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本書は著者の処女長編。ミリタリーSFとあって、実際そうなのだろうが、作者の意図はちょっと違う。 34世紀、銀河の奥底から未知の異星人艦隊が出現する。圧倒的な破壊力を有する敵は、瞬く間に人類植民地を壊滅させると、次に太陽系を目指して進撃してくる。敵に弱点はないのか。誰も知ることのできない課題を解決すべく、6名からなる特殊部隊アグレッサー(敵情調査班)が組織される。彼らは、外観が全く異なる異種族と同じ言語で話し、同じユニット構成(6名)でメンバーの役割も定められている。やがて、敵の真の意図が判明するが…。 非人間の言語機能を移植され、異星語を喋る主人公たち。やがて思考そのものも異星人と同化して行く…という、ある種ホラー風設定もある。 作者によれば、既存のミリタリーSFの杜撰な設定を批判し、よりリアルなコンタクトものを目指した作品だという。ただ、志はともかく、異星言語で思考する人間が社会/倫理枠を超えられない点は物足りない。宇宙工学を専門とする技術者であり、サイエンス・ファクト系ノンフィクションの執筆にも意欲を燃やす作者だが、少なくとも処女作ではまだ小説面での技術が追いついていないようだ。
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ペーパーバック風の装幀で飾られた村上春樹の初期作品集(1980-91)である。アメリカのクノップフ社で編まれたオリジナル作品集を底本としている(といっても、日本語版はもちろん翻訳ではない)。 ヴォネガットに始まり、キングやラヴクラフトを語り、SF近似といえなくもないジョン・アーヴィング(カーヴァーやフィッツジェラルドまでいくと、もはや関係ないかもしれない)の翻訳者でもある村上春樹は、だから初期からSFファンの注目を集めてきた。今になって、本書のような初期短編集を読み直してみると、『羊をめぐる冒険』(1983)の時代よりも、むしろ最近の長編との類似を感じさせる。多くの短編では単一の物語が、明確な結論を付けられずに置かれているからだ。 読者に“創造の余地”を残す謎のような短編は多い。パン屋を襲撃する理由、100パーセントの異性との出会い、眠らなくなった女、半ズボンが引き裂く夫婦関係、なぜ納屋が焼かれるのか、誰にも見えないTVピープル、象供給公社で働く主人公が見る小人、象舎から消えた老いた象の行方――と、これらすべてに結末はない。近年の長編と昔の短編が等価に感じられるのは、著者の語る言葉が、答えのない短編小説のようにシンプルで、長編一杯に横溢しなくなったせいかもしれない。 17編の作品の収録単行本は、『中国行きスロウ・ボート』(1983)、『カンガルー日和』(1983)、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』(1984)、『回転木馬のデッド・ヒート』(1985)、『パン屋再襲撃』(1986)、『TVピープル』(1990)、『レキシントンの幽霊』(1996:本書より後に出た)である。ただし、村上春樹の短編集はこの後1冊しか出ていない。短編の代わりに、長編だけを書くことにしたのかもしれない。
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古川日出男の新作書き下ろし長編。 太平洋戦争でアリューシャン列島のキスカ島に置き去りにされた、4頭の軍用犬がいた。彼ら/彼女らは、米軍に捕らわれ、数奇な運命によって、米軍の軍用犬あるいは犬橇犬として世界に散っていく。ドッグイヤーの生命サイクルによって、子孫たちは末期の太平洋戦争、朝鮮戦争を戦い、やがて中国から北ベトナム、米国から南ベトナムへと渡り、あるいは南米に流れた後に、麻薬犬としてアフガンで働き……そしてロシア、犬紀元0年(宇宙をはじめて犬が飛んだ1957年)を経て、スプートニクで飛んだ犬の直系、ベルカの子孫と21世紀の日本やくざの娘が出会う。 ある意味で、本書は犬を媒介にした黙示録である(60年の歴史は犬換算で420年に相当する。つまり、人類の20世紀後半が、その7倍に増幅されるのだ)。軍用犬が主人公なので、必然的に20世紀のすべての戦争/抗争に彼らは関わっていく。さまざまな英雄や慈母が生まれる。そこに宇宙犬による“神の啓示”と虚無的な少女を絡め、言いなりに動いていた犬たちは自我に目覚める。本来ならば、啓示によって覚醒した、聖なるベルカとストレルカ(宇宙犬の牡牝=犬類のアダムとイヴ)による新犬/人類の誕生後が語られるべきで、そこが書かれていない点はちょっと残念だ。
