2003/7/6

菅浩江『プレシャス・ライアー』(光文社)

カバーデザイン:岩崎誠司、カバーイラスト:高橋三千男
 

 「週刊アスキー」に連載(02年7月から11月)された電脳空間SF。掲載誌の性格上、専門用語を絡めた本格的な内容だが、韜晦さはなく読みやすい。
 従兄から受けたおかしな頼みごと、“電脳世界でオリジナリティのあるものを探し出す”、を引き受けた主人公は、やがて不思議なキャラクタと出会う。“それ”はアリスの姿をしており、厳重に秘匿されているはずの個人情報まで次々と暴き出し、VR(ヴァーチャル・リアリティ)世界を歪めていく。現実すら、影響を受け変容をとげる。その正体は何か、なぜ主人公に付き纏うのか。
 VRを産み出しているのは、ひたすら計算速度が速いだけが取り柄のコンピュータなので、これがいくら進化しても知性を生む=シミュレーションするには至らない。オリジナリティといえども、既存の順列組み合わせから生まれる。だが、組み合わせに新奇性を見出すには、計算速度以上の天啓が必要である。それこそが知性なのだ。本書の場合、コンピュータの限界や知性に関する考察に加えて、記号(仮想)と本質(実体)といった哲学的議論がベースになって、物語が組み立てられている。
 アリスの背景については解説で詳しく書かれている。本書をミステリ風に読みたい人は、まず本文から手をつけるべきだろう(もっとも、解説はコンピュータ研究の現状を概説したもの。本書の物語とは関係が薄い)。ただ、主人公は実はXXだったとか、世界も実はXXだという結末は、電脳空間ものでは定石なので、ややオリジナリティに欠けるかも知れない。
 
bullet 『歌の翼に』評者のレビュー
 

2003/7/13

スーザン・プライス『500年のトンネル(上下)』(東京創元社)
The Starkarm Handshake,1998 金原瑞人・中村浩美訳
Illustration:影山徹、Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 1999年のガーディアン児童文学賞 Guardian children's fiction prize を受賞し、創元のファンタジイ・マークで出ているけれど、本書は基本的には大人向きのSFとして読めるだろう。
 21世紀のいつか、巨大企業FUPは秘密のプロジェクトによりタイムトンネルの開発に成功、過去への扉を開く。トンネルの出口は16世紀、イングランドとスコットランドの境界地域だった。そこは両勢力の空白を縫ったいわば無法地帯で、スターカームと呼ばれる士族が支配していた。16世紀には手付かずの資源がある。FUPは独占的に権益を確保したい。略奪と裏切りに明け暮れる彼らを、21世紀人は巧みに懐柔しようとするが…。
 21世紀側では、16世紀人を単なる無知な蛮族とみなすプロジェクト責任者、少ない予算で警備を任される保安部長、生の歴史に興奮する駐在員(主人公)が登場。対する16世紀側では一族の王、王女、溺愛される王子と、当時の同族間の結びつきの強さを反映した人物たちが登場する。当然のことながら、ビジネスライクな21世紀と血族社会の16世紀とは対立を引き起こし、悲惨な抗争へと拡大していく。このあたり、設定や動機まで合理的な理由が書かれているので、ファンタジイ的要素はほとんどない。常温核融合を動力源とするタイムトンネルも、まあ無理のない範囲だろう。
 さてしかし、本書で描かれるのが、16世紀の習俗と21世紀の企業論理の対決で、かつ16世紀の自然派が勝利するというだけならば、単純明快な勧善懲悪譚で分かり易い。ことを複雑にするのは、上記主人公の存在である。容姿にコンプレックスを感じている彼女は、16世紀では豊満な美人として王子に気に入られる。しかも、長年の研究テーマが実地体験できることで舞い上がっている。しかし、企業の雇われ人であるから、21世紀側の利益を優先しなければならない。悩んだあげく、王子たちには21世紀側の陰謀(権益の収奪)を漏らし、それで企業関係者が殺されそうになると、今度は逆の裏切りに出る。こういう優柔不断さを肯定的に読むか、否定的に読むかが肝要だろう。気になりだすと“世紀を超えた悲恋”という本書の重要なモチーフに、ちょっと共感しにくくなるのである。
 本書の続編は初稿が1月に完成、年内は直しを入れるらしい。出版は来年か。
 
bullet 著者の公式サイト
bullet ガーディアン児童文学賞サイト
英国のガーディアン賞には一般小説を対象とした Guardian Fiction Award と、上記児童文学賞がある。
bullet カーネギー賞リスト
Carnegie Medal こちらも主に英国内を対象とした児童文学賞。著者は1987年に『ゴースト・ドラム』で受賞。
 

