2007/3/4
|
SF Japanに掲載されていた山田正紀と恩田陸の対談集をまとめたもの。テーマは文字通りの「読書会」。SF関係の名作を2人が任意に選択し、専門家を交えて論じるというもの。本書の場合はライターの牧眞司によって、対談の方向性と内容が決められているため、事実上牧眞司の著作といっても良いだろう(一部のみ日下三蔵、三村美衣)。
半村良『石の血脈』『岬一郎の抵抗』(SF Japan 2002春)司会・編集 日下三蔵
I・アシモフ『鋼鉄都市』『はだかの太陽』(SF Japan 2003冬)
時間を超える小説を求めて(小説すばる2003年1月号)時間小説特集の一部
U・K・ル=グィン《ゲド戦記》(SF Japan 2003春)司会・編集 三村美衣
沼正三『家畜人ヤプー』(SF Japan 2003秋)
小松左京『果しなき流れの果に』(SF Japan 2004冬)
山田正紀『神狩り』+ゲスト・笠井潔(SF Japan 2005春)
S・キング『呪われた町』『ファイアスターター』(SF Japan 2005冬)
萩尾望都『バルバラ異界』(SF Japan 2006春)
『原点』との邂逅 特別対談・萩尾望都+恩田陸(SF Japan 2006秋)
恩田陸『常野物語』+ゲスト・笠井潔(SF Japan 2006秋)
*注釈のないものは司会・編集 牧眞司
このラインアップは、もうひとつ目的が分かり難い。半村良は亡くなった年、アシモフは恩田陸のSF文庫初体験(小学生)、ル=グィンはファンタジー嫌いの恩田陸が唯一認める作品(といっても最初の巻を読んだのは高校時代)、沼正三は編集部としてイロものを入れようとした(今となっては、ヤプーも結構ノーマルな内容に見えるが)、小松左京は山田正紀の新作構想(ちなみに未刊のまま)から連想される日本SFの傑作として…などなど、実はその時々の都合で決まっているのである。山田・恩田のSF経験に根ざした作品選択といってもいいだろう。SFの専門読者からは、なかなかこういう感想は出てこない。自虐的発言の多い山田と、SF再発見を楽しんでいる恩田の組み合わせも面白い。牧眞司による詳細な注釈は、著作者の名前だけで買った人向けのガイドになっている。
|
2007/3/11
|
このコンビの作品としては、『過ぎ去りし日々の光』(2000)があるが、本書は第2作目に相当する。クラークの共作というとジェントリー・リーやマイク・マクウェイ、マイクル・P・キュービー=マクダウエルらとの作品が紹介済みである。今年で90歳になるクラークには、もう独力で小説を書く体力はない。主にクラークがオリジナルのアイデアとシノプシス(原案)を書き、ディスカッションしながら共作者が小説に仕上げるのが通常のスタイルのようだ。小松左京+谷甲州の『日本沈没 第2部』と似ているかもしれない。
アフガンで平和維持活動についていた多国籍軍の兵士3名は、ゲリラの攻撃を受けた直後、見知らぬ土地に転移しヘリコプターごと不時着する。そこは、時空を隔てた異邦だった。ちょうどその瞬間に200万年に及ぶ地球の時空が撹拌され、モザイクのように混ぜ合わされてしまったのだ。19世紀の砦で出会う大英帝国の軍隊、上空で着陸態勢に入っていたソユーズ宇宙船、そして中央アジアの高原にはチンギス・ハンがおり、インド沿岸部には遠征途上のアレクサンドロスがいた。これははたして偶然なのだろうか。おりしも、バビロンを目指す2つの軍団は1700年の時を隔てて激突する。そして、彼らの周りには不可侵のテクノロジーの産物、銀色に光る眼の存在があった。
