合宿責任者や企画責任者が住むようになると、2DKのマンションは異界の様相を呈し始めた。粗ゴミの家具や机で作業場が作られる。スタッフの打ち合わせで部屋が一杯になると、近所の喫茶店にも人が流れる。昼夜を問わず、出入りが頻繁になる。ゴミは捨てられず、食器は山積みされたまま。いつのまにか、床が見えなくなる。企画会議は夜半まで紛糾する。近所の苦情で、警官が職務質問に現れる(注2)。 スタッフも増える。混沌は広がっていく。実行委員長があまりに汚い格好をしていたので、大会当日まで委員長だと気がつかない新入スタッフも出てくる。

事務局末期(86年夏)の様子。エアコンがないのでベランダで寝る住み込みスタッフ(写真上)。
事務局のマスコット人形と戯れるスタッフ(写真下)。

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bullet 注1:今だから言えるが違法コピーである。データベースソフトは安くはない。まともに買えば数十万した。
bullet 注2:「大阪21世紀計画協賛団体です」というと、「ご苦労様です」と慰労の声をかけて帰っていった。国家権力は権威に弱い。金銭援助の伴わない協賛は、所定の事項を書いて申請すれば、たいていもらえる。取れるものは取ったほうがよい。
大阪21世紀協会からの協賛許可書面
大阪21世紀協会の公式HP(今でもある)
 

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