97/9/7

今年の夏は大会にもいけず、情報収集できずに終わる。SFファン無上の喜びともいえるSFマガジンのオールタイム・ベスト選びや、大学SF研から誘いがあったSF文庫考課表も不参加。そういえば、KSFA海水浴ツアーにも参加せずで、完全なパワー不足ですね。まあ、京都フェスがあるからいいのかもしれませんが。

イアン・マクドナルド『火星夜想曲』(早川書房)
 ガジェット風の表紙となんとも美しい題名、これが『火星年代記』ならば、まさに的確といえただろうに。でも、本書は明らかにブラッドベリを意識しながら、まったくこの題名から連想するようなお話ではない。ほとんどコメディのような登場人物たちが、やがて奇妙な強迫観念に駆られて破滅するありさまは、どちらかというと『火星狂想曲』が正しいのでは。前作の『黎明の王 白昼の女王』は読み進むうちに内容が千変万化、ファンタジイからSFへと激変する。本書も、コメディから時間線の混乱を経て、ミリタリー風戦争シ−ンと続く。これが読者の期待に添ったものかどうかは、意見の分かれるところかもしれない。とはいえ、なかなか読ませる秀作ではある。

97/9/21

運動会のシーズンである。今日は町内運動会、学校の運動会と違って、弁当、お菓子付きで、賞品が出るので結構人気がある。筆者は出ませんが、娘がリレーに出て、ボールペンを3本もらってきた。

ウィリアム・ギブソン『あいどる』(角川書店)
 今の東京に過ぎるのかもしれない。少なくとも、現在のデフォルメとしか読めない部分もある。それに、サイバー教祖様の作品としては物足らないかもしれない。結局、事件は何も起こらず、素材だけが並べられたかのようにも思われるから。前作と変わらず、東京が舞台というなら『ヴィーナス・シティ』ともおんなじではないか、まだあっちのほうが事件があった…。
 ただ、こんな読み方ではつまらないので補足。たとえば、この東京は現実と表裏一体であるがゆえに、チバシティよりも印象に残る。アイドル歌手の追っかけ少女と、ヴァーチャルアイドル、凄腕の用心棒と人物も多彩。いまいち人物の影が薄かった近作と比べても、出来はよいだろう。ヴァーチャルを視覚的に見るということ自体は、今では何の新味もないが、結節点や、あいどるの裏側に見える“モンゴルの風景”といった瞬間的なヴィジュアルさは、“類書”のたんなる“類型”シーンの連なりを凌駕する。

97/9/27

 堀晃さんの日記を読んで、過去の太陽風交点事件(ノヴァ・クオータリーでも詳しい)を思い出していると、大森日記でコクラノミコン事件(ホテル宿泊関係出納責任者の横領疑惑)が起こっていることを知る。おお、ここでもか。大会では過去似たようなことがあったなあ。筆者の関係した大会でもあった。でもかなり(SF大会にしては)大金がからんでおる。時代は変わったもんだ。まーしかし、堀さんと同等に並べるにはあまりにも情けない事件ですがね。
 一方、SFマガジン11月号(テレポート欄)では梅原先生ががんばっていて、これも結構なことである。作家はこの程度の阿呆さ加減が必要である。反論がいいかげんだが、それはどーでもよろしい(客観的に見て、到底永瀬唯に勝てそうにありませんが)。まーただ、老婆心ながらSFを売れなくしたのは、あなたの言う人々ではたぶんない。というか、最近は音楽CDからPCゲームまで、実は売れ行きが下がっている。真のエンタテインメントの敵はもっと巨大なのであって、小説分野だけに相手を求めるのは、ちょっと見方が狭すぎます(でも、そのほうが面白いけど)。

イアン・バンクス『フィアサム・エンジン』(早川書房)
 またまた、ひねくれたバンクスの新刊が出た。“ひねくれた”だけでは誤解を招くが、要するに終わり方が尋常ではない。何といっても、結末が題名なのだがそのこととお話はほとんど無関係(と書いても、この場合ネタバレにはなるまい)。
 いつとも知れぬはるかな未来、過去に宇宙に旅立った人々は伝説となり、地球に残った人々は、技術を忘れ果て、一種のサイバースペースと軌道エレベータの廃墟に細細と生き残っている。この世界では、情報(電脳空間)と現実とは不可分に混在している。しかし、この世界の国王と、技術者の一種のギルドが無益な戦争を続ける間に、暗黒星雲が接近し、地球は(太陽の光を遮られ)滅亡の危機を迎えようとしている…。
 ネットワークを介した(同一人物に対する)目もくらむような超スピード連続殺人と殺人者の追求が白眉か。このあたり、西澤保彦の『複製症候群』と似ていなくもない(といっても印象はぜんぜん異なる)。
 最後は、バンクス風アンチクライマックス。ほとんど冗談みたいな結末である。


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