アミタヴ・ゴーシュ『カルカッタ染色体』(DHC)
The Calcutta Chromosome,1995 伊藤真訳
装丁:渡邊正(TRACK)、坂川事務所
 

 1997年のアーサー・C・クラーク賞受賞作。賞自体はSFの賞なのだが、本書は伝奇小説風。
 21世紀初頭(近未来を想定)、AVAと呼ばれるコンピュータシステム上で、データの復元作業を行っている男が、かつての知人が持っていたIDカードを発見する。それは1995年にカルカッタで行方不明になった男のものだった。男は、マラリア感染経路の解明でノーベル賞を受賞した19世紀の英国軍医ロナルド・ロスの研究者を自称していた。なぜ、19世紀末の研究と今日のカルカッタが結びつくのか、カルカッタに飛んだ男は誰と出会い、何を見たのか…。
 初紹介ながら、著者は欧米で高い評価を受けている作家。英国で教育を受け、アメリカで成功(インドの上流階層では英語が共通語)という典型的エリートコースを歩みながら、作品の舞台の多くは母国を選んでいる。本書でも、主たる舞台は、作者の生地でもある現代(95年)のカルカッタと、19世紀のインド東部(ベンガル地方)である。
 マラリアは原虫が蚊によって媒介される。そのことを知っている人々が、“意図的に”事実をリークし、何らかの目的を達成しようとしたとしたら。こういう伝奇的要素と、貧困と裕福が混在する現代カルカッタ/百年前のベンガルの(日本人にとって)異質な光景が最大の面白さだろう。もっとも、ミステリではないので、明快な謎解きがされるわけではない。
 
bullet 著者の公式サイト
作者インタビューやクラーク邸訪問の様子等も読める。
bullet アーサー・C・クラーク賞リスト
クラークのファンサイト内にあるリスト
。基本的に英国で出版されたSFが対象。
 

2003/7/20

シオドア・スタージョン『海を失った男』(晶文社)
The Man Who Lost the Sea,2003 若島正編
装丁:坂川栄治+藤田知子(坂川事務所)、装画:森流一郎
 

 若島正によるスタージョン(1918-85)のオリジナル作品集。長編『人間以上』、『きみの血を』(早川書房)くらいが入手可能で、短編の多くは入手困難なスタージョン待望の傑作選。その本領はむしろ短編なのだから、貴重な新訳といえる。過去、SFの範疇でしか許容されなかったスタージョンだが、分類不能という意味では、ラファティと並ぶ位置付けだろう。わが国でも、最近ラファティ『地球礁』が出たように、その不可能性が、むしろ新しさと再認識されるようになってきた。
 過去、SFの重要性は奇想ワン・アイデアにあると見なされてきた。しかし、スタージョンの興味は、常にわれわれ人間の持つ不可思議な情動に向けられてきた。
  1. ミュージック:病院に入院する男と共鳴しあう音楽とは。
  2. ビアンカの手:知恵遅れの少女の手は、まるで別の生き物のように主人公を魅了する。
  3. 成熟:内分泌腺異常を治療する過程で、常人を凌駕する能力が芽生えていく男。
  4. シジジイじゃない:理想的な恋人と出会った、主人公の周りに起こる奇妙な出来事。
  5. 三の法則:3つで1つの宇宙生命が宿った、地球人たちに生まれる新しい結びつき。
  6. そして私のおそれはつのる:野卑な青年に、真理を伝えようとする老婆の目的とは。
  7. 墓読み:誰もが最後に眠る墓場には、その人の全てが書かれている。
  8. 海を失った男:傷ついた男が見る少年のおもちゃの数々。

