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ル=グウィンのオムニバス短編集。今年はおそらく「ゲド戦記の原作者」という扱いになるル=グウィン(岩波、講談社系の表記、ハヤカワではル・グィン、旧サンリオではル=グインだった)であるが、もともとファンタジーの作家ではなく、キャリア40年のベテランSF作家である。 もしあなたが空港で飛行機の遅発/延着を経験したなら、その“空き時間”を使って異次元に旅することができる! この画期的な「シータ・ドゥリープ式次元間移動法」が発明されて以来、無数の異次元世界が知られるようになった。その中から、16のエピソード(次元移動法の発明と15の次元)が本書の中で物語られる。 遺伝子改変があらゆるものに及んだイズラック、誰もが沈黙を守るアソヌ、不可思議な形而上学を持つヘネベット、怒りに駆られるヴェクシの人々、人々が渡り鳥のように旅するアンスラックは1年が24地球年に及ぶ、眠りで見る夢が共有されるフリンシア、誰もが王族の世界ヘーニャ、血塗られた歴史を持つマハグル、享楽の次元グレート・ジョイ、眠らない人々がいるオーリチ、言葉の通訳が不可能なンナモイ、謎の建築を続けるコクの人々、ガイではごく一部の人に翼が与えられる、イェンディには死なない人がおり、ニィエニィエでは何が起こったのかもわからない。 さすがにSF作家であるル=グウィンは、お話を空想のまま放置しておかない。すべての世界には根拠があり、意味があり、(単なる道徳や人類愛を超えた)教訓がこめられている。ある意味で、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』のSF版ともいえるだろう。
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「小説現代」に掲載された6編からなる短編集。一般向けの小説誌で発表されたものとはいえ、SF的なテーマが1本通っているのが特徴だろう。 1.純也の事例(2004):1年間という限定で、里親制度に応募した主人公のもとに来た少年 2.麦笛西行(2003):苦情処理係の男が頼りにする感情分析ツールの功罪 3.ナノマシン・ソリチュード(2002):治療用ナノマシンが日常化した時代、ネット仲間との会話から生まれた意外な出来事 4.フード病(2003):あらゆる食物に、ヤコブ病のような潜在的な危険が含まれるようになったら 5.鮮やかなあの色を(2002):色彩感を高めるピルを服用した主人公の見たもの 6.おまかせハウスの人々(2005):全自動ハウスに住む3つの家庭の人々と、担当者のやりとり 本書で気がつくのは、主人公たちの恐ろしいまでの“孤独感”である。ここに登場する家族は、何れも偽りの家族や友人であって、決して主人公の支えとはならない。そしてまた、SFガジェットはそのような苦悩を増幅する装置として描かれている。このあたりが『五人姉妹』(2002)と大きく異なる部分だろう。たとえば、表題作「おまかせハウスの人々」で登場する全自動ハウス(一切の家事を司る)は、ブラッドベリ『火星年代記』に収録された「優しく雨ぞ降りしきる」(1950)の家を思わせる。ブラッドベリの家は、人類が滅び去った地球で誰もいない家を孤独に守るのみ。核の荒廃による孤独と、情報社会の孤独が、半世紀を経て呼応しあうところが注目のポイントである。
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昨年(2005年)7月に出た本。文春の本格ミステリ・シリーズでもあり、お話の主体は殺人事件とその犯人探しなのだが、奥泉流にSFや既存作品がリミックスされている。 東大阪の三流女子短大で日本近代文学を教える助教授(太宰治が専門、四十過ぎて独身)は、文学事典でとある童話作家の項目を担当した縁で、作家の遺稿ノートを紹介する仕事を引き受ける。マイナーな作家を小部数の雑誌に紹介したはずが、その遺稿は話題を呼び、マスコミから注目を集める。しかし、その過程で、ノートを発見した記者が行方不明となる。死体は首なしで発見されるが、事件の経過は矛盾を孕み、戦中の瀬戸内海の小島で起こった事件へと収斂していく。遺稿の単行本化に関わったジャズ・シンガーと、別れた雑誌記者の元夫婦探偵は、独自に犯人探しを敢行する。 例によって、饒舌な語りでお話は進む。作者は現在近畿大学の国際人文科学研究所(所長が柄谷行人)で教授をしている。近畿大学は東大阪にあるので、本書の女子短大もこの近辺をモデルにしている。妙にリアルな描写で、大学教員の生態が描かれているのが面白い。一方、『鳥類学者のファンタジア』(2001)にも登場したアトランティスの遺産/ロンギヌス物質が登場し、謎の連続殺人事件を次第に侵食しながら、かつ現実世界での解決を見せる点は評価できるだろう。奥泉光の小説は「語り」を聞く醍醐味がひとつの持ち味になる。無意味な脱線は少ないが、たとえばニール・スティーヴンスン(『クリプトノミコン』など)の過剰なエピソードの氾濫と似ている(というようなことは昔も書いた)。 なので、1000枚を超える本書でも長すぎるとは感じないのである。
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11月に出た第17回(2005年)ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作である。 北関東から東北にいたる地域に、ある出来事をきっかけにして「江戸」が再現される。それも、風景や町並みだけでなく、生活水準、技術水準、政治体制まで江戸と同等に作られ独立国として扱われる。その新しい江戸に、江戸生まれながら日本で育った青年が帰ってきた。父の願いを聞いての帰還だったが、希望者が殺到する入国審査をパスし、長崎奉行「今春屋ゴメス」の下走り役に就く。折しも、江戸では原因不明の伝染病「鬼赤痢」が蔓延しつつあった。 そもそも、こんな「江戸」が存在可能なのか。設定上の無理は感じるものの、現代の感性を持った青年(大学生)による江戸的世界への順応、というテーマのためには必要なのだろう。ただ、作者の関心はこの架空の江戸国のリアリティにあるのではなく、ここで繰り広げられるテレビ時代劇風のドラマにある。容貌魁偉な奉行ゴメス、配下の役人たちや下働きたちの人間模様と現代との接点で生じた事件をたくみに絡めたお話作りが楽しい。反面、ドラマの展開があまりにふつうの(ふだん見慣れた)時代劇すぎるので、乗れない一面もあるようだ。
