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第4回(2002年)日本SF新人賞受賞作家(『ルナ』)三島浩司の受賞第1作と、第5回(2003年)佳作入選作『終末の海 韜晦の箱舟』(片理誠)の全面改稿版である。 『MURAMURA』――ある日、新興住宅街の学校が次々と消滅する。これは最近見つかった古い神社と関係するのかもしれない。主人公の女子高生は、密猟者だった祖父を持つ家柄。過去の封印を破って跳梁する、狐の魔物らと戦う運命にあった。といっても、本書はホラーではなく、コミカルな、お伽噺(ジャパネスク?)風ファンタジイである。夢の中に住む鷹と狼を従え、人間に憑依する魔物の尻尾を、霊力を持った銃で撃つ展開が面白い。しかし、(読み手の好みにもよるけれど)この文体は読みにくい。受賞作『ルナ』でも指摘されている、矛盾をはらんだ文章(意味不明/多重に意味が取れるセンテンス) がそのまま継承されている。お話に乗れる人にとっては、この混沌さも気にならないのだろうが。 『終末の海』――核戦争の直後に海に逃れた人々の船が座礁。そこに通りかかった大型客船に、子供を中心とした11人の生き残りが乗船する。巨大な豪華客船では、彼らを誘うように皓々と灯りがつけられ、給湯設備も動いている。だが船には誰もいない。しかも航行コンピュータや、エンジンすら稼動していないのだ。船でいったい何が起こっているのか。やがていつの間にか、一人、二人と仲間の姿が失われていく。コンテストの講評では「結末に難あり」だった作品を改稿したもの。副題を「ミステリアス」と変え、船の秘密捜し(犯人捜し)をテーマに絞り込んだようである。お話自体はきわめてシンプル、登場人物も大半が子供ばかりの設定のためか、複雑な人間関係は描かれない。焦点である謎自体は、まずまず納得のいく範囲だろう。 この2作を比較すると、三島浩司は破格(特に文体と世界観)、片理誠はオーソドックスとなるか。『MURAMURA』の世界は非常に感覚的だし、逆に『終末の海』は一見新しそうなガジェットを、昔のSFコミックのように扱っている。対照的な2作といえるだろう。
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2003年のフィリップ・K・ディック賞受賞作(米国で出版されたペーパーバックから選出される賞)。著者は1965年生まれの英国人で、本書が処女長編にあたる。ベストセラーになり、ワーナーによる映画化も予定されている話題作だ。 映画『ブレードランナー』(1982)と、なぜか、レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』(1939)の影響を受けて書かれた。これは、ウィリアム・ギブスンが80年代当時、SFのチャンドラーと評されたことの影響だという。 主人公は、東欧移民と日本人とが住む植民惑星で訓練された傭兵である。任務の失敗で「保管」されていた彼は、遠い地球にデジタル転送され、別人の体の中に蘇る。27世紀(原書では年代の明記はないようだが、翻訳では特定されている)、人間の記憶はすべてスタックと呼ばれるメモリに記録され、肉体が死んでもそれを別の体にダウンロードすれば不死が獲得できる。しかし処置には膨大な経費がかかる。不死者は、富豪であり支配者なのだ。その不死者の一人が“記憶にない自殺”を調査するよう依頼してきた。自殺の真相は、社会のさまざまな暗黒面を明らかにしていく。 基本はハードボイルド・ミステリ。人がデジタル情報になったとしても、人間性を蔑ろにする社会は無くならないというテーマがベース。ビジュアルなエンタメの作風であるため、軽く読める点が良い。ただ、2分冊で箱入りという、この造本の意味は不明。 本書では、著者が教師時代(英語教師)に日本人留学生も教えていた関係で日本の事物/人名が頻出するが、日本文化と物語との関連性は薄い。ところで、訳者があとがきで書いている「鬼子母神」に言及した海外SFは、ルポフ『神の剣 悪魔の剣』(1976)というのが存在する(鬼子母神の由来が、欧米人にも分かりやすいせいかも)。
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2003年の世界幻想文学大賞(第29回世界ファンタジイ大会で選出)受賞作。マキリップはハヤカワ文庫ファンタジイの第1号(復刊された『妖女サイベルの呼び声』)でもあり、翻訳も7冊出ている。ただ、最新の『ムーンドリーム』(1985)が出てから既に17年が経っているという、日本では半ば伝説的な作家の作品になる(30年間の作家生活で、57歳になる作者の著作は21冊。多作ではない)。 オンブリアの都の大公が亡くなった。古い大公家を継ぐのは幼い息子で、大伯母が摂政役として国を治めることになる。酒場娘から妾妃となった女、世継ぎの従兄にあたる男、古代から続く魔力を有する伯母、影の都に住む魔法使いと弟子の少女と、さまざまな人々は都の支配権を巡って暗闘を繰り広げる。 重層的な地下世界と地上(現実)との争いというと、最近の作品(翻訳が3年前)では、マイケル・ムアコック『グロリアーナ』など英国ファンタジイ作家の世界を連想する。権力より絵を描くことを愛する男、愛人を失った妾妃、弟子の出自の秘密と、ライトなファンタジイの人間関係が印象的。とはいえ、影の世界のリアリティが今ひとつ感じとれないのが難点。
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中村融による『フェッセンデンの宇宙』に続く、オリジナル・アンソロジー。幅広くハミルトンを紹介した『フェッセンデン』(広く薄く)を補完する形で、本書ではSFを収録している。続巻では幻想怪奇編が予定されているという。 「アンタレスの星のもとに」(1933) 物質転送機でアンタレスに送られた青年は指導者として迎えられる。 「呪われた銀河」(1935) 隕石に閉じ込められたエネルギー生物が語るこの銀河の秘密。 「ウリオスの復讐」(1935) アトランティスを滅ぼした男女を追う復讐者の運命。 「反対進化」(1936) カナダの森林で発見されたアメーバ生命の正体とは。 「失われた火星の秘宝」(1940)* 滅び去った火星の遺跡で財宝を探す人々。 「審判の日」(1946)* 人類が滅びた後、帰還した男女を迎えたものは。 「超ウラン元素」(1948)* 月面の研究所で生まれた超ウラン物質の驚くべき振る舞い。 「異境の大地」(1949) ラオスの密林の奥で森と同化した研究者の知るものとは。 「審判のあとで」(1963) 核戦争後に月面の基地に帰還する探査ロボットたち。 「プロ」(1964) SF作家の息子が宇宙飛行に旅立つ日。 *…本邦初訳 本書の白眉は、SF作家の哀歓を描いた「プロ」だろう。SFの夢が現実化していくとき、(たとえどんなに馬鹿馬鹿しくとも)原点の発想を支え、現実を動かしたプロとはいったい誰だったのか。晩年近くのハミルトンの心境でもある。とはいえ、それは著者の異色作(傍流)であり、本流の時代から採られた作品からはどうしても“古色蒼然”といった雰囲気が漂ってくる。編者は公正にハミルトンを評価したがゆえに、パルプ作家時代からも収録している。しかし、アイデアの奔放さよりも先に古さを感じてしまうところが、恐らくハミルトンを今日読む上での難点となるだろう。
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