  「ビアンカ」の主人公は、なぜ手に魅せられるのか。男にとって、何が「成熟」だったのか。「三の法則」では三位一体は神の概念ではない、人間の結びつきの1つの形なのだ。1対1、男女、善悪といった明快な二元論に割り切れないものがある。たとえば、『きみの血を』を“ホラー”だと思って読んでも、ちっともぴんとこない。『人間以上』にしても、虐げられた能力者たちの“サイキックもの”とは思えない。そこが既存のジャンル読者にとって、スタージョンの分かり難さだった。スタージョンは一貫して、人間の本質を追求していたのである。ハードSFを極めた結果、人間の深みにたどり着いたグレッグ・イーガンと似ているかもしれない。そういうところが、スタージョンの今に蘇る斬新さである。
 もっとも、本書の価値を貶める意図はないけれど、(評者の年代の読者からすれば)最高の短編集といえば、今でも『一角獣・多角獣』(1953、翻訳1964)のほうだと思う。この点は、編者自身も認めている。

 異色作家短編集13巻『一角獣・多角獣』、箱入りで右端に見えている緑色のソフトカバーが本体。
 この叢書は1960-65まで全18巻で刊行された。評者は刊行後10年目に、新刊書店で購入している。話題は呼んだがさほど売れず、まだ在庫が残っていたのである。

bullet スタージョンの著作リスト
ここは本書などの編集事務所のサイト
bullet 復刊ドットコムの状況
『一角獣・多角獣』の状況。
bullet ポール・ウィリアムズの公式サイト
アメリカでスタージョンの短編全集を刊行中の編者。ディックのニュースレターも出しており、『フィリップ・K・ディックの世界』(ペヨトル工房)の著者でも知られる。SFネイティヴな人ではない。同名の歌手/俳優とは関係なし。
 

2003/7/27

グレッグ・イーガン『しあわせの理由』(早川書房)
Reasons to be Cheerful and Other Stories,2003 山岸真編訳
カバーイラスト:Rey Hori、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン
 

 不治の病に冒され、死につつあるというのに少年は幸せだった。何もかもが肯定的、あらゆるものが楽天的に感じられる。彼の脳内で育ちつつある癌が、ある種のエンドルフィンを分泌するのだ。それは、人に究極の幸福感を与えてくれる…。『祈りの海』に続く、山岸真によるオリジナル短編集の第2弾。今回は9編を収録する。
  1. 適切な愛:最愛の夫を宿せと言われた妻。
  2. 闇の中へ:一方向だけしか進めないワームホールに捕らえられた街。
  3. 愛撫:学者の家で密かに合成された、キメラ生命の目的。
  4. 道徳的ウイルス学者:乱れた世界を正すため、ウイルスをばら撒いた男の誤算。
  5. 移相夢:意識を人工知性に移相する際に見る夢の正体。
  6. チェルノブイリの聖母:ありふれたイコン(聖母像)に隠された出自。
  7. ボーダー・ガード:量子サッカーに興じる仲間たちと相容れない女。
  8. 血をわけた姉妹:蔓延するウイルス病に冒された双子の姉妹。
  9. しあわせの理由:上記内容の表題作。

  究極の選択を迫る1、物理的なアイデアが際立つ2と7、「祈りの海」と同様、人の意識の問題に踏み込む5と9、異様な犯罪行為と皮肉な結末の3と4、残る6と8は近未来社会の綻びを衝いたもの。どの作品も、シニカルにしてアンチ・クライマックス(死語?)、派手に盛り上げず物語の必然に忠実だ。デジタル化されようが、化学物質で感情が左右されようが、作者は冷静に“人間の本質”というテーマを導き出す。その特徴は、冒頭の「適切な愛」と、最後の「しあわせの理由」で顕著に現れる。肉体や感情のコントロールが産み出すのは、“人でなし”ではなく、純化された“人間そのもの”なのだ。電脳/ナノテク=非人間化という、類似パターンを超えたこの主張こそ、従来にないイーガンの際立った面白さといえるだろう。

bullet 著者の公式サイト
短編のテキストが読めるほか、たとえば量子サッカーなどをJavaで実際にプレー(?)することもできる。
bullet 『宇宙消失』評者のレビュー
bullet 『順列都市』評者のレビュー
bullet 『祈りの海』評者のレビュー
 

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