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本年2004年(2003年発表作)のネビュラ賞ノヴェル部門受賞作。自閉症といえば『万物理論』で重要な意味づけがされているが、それが1つのテーマにまで高められたのが本書。 21世紀半ば、遺伝子治療の進展で幼年期の自閉症は治療され、一生を左右する障害ではなくなっている。しかし、主人公は治療を受けるには年をとりすぎていた。彼らは、最後の世代として、法的な庇護の下に会社に勤めている。そこでデータパターンを読み取る作業を行うのだ。そんな彼に、実験的な治療の可能性が示される。 本書の特徴は、自閉症者の視点から物語が語られる点にある。主人公から見ると、健常者の言葉や行動、敵意や軽蔑は理解不能で矛盾に満ちたものだ。 それでいて自然な感情の発露ができず、健常者との正常なコミュニケーションは難しい。 しかし、主人公の個性は自閉症であることで成り立っている。治療により、脳内の構成を変えてしまった後に、残るものは誰なのか。本書が『アルジャーノンに花束を』の“逆”だと語られるのは、「知能が遅れた/障害を持った人間より、それを持たない、あるいは健常人以上の能力を持つ方が優れている/幸せだ」とする『アルジャーノン』的解釈が、もしかすると間違っている/逆なのではないか、という作者の問いかけにある。
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9月に出た本。直木賞作家石田衣良、初のSF作品。SF
JAPAN(Vol.10)のインタビューでは、中学時代からSFの主な作品は渉猟しつくし、いまでもテッド・チャンやイーガンは読んでいるという。 近い未来、生物兵器に改変されたインフルエンザウィルス「黄魔」の蔓延で世界は崩壊する。200年後、東京では、密閉された高さ2キロメーターに及ぶ「青の塔」など7つの巨大な「塔」で、少数の人類が生き残るだけだ。しかし最上層に住む特権階級と、下層に住む貧困にあえぐ大衆、さらにはウィルスに汚染された地上に住む地上人とは、少数の資源をめぐって対立が深まっていた。そんな時代、最上層の委員に、21世紀で生きる脳腫瘍に侵された主人公の意識だけが転移する。この転移に目的はあるのか、彼の使命とはいったい何なのか。 本書のスタイルはずいぶんクラシックである。ウェルズ的な社会階層(『タイムマシン』)、ハミルトン的な意識の転移(『スターキング』)をあえて承知のうえで使用し、アニメ風ヒロイズムやSARS/テロ等現在の時事をからめて、「物語」を重視したように読める。互いにシンクロする現代の日本と、23世紀の未来との関係も(結局、解明されないが)違和感は感じさせない。 SFは先鋭的な特定の(プロフェッショナルな)読者向けだけではなく、大衆に向けても広がるべきだ、そうしないと衰退してしまう――そう語る著者らしい出来上がりといえるだろう。
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第13回日本ファンタジーノベル大賞(2001年)受賞作家の受賞第2作にあたる。 時代的には前作と同じ16世紀だが、今回の舞台はインカ帝国から、アマゾンの密林に飛ぶ。 アマゾンの密林の奥深く、女性だけからなる一族が住んでいた。年に1度他の部族の男と交わって子を設けるが、女児以外は村の外に出され、そうして純血が守られているのである。主人公は、村の大弓部隊を預かる若い女兵士。折りしも村々を略奪する<豹(オンサ)の一族>を滅ぼし、ようやく平和を取り戻していた。そこにスペイン人の一隊が現れ、小競り合いの後二人を残して村を去る。ところが、精霊<森の娘>を宿した巫女は、その一人こそはるか昔に約束を交わした男なのだという。<森の娘>が男にかまける間に、村には不吉な空気がわだかまっていく…。 前作で、ヨーロッパ文明とインカの文明とを文字で対比させた作者だが、今回はアマゾンの女系部族とヨーロッパの男系(マッチョ系)思想のスペイン人を対比させている。その対比も、文明観というだけでなく人間としての比較が明瞭にされている。ひたすら征服に明け暮れ、片時の平和にも安心できないスペイン=男と、密林の豊穣さの中で変化のない平和を求めるアマゾンの民=女。そんなアマゾン人たちが戦った、<豹の一族>の真相も皮肉さに満ちている。男的な発想による“世界の広がり(つまり、SF的な拡散)”がない点にこそ、本書の核心がある。