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第17回ファンタジーノベル大賞の優秀賞に決定しながら、受賞を辞退した作品。最終的にライブドアから出版された経緯については、下記の著者サイトに記載がある。 本書は、表題どおりフーガの形式に従って書かれている。主人公(私)は、自殺した友人のメモにあった地図を頼りに、大都市の繁華街の裏側にある、もうひとつの街にたどり着く。そこは娼婦たちや奇妙なアウトローたちが棲む忘れられた社会だ。そこで、主人公はさまざまな人々から「告白」を受けるようになる。 主人公は決して怒らず悲しまず、感情を見せたことすらない。同居するのは、見えない犬を飼う少年、麻薬に溺れる娼婦、そして他者への奉仕を惜しまない恋人。さらには、階段のない部屋に閉じこもる双子のような男のペア、盲目のヴァイオリニストと整形娼婦、町をさまよう革命家と、未来が視える老占い師――という、複雑な登場人物たちが現われ、それぞれが自身を語っていく。やがて、主人公と恋人との関係は、街を揺るがすテロ事件のなかでクライマックスを迎える。 そもそも著者が同賞を辞退した動機は、本書が(お話のテーマとして)多重構造を持っており、その構造が展開できることにある。たとえば派生作品や、ゲーム“ドラクエ”のように相互に関連を持たせたシリーズ化が可能なのだ。登場人物の1人1人が、新たな個別の物語になる(だから、権利関係が“すべて”主催者に帰属するコンテストの契約は受けられなかった)。ただし、この物語はメンタル的にディープなものであるから、誰もが面白がれるものでもないだろう。 ファンタジーノベル大賞の場合、優秀賞はたいてい特定の選者が強く支持する(やや好みの偏った)作品が多い。本書も井上ひさしの強い推奨によるものだ。
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第6回小松左京賞受賞作。著者は63歳。(この賞に限らず)日本SFの新人賞史上、最高齢の受賞作家となったことでも話題を呼んだ。 縄文期に飛来した宇宙生命は、地表にとり残された仲間を支援するため、ある一族に特殊な能力を授ける。以来、日本の歴史の裏を人知れず支え続けた彼らの前に、幕末開国の荒波が押し寄せる。一族の当主、主人公は老中阿部正弘や勝燐太郎(海舟)へ助言を与え、来航したペリー提督を痛快にやり込める。やがて、宇宙生命の使命がおぼろげに見えてくる。 いわば、表版『妖星伝』(半村良、1975〜1980/1993)といえる伝奇小説である。究極の快楽を追求する鬼道衆(外道、裏の存在)にあたる人々が、本書でいう「神の血脈」を引く超人たちだが、彼らは権力者に敵対するわけではなく、裏から支える役割を負っている。作者の語りは流暢で、当時の時代を超人の視点で分析するなど、(小松左京好みの)テーマ性が明快だ。問題は、やはり本書の長さにあるのだろう。主人公たちと、以降の歴史(明治維新から敗戦まで)との間にどのような軋轢があったのか、そこに興味が沸くのに、語られないまま終わってしまうからだ。
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中村融による、2005年4月に出た『反対進化』の姉妹編である。比較的長めの5作を収録した、「幻想怪奇」集となっている。 「蛇の女神」(1948) 古代バビロニアの遺跡から発見された恐るべき碑文の意味とは。 「眠れる人の島」(1938) 太平洋の真ん中で難破した男が漂着する無人島の秘密。 「神々の黄昏」(1948) 記憶を失った男が、ノルウェーの森林から北欧神話の世界に帰還したとき。 「邪眼の家」(1936)* 睨み付けるだけで相手を死に至らしめる“邪眼”を持つ親子。 「生命の湖」(1937)* アフリカの奥地、人を近づけない外輪山に囲まれた秘境に不死を約束する湖があった。 *…本邦初訳 本書の作品を総括すると、秘境冒険もの、(いわゆる)パルプ小説の作品集といえるだろう。幻想怪奇という言葉から連想される現代的なファンタジイよりも、明らかに古いものだ。60〜70年前の原初の形態なので、現時点から見て新しいアイデアはない。呪いで封印された遺跡、太平洋の無人島、北欧神話、アフリカの秘境と不死の湖と、こういうクラシックな設定をストレートに書けたのは、40年代前後が最後だろう。編者の中村融が秘境ものを重視するのは、今では失われたパルプ小説の再発見/復興を目指しているためか。
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昨年10月に出たレム・コレクションの第3集。収められた両作ともサンリオ文庫で1982年/1979年に出たもので、30年近く前のものだが、
深見弾/吉上昭三は既に故人でもあり、沼野充義による部分改訂を経た新訳となっている。サンリオ版の『天の声』では、評者が解説を書いている。今回改めてレビューしても良いが、解説記事の中で『天の声』に関係する部分だけを抜き出して再録してみた。冗長な部分は削除したり修正している。
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