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「週刊アスキー」に連載(02年7月から11月)された電脳空間SF。掲載誌の性格上、専門用語を絡めた本格的な内容だが、韜晦さはなく読みやすい。 従兄から受けたおかしな頼みごと、“電脳世界でオリジナリティのあるものを探し出す”、を引き受けた主人公は、やがて不思議なキャラクタと出会う。“それ”はアリスの姿をしており、厳重に秘匿されているはずの個人情報まで次々と暴き出し、VR(ヴァーチャル・リアリティ)世界を歪めていく。現実すら、影響を受け変容をとげる。その正体は何か、なぜ主人公に付き纏うのか。 VRを産み出しているのは、ひたすら計算速度が速いだけが取り柄のコンピュータなので、これがいくら進化しても知性を生む=シミュレーションするには至らない。オリジナリティといえども、既存の順列組み合わせから生まれる。だが、組み合わせに新奇性を見出すには、計算速度以上の天啓が必要である。それこそが知性なのだ。本書の場合、コンピュータの限界や知性に関する考察に加えて、記号(仮想)と本質(実体)といった哲学的議論がベースになって、物語が組み立てられている。 アリスの背景については解説で詳しく書かれている。本書をミステリ風に読みたい人は、まず本文から手をつけるべきだろう(もっとも、解説はコンピュータ研究の現状を概説したもの。本書の物語とは関係が薄い)。ただ、主人公は実はXXだったとか、世界も実はXXだという結末は、電脳空間ものでは定石なので、ややオリジナリティに欠けるかも知れない。
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1999年のガーディアン児童文学賞
Guardian children's fiction prize
を受賞し、創元のファンタジイ・マークで出ているけれど、本書は基本的には大人向きのSFとして読めるだろう。 21世紀のいつか、巨大企業FUPは秘密のプロジェクトによりタイムトンネルの開発に成功、過去への扉を開く。トンネルの出口は16世紀、イングランドとスコットランドの境界地域だった。そこは両勢力の空白を縫ったいわば無法地帯で、スターカームと呼ばれる士族が支配していた。16世紀には手付かずの資源がある。FUPは独占的に権益を確保したい。略奪と裏切りに明け暮れる彼らを、21世紀人は巧みに懐柔しようとするが…。 21世紀側では、16世紀人を単なる無知な蛮族とみなすプロジェクト責任者、少ない予算で警備を任される保安部長、生の歴史に興奮する駐在員(主人公)が登場。対する16世紀側では一族の王、王女、溺愛される王子と、当時の同族間の結びつきの強さを反映した人物たちが登場する。当然のことながら、ビジネスライクな21世紀と血族社会の16世紀とは対立を引き起こし、悲惨な抗争へと拡大していく。このあたり、設定や動機まで合理的な理由が書かれているので、ファンタジイ的要素はほとんどない。常温核融合を動力源とするタイムトンネルも、まあ無理のない範囲だろう。 さてしかし、本書で描かれるのが、16世紀の習俗と21世紀の企業論理の対決で、かつ16世紀の自然派が勝利するというだけならば、単純明快な勧善懲悪譚で分かり易い。ことを複雑にするのは、上記主人公の存在である。容姿にコンプレックスを感じている彼女は、16世紀では豊満な美人として王子に気に入られる。しかも、長年の研究テーマが実地体験できることで舞い上がっている。しかし、企業の雇われ人であるから、21世紀側の利益を優先しなければならない。悩んだあげく、王子たちには21世紀側の陰謀(権益の収奪)を漏らし、それで企業関係者が殺されそうになると、今度は逆の裏切りに出る。こういう優柔不断さを肯定的に読むか、否定的に読むかが肝要だろう。気になりだすと“世紀を超えた悲恋”という本書の重要なモチーフに、ちょっと共感しにくくなるのである。 本書の続編は初稿が1月に完成、年内は直しを入れるらしい。出版は来年か。