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前の翻訳『戦闘機甲兵団レギオン』(1993)が出てから、もう7年になる。記憶にない方も多いだろう。本書はディーツの処女作に当たる作品で、シリーズ化もされている。 主人公は宇宙の賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)。地球帝国辺境、異種族の領土との緩衝地帯は、反帝国軍の成れの果てと化した宙族(宇宙海賊)の巣である。ここでは、軍隊の代わりに、賞金稼ぎが宙族の首を取る仕事についていた。そんな主人公は、帝国軍から意外な依頼を受ける。かつての上官だった大佐が、軍事均衡をも破る可能性がある古代文明の秘密を解き明かし、しかも失踪したというのだ。彼は破格の報酬を約束され、軍の有能な兵士数名を従えて追跡にかかる。帝国の権力が及ばない無法の辺境で、はたして何が待っているのか。 本書の解説で「とても1986年発表とは感じさせない」とある。評者も同感で「1940年発表」と聞いても驚かない(解説者はそういう意味で書いてはいません、念のため)。古いタイプのスペースオペラなので、キャプテン・フューチャーと比べても新味はあまりないだろう。主人公はピンチに陥るたびにニヤリと笑う。タフなヒロインは危機を脱出すると、主人公に抱きついてくる。災厄は偶然の幸運で回避される。作者は今年で60歳。処女作を書いたのは40歳(遅めのデビューだ)。年齢とは関係ないが、スタイルが古すぎる点は気になる。とはいえ、ミリタリー風スペースオペラは、類型であるからこそ一定の人気を博する。そういう意味では、本書も一概に否定できないのだが。
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1978-79年に学研から出版されていた「三本足」シリーズを新訳し、前日譚にあたる第1部を訳し下ろしたのが、この4部作である。30代後半くらいの人には、懐かしい作品かもしれない。作者はもう少し古いSFファンでは、『草の死』(1956)や『大破壊』(1965)等の、デザスター・ノベル作家ジョン・クリストファーとして知られている。『草の死』は映画化され(『最後の脱出』。リンク先では米国71年となっているが、もともとは英国で70年に制作されたもの)、ハヤカワSFシリーズ版ではカバーも映画スチル(下記参照)になっている。もっとも、映画は日本では原作以上に忘れられている。イギリスSFには災厄後の世界を描く伝統的なテーマがあり、単なるパニックものとは異なる、社会/人間描写の見せ所とされてきた。コリン・ウィルスン『スパイダー・ワールド』(1987)などや、ジュヴナイルである本書「トリポッド」シリーズも、その点は同様である。 ある日、イギリスの郊外に巨大な物体が落下し、3本足を持つ奇妙な機械「トリポッド」があらわれる。家屋や戦車を破壊したその怪物は軍隊に撃退されるが、その後世界には不思議なTV番組が蔓延する。番組はトリポッドを礼賛し、やがてその放送に洗脳された追従者によって、人間社会は乗っ取られてしまうのだ。指令を受信するキャップを被せられた人類は、もはや奴隷と変わらなかった。降臨後100年、世界は中世の技術水準まで後退し、トリポッドを頂点とする社会が出来上がっていた。残された抵抗勢力は、キャップを被せられる前の15歳未満の少年たちを集め、少ないチャンスを捉えて、ついに彼らの都市に潜入する。しかし、トリポッドたちには地球の環境改造という究極の目的があった。人類に残された時間は少ない…。 日本で復刊された理由は、ディズニーによる映画化だろう(英国ではTVシリーズも作られ、ロングセラーとなっている)。ウェルズ『宇宙戦争』の火星人を連想させるトリポッドたち。本シリーズは、『宇宙戦争』で人類が敗れた後を語っているように読める。40年前に書かれ、シンプルなジュヴナイルの体裁をとるものの、トリポッド対人間の関係を、自然対人間や、未開社会対ヨーロッパ社会といった普遍的な関係に対比させている点は古びておらず、さすがに英国流の伝統といえるだろう。敵の弱点を探して、ついに反撃に至る結末も、一方的な描写ではないので納得がいく。
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