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いまや文藝賞コメンテータの大森望と、ジュヴ(ブ)ナイル→ライトノベル一筋三村美衣の対談レビュー集。解説多数の三村も著作は本書が初めてになる。 年間に出る書籍の合計は、2003年で75000点に及び、年々増加している。しかし、売り上げは逆に下がり続け、ピークの92年比で売り上げ38%減(点数は逆に倍増)なのである。この状況で求められるのは、単価が安く点数が稼げる本ということで、ライトノベルは時代の趨勢にもずばり適合している。年間2000点(電撃/富士見/スニーカー文庫など角川グループだけで550点)、しかし、これだけ出てしまうと状況を把握するのも大変。少なくとも月に25冊以上レビューできないと専門家と看做されない(『このライトノベルがすごい!』のアンケート回答資格)という。レーベル(出版社/シリーズ)別の専門読者化も、全体像の把握ができないのだから必然的に進んでいる。『ライトノベル完全読本』(日経BP社)や『このライトノベルズがすごい!』(宝島社)などのガイド本が出るのは当然だろう。 ライトノベルの起源はいつ誰のどの本か? 一般的には、高千穂遥/安彦良和がソノラマ文庫で出したクラッシャージョウ(1977)や宇宙戦艦ヤマト(ノヴェライズ:1974)などとされるが、本書では平井和正/永井豪『超革命的中学生集団』(1971)とする。主人公が何の説明もなく超人だったり、世界情勢に関係なく世界を救う。何といっても内輪受け風、リアリズム無視の野放図さが現代のライトノベルの雰囲気に近い。ただ、本書は特異点で、直系の子孫を残さなかった。 各時代の流れは以下の通り。 70年代:ソノラマ<サンヤング>(最初の青少年向け叢書)→ハヤカワ文庫SF(スペースオペラ、ヒロイック・ファンタジイ中心の白背)→ソノラマ/秋元/コバルト文庫 (最初の青少年少女向け文庫)→アニメ:宇宙戦艦ヤマトブーム→クラッシャージョウ(少年少女向けを最初脱却した作品)→新井素子/氷室冴子(今につながる文体の誕生) 80年代:高千穂遥(ダーティペア)→夢枕獏(キマイラ)/菊地秀行(トレジャー・ハンター)→笹本祐一(妖精作戦)→作家を集めて倒産した大陸書房騒動/ひかわ玲子らがデビュー→ファンタジー/ゲームブックブーム→ゲームから派生した水野良(ロードス島戦記)のヒット→神坂一(スレイヤーズ!) 90年代:角川系(メディアワークス、富士見書房など)の勃興→あかほりさとるの登場(メディアミックス型プロモーション)→ポストサイバーパンク世代(古橋秀之、秋山瑞人、冲方丁)→ファンタジイの究極、小野不由美(十二国記) 現在:純文学とも交錯するセカイ系→エロゲー系からのヒット作、奈須きのこ(空の境界)→一般書籍/新書での刊行、クロスオーバー ということで、本書はライトノベルの「中心」を解説したわけではない。そこからスピンアウト(?)した読むに足るものをピックアップする、まあ隠れ湯探索本といった趣きか。良くも悪しくも、SFファンに由来する、書誌的興味/出版状況への探究心(ファンが書くSF史はなぜか情緒的ではなく、即物的になる)に基づいているところが本書の特色だろう。
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陰山琢磨のSF。著者は来年にかけて、さらに本格的なSF長編を準備するようだ。本書は、サスペンスを狙った『蒼穹の槍』に比べると、ソノラマノベルズというレーベルを意識したお話となっている。 インド洋に浮かぶモルディヴのガン島は、軌道エレベータの基点となる人工島である。2世紀が経つうちに、そこは国連統治とは名ばかりで、巨大な既得権を守るために独自の軍事組織までを要する、世襲制委員長が支配する王国となっていた。主人公は独立国連軍と呼ばれる治安維持軍の兵士で、全身に武器を帯び、島の安全を脅かすテロリストからエレベータを守っている。そんなある日、遠く植民惑星より「クーリエ」と呼ばれるアンドロイド(人工的に作られた人間)が送り返されてくる。強力な感応能力を持つクーリエは、人間を意のままに操ることができるという。その能力をめぐって、エレベータの委員長、謎の宗教組織、島に隠れ住む棄民たち、加えて対立する軍組織との抗争が勃発する。 大洋の人工島、奇妙な宗教団体やテロリストなど、イーガンの『万物理論』を思わせる設定だが、本書の白眉は後半3分の1を占める(複雑な敵対関係を交えた)戦闘シーンにある。これまでの陰山作品がクライマックスを(意識的にか)控えめに書いていたのに比較して、ずいぶん派手な展開だ。本書はライトノベル風主人公を配するものの、チェックリスト(三村美衣作)で判定すると、ライトノベル度F(最低)なので、もちろんその類の小説ではない。とはいえ、シミュレーション系を読んできた人には、十分“ライト”なのかも知れない。 ただし、別に萌えキャラでなくとも、この主人公たち(女性戦闘員やクーリエ)が、「人間的」といえるほど描きこまれていない点はちょっと気になる。たとえば、アンドロイド・クーリエはなぜ自分の能力を本気で使わないのか。極端に寿命が短いという、(ディックの)レプリカントと同じ設定だというのに。
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