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1997年のアーサー・C・クラーク賞受賞作。賞自体はSFの賞なのだが、本書は伝奇小説風。 21世紀初頭(近未来を想定)、AVAと呼ばれるコンピュータシステム上で、データの復元作業を行っている男が、かつての知人が持っていたIDカードを発見する。それは1995年にカルカッタで行方不明になった男のものだった。男は、マラリア感染経路の解明でノーベル賞を受賞した19世紀の英国軍医ロナルド・ロスの研究者を自称していた。なぜ、19世紀末の研究と今日のカルカッタが結びつくのか、カルカッタに飛んだ男は誰と出会い、何を見たのか…。 初紹介ながら、著者は欧米で高い評価を受けている作家。英国で教育を受け、アメリカで成功(インドの上流階層では英語が共通語)という典型的エリートコースを歩みながら、作品の舞台の多くは母国を選んでいる。本書でも、主たる舞台は、作者の生地でもある現代(95年)のカルカッタと、19世紀のインド東部(ベンガル地方)である。 マラリアは原虫が蚊によって媒介される。そのことを知っている人々が、“意図的に”事実をリークし、何らかの目的を達成しようとしたとしたら。こういう伝奇的要素と、貧困と裕福が混在する現代カルカッタ/百年前のベンガルの(日本人にとって)異質な光景が最大の面白さだろう。もっとも、ミステリではないので、明快な謎解きがされるわけではない。
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若島正によるスタージョン(1918-85)のオリジナル作品集。長編『人間以上』、『きみの血を』(早川書房)くらいが入手可能で、短編の多くは入手困難なスタージョン待望の傑作選。その本領はむしろ短編なのだから、貴重な新訳といえる。過去、SFの範疇でしか許容されなかったスタージョンだが、分類不能という意味では、ラファティと並ぶ位置付けだろう。わが国でも、最近ラファティ『地球礁』が出たように、その不可能性が、むしろ新しさと再認識されるようになってきた。 過去、SFの重要性は奇想ワン・アイデアにあると見なされてきた。しかし、スタージョンの興味は、常にわれわれ人間の持つ不可思議な情動に向けられてきた。
「ビアンカ」の主人公は、なぜ手に魅せられるのか。男にとって、何が「成熟」だったのか。「三の法則」では三位一体は神の概念ではない、人間の結びつきの1つの形なのだ。1対1、男女、善悪といった明快な二元論に割り切れないものがある。たとえば、『きみの血を』を“ホラー”だと思って読んでも、ちっともぴんとこない。『人間以上』にしても、虐げられた能力者たちの“サイキックもの”とは思えない。そこが既存のジャンル読者にとって、スタージョンの分かり難さだった。スタージョンは一貫して、人間の本質を追求していたのである。ハードSFを極めた結果、人間の深みにたどり着いたグレッグ・イーガンと似ているかもしれない。そういうところが、スタージョンの今に蘇る斬新さである。
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不治の病に冒され、死につつあるというのに少年は幸せだった。何もかもが肯定的、あらゆるものが楽天的に感じられる。彼の脳内で育ちつつある癌が、ある種のエンドルフィンを分泌するのだ。それは、人に究極の幸福感を与えてくれる…。『祈りの海』に続く、山岸真によるオリジナル短編集の第2弾。今回は9編を収録する。
究極の選択を迫る1、物理的なアイデアが際立つ2と7、「祈りの海」と同様、人の意識の問題に踏み込む5と9、異様な犯罪行為と皮肉な結末の3と4、残る6と8は近未来社会の綻びを衝いたもの。どの作品も、シニカルにしてアンチ・クライマックス(死語?)、派手に盛り上げず物語の必然に忠実だ。デジタル化されようが、化学物質で感情が左右されようが、作者は冷静に“人間の本質”というテーマを導き出す。その特徴は、冒頭の「適切な愛」と、最後の「しあわせの理由」で顕著に現れる。肉体や感情のコントロールが産み出すのは、“人でなし”ではなく、純化された“人間そのもの”なのだ。電脳/ナノテク=非人間化という、類似パターンを超えたこの主張こそ、従来にないイーガンの際立った面白さといえるだろう。
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