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大会その後
 最後に、大会の意味について簡単な考察を述べて終わりたい。

 SF大会の始まりは、1つの器と1つの価値観である。このことは、第1回世界SF大会(ワールドコン)のプログラムを見ても推測できる。参加するファンは、同じ本を読んだ仲間であり、作家も含めて話題が食い違うことはなかった。日本でも同様だったが、既存の大会と全く異なるプログラムで構成された1975年のSHINCONを契機に、ファンの嗜好が一様でなくなっていたことに誰もが気づいた。誤解してはいけないのは、ショーであれば誰もが楽しめる“わけではない”、という点である。一点のみの企画は必ず不満と沈滞を生む。画一的であってはいけないのである。

 その一方、プロレベルのショー型企画は、要するコストも大きなものとなる。大会で赤字が出る要因でもあった。コストをクリアするために見直されたのが、分科会型の大会である。複数の企画を小規模な会場で同時開催し、多様な参加者の希望に対応するもので、企画の大半はトーク中心である。初期は講演型だったが、ゲストが多様になるにつれて、座談会/パネルディスカッション型となっていった。都市型大会は、会場の性格上、ホールと会議室の混合型となる。この2つを満たすために、はまなこん(1995)のように、ショー(オーケストラ)とパネルディスカッションが並行で進む形式も生まれる。しかし、ホール企画はアニメーションなどの映像形式がもっとも手がかからない。DAICON5はちょうどそういった企画の端緒となった。今に至る都市型大会の原型はこの大会からといえるだろう。

 ただ、分科会型のポイントはいかに新鮮な出演者を見つけるかにかかってくる。同じ顔ぶれ、当たり前の組み合わせでは、専門化したSFセミナーや京都SFフェスティバルに勝てない。企画プロデューサのセンス次第でもある。 また、テーマを設けたほうが(たとえそれがこじつけであっても)統一感を持たせるのでよい。

 DAICON5当時と今との最大の違いは、宿泊と大会の明確な分離である。今日の大会はあくまで企画費の負担を求め、宿泊費は実費請求扱いとなる。参加者には判りやすいし、事務局の手間は大幅に削減される。とはいえ、これは宿泊費が高いリゾート型大会の費用を増大させるため、参加者側の負担増になる。昔と比べて、平均年齢は上がっているのだろうが、今後、参加者数を増やす上で問題となる可能性が高い。主催者は、宿泊費のディスカウントをもっと求めるべきだろう。

 最後に話題になっている、ワールドコン日本招致(2007年)について言及する。もしワールドコンが日本で開催されたら、

  1. DAICON5では多数の海外参加者を迎えたが、基本的にこれらをこなすためには、10人につき1名程度の通訳スタッフを要した。受け入れ可能な参加者数の枠を定めておく必要がある。
  2. 案内所は必須(トラブルがあったら必ずここに行けと教える)。
  3. 英語のパンフレット類も準備が必要。
  4. 海外ゲストには1対1の通訳補佐が必要。
  5. 企画用に、同時通訳が可能なワイアレス端末(と同時通訳者。こちらはプロを雇っても良い)を確保しなければならない。
  6. 基本的に英語スタッフが肝要になる。
  7. しかし、それ以上の対応は不要ではないだろうか。 DAICON5でも、会場内である限り、特に大きなトラブルもなく運営は可能であった。
  8. もっとも問題なのは、旅行会社(DAICONでのLADERAのような、事情の分かったところ)とのタイアップによる参加者数の確保だと思われる。コストの高い日本へは、そうたくさんは来ないだろう。

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 DAICON5は130余名のスタッフで運営された。DAICON3や4のように、大会後も何かの形で組織を続けたいという声はあったが、具体化することはなかった。アフターレポートが完成したのは87年の10月、これが最後の企画となる。メンバーの一部はDAICON6を目指して動き始めたが、結局空中分解する。さらに一部のメンバーにより、DAICON6(1993)が実現するのは7年後、ずいぶん後のことで直接DC5スタッフとは関係がない。かくして、84年から87年に至る3年間のDAICON5は物語を終えたのである。

 大会スタッフ中インターネットで情報がたどれる人たちは以下のとおり。

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井上祐美子(大ホール司会 、出版局スタッフ)。大会後1990年作家デビュー。当時から中国趣味があったが、今では中国ファンタジイの大家。著書多数。ファンサイトはこちら
 
 

陰山琢磨(企画局長)。 田中紀子から「ターミネーターさん」と呼ばれていた偉丈夫。大会後も各地の大会のコンサルティングを担当。1997年作家デビュー。
  

喜多哲士(出版局スタッフ)。大会直後からSFアドベンチャー書評、SFマガジン書評などを手がける。アイドル芸能相撲阪神タイガースに詳しい。運営サイトはこちら。大溝真理(出版局スタッフ)と同居。

小浜徹也(東京スタッフ)。2000年柴野拓美賞受賞。東京創元社SF部門担当。検索すれば山ほどヒットするが、作家ではないのでプロフィールは不明かも。

斉藤一美(出版局スタッフ)は、こちらの家族。

難波弘之の追っかけを目的にスタッフとなった 阪本さとみ(ゲスト局スタッフ)は、ネットではSF人妻として知られる。山本和人(総務局スタッフ)はこちら

高橋章子(影の企画局長 、出版局スタッフ)は、ペンネーム三村美衣(ミムラ ミイ)。大会当時も口うるさい女子大生だったが、今では口うるさい書評家として万人から恐れられている。たとえばここ。

田中紀子(企画局スタッフ)は牧紀子と改名後、2001年に日本SFファングループ連合会議議長に就任、ファンダムの頂点に登りつめる。

山根啓史(実行委員長)。
  

 

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