単純に解説するならば、世界史版の『戦国自衛隊』だろう。ただ、このタイムスリップは意図的なものである(半村良や福井晴敏は、そういった“意図”には無関心だった)。それは超テクノロジーを有する何者か=“Space Odyssey”のモノリスに相当する存在だ。クラークらしからぬ古代/中世軍隊の激しい戦闘シーンもある。バクスターは、単純な冒険活劇小説やハードなワンアイデア小説として本書を描かず、登場人物にも気を配っている。無差別の殺戮者としてモンゴルを描いているが、これは史実だろう。ただ、残念ながら本書は2部作の第1部のため、眼=モノリスの正体解明にまでは至らず、やや中途半端に終わる。
|
2007/3/18
|
海猫沢めろん『零式』(早川書房)
Cover Direction & Design:岩郷重力+WINDER WORKZ。, Cover Illustration:前田浩孝
|
|
2004年に出た『左巻キ式ラストリゾート』は、18禁の美少女ゲーム(エロゲー)の原作者が、自らノベライズした作品ということで話題を呼んだ。というより、当時のさまざまな最新小説(ラノベから純文まで)の要素を併せ持っている破天荒さが注目されたのだ。それから3年ぶりに出た著者の最新作が本書。
1945年に終戦を迎えた皇義神國は、高さ1キロ幅200キロに及ぶ巨大な壁で分断され分割統治状態に置かれる。戦後50年が過ぎた2000年、和洋折衷の奇妙な文化を持つこの植民地に、大出力のレシプロエンジンを積んだバイクを駆る少女がいた。リニアモーターバイクとの無謀な暴走行為の果てにマシンは焼失するが、そこで天子(天皇)とそっくりの顔立ちをした一人の少女と出会う。
天子を崇拝する特攻隊の生き残りである老人、手術で思考能力を除去した不気味なカルト団体という、擬似的な右翼の描写は野阿梓『バベルの薫り』(1991)風。特攻機のエンジンに換装された、化け物じみたバイクの描写は神林長平のメカSF風。ただ、高卒後に様々な職業を転々とした間に、大量の本を乱読した作者にとって、何か特定のモデルがあるわけでもないだろう。という意味で、パワーだけで書いた若書きの作品とも異なる“毒”を含んだ作品である。
|
2007/3/25
|
本書は、1987年に出た“レム最後の長編”である。この後(2006年に亡くなるまで)、レムの活動は主に評論に向いてしまうので、まとまった形での小説は本書で終わってしまうからだ。そのためか、この作品の中には、既存の名高い傑作をあえて壊そうとする試みが読み取れるのである。
土星の衛星タイタンで遭難したパイロットは、何十年かの未来に宇宙船の中で目覚める。彼は記憶を失っていた。宇宙船は巨大な恒星船で、異星人との接触を目指していた。1つの宇宙文明が他の文明と接触できる確率は極めて小さい。そのため、人類は知性が芽生える確率が高い恒星系に亜光速で飛び、相対論的時間を費やして文明が勃興するのを待ち、さらにブラックホールの時間流に乗って帰還するという計画を立てる。やがて、宇宙船は人工的な電波放射を発する1つの惑星を発見する。しかし、そこは得体のしれない人工衛星群が絶え間なく戦い、人類の呼びかけにも全く答えを返さない異様な世界だった。
『天の声』では、宇宙から届く声が意味をもつものか単なるノイズなのかが考察されたのだが、20年後の本書の場合は明確に“異星文明”が登場する。異星に向かって物語が放たれるエピソードは『ソラリス』の結末のようでもある。しかし、恒星船の乗員が取る恐るべき“暴力”は(理性を信奉するレムからすれば)、これまで書いたことのない内容だ。人類の原罪を象徴するものといえる。本書が描かれたのち4年後に湾岸戦争が起こり、その10年後に9.11が起こるが、政治的予言の書としても読める。ただ、これを人類対異星人の戦争小説と読むのも間違いである。よく読めば分かるが、実は本書の中に明確な“異星人”など、どこにも登場しないからだ。
本書の翻訳はテクニカルタームの絡む部分を、まるで暗喩のように訳しているのが問題だろう。もっと的確な訳語を当て嵌めれば、すっきり読めるはずなので残念だ。
|
|