2004/8/1

 ト学会会長の著者が、特にアイデア面を重視したSF(馬鹿げたほどアイデアのスケールが大きい/破格なSF、略してバカSF)を紹介した記事(「MONOマガジン」連載)を集大成したもの。
 さて、中身はジュール・ヴェルヌ『月世界旅行』の現代性、C・L・ムーアの妖艶なシャンブロウで始まり、エドモンド・ハミルトン、E・E・スミス、ジャック・ウィリアムスン、シオドア・スタージョン、フレデリック・ブラウン、チャールズ・L・ハーネス、マレイ・ラインスター、レイモンド・F・ジョーンズ、ダニエル・F・ガロイ、トム・ゴドウィン、エイヴラム・デイヴィッドスン、ロバート・F・ヤングと続いて、
 以下は主に1作単位の紹介に移り、バリントン・ベイリー(『時間衝突』)、ロバート・L・フォワード(『竜の卵』)ヴァーナー・ヴィンジ(『マイクロチップの魔術師』)、ジェームズ・P・ホーガン(『断絶への航海』)、ニーヴン&パーネル(『降伏の儀式』)、シャーリン・マクラム(『暗黒太陽の浮気娘』)
 最後に現代SFでは、グレッグ・イーガン(『宇宙消失』)、ジョン・E・スティス(『マンハッタン強奪』)、ロバート・J・ソウヤー(『ターミナル・エクスペリメント』)、高畑京一郎(『タイムリープ あしたはきのう』)、野尻抱介(『ふわふわの泉』)古橋秀之(『サムライ・レンズマン』)、谷川流(『涼宮ハルヒの憂鬱』)が選ばれている。
 このラインアップ、特に最初の章は、今から読み始める読者には聞いたこともない作家が含まれるだろう。しかし、著者の年代のSF読者としては、むしろ極めてノーマルな選択と写る。マイナーな作品も、当時受け入れる読者が存在したから翻訳されたものだ。その一方、著者も過去の作家の作品は、小説としてダメなものがあると認めている。純文学でも、エンタティンメント小説でも、読者の目が肥えてくれば、小説の完成度が問題にされるのだ。それはカラオケや、ゲームでも同様である。時代とともにレベルは上がる。今となっては下手な作家とされるラインスターも、あれだけ翻訳されたことで分かるように人気があった。本書を性格づけるためか、文学を目指して面白くなくなったSF(代表はニューウェーヴ)というフレーズが見られるが、著者も承知の上での戦略的発言なので、ちょっと注意が必要だろう(それほど単純には分類できない)。バカSF=奇想アイデアとすると、ニューウェーヴの重鎮、バラードの描く世界(たとえば『結晶世界』)や、オールディスの異世界(たとえば『地球の長い午後』)だって十分バカげているのだから。
 
bullet 『神は沈黙せず』評者のレビュー
 

八杉将司『夢見る猫は、宇宙に眠る』(徳間書店)

八杉将司『夢見る猫は、宇宙に眠る』(徳間書店)

Illustration:菅原健、Book Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 第5回SF新人賞受賞作。火星を舞台にした新人作家といえば、第4回小松左京賞の上田早夕里『火星ダーク・バラード』(2003)があるが、本書もほぼ同じデータに基づいて書かれており、火星はいわば(同じ架空の世界設定を用いて、複数作家が競作する)シェアードワールドと化しているのかもしれない。
 主人公は、自身が(合法的とはいえ)クローンであることに負い目を感じていた。目立たない職業に就き、その日を過ごすことでなにげなく暮らしていた彼の前に、一人の女性が現れる。彼女と交わされる会話は、いつか存在論を戦わす議論になる。親友と呼べる関係になった二人だが、彼女はナノテクでテラフォーミングされつつある火星に旅立ってしまう。ある日、彼は火星全土が突然緑化され、滞在する全ての人類もナノテク汚染されたことを知る。しかも、その緑化は彼女の夢が文字通り現実化したものだった…。
 本書の猫とは、(不確定性原理の)シュレーディンガーの猫のこと。それは本書の結末とも結びつく。冒頭から議論という構成は、機本伸司『神様のパズル』を連想させる。後半、舞台が火星に移ると、一転して機動歩兵による行軍シーンなどもあって動きが見える。ただし、本書のテーマである「現実化する夢」という壮大なスケールに対して、この結末だけではまだ不十分ではないか。本当の現実とは何かの、物語としての答えが欲しい。
 
bullet 日本SF新人賞募集要項(日本SF作家クラブ)
bullet 『火星ダーク・バラード』評者のレビュー
bullet 『神様のパズル』評者のレビュー
 

2004/8/8

ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』(国書刊行会)

ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』(国書刊行会)
The Fifth Head of Cerberus,1972(柳下毅一郎訳)

装幀:下田法晴+大西裕二(s.f.d)
 

 国書刊行会「未来の文学」シリーズの第1弾。この“未来”には、もちろん、30〜40年前の未来(すなわち現代)で初めて評価される文学という意味もあるだろう。まあ、山本弘の言うように、「文学なんてなんぼのもんじゃ」という主張もあるが、少なくとも過去に生み出されたSFの中から、そのような価値観で埋もれた作品の再発掘をする意義は十分ある。
 本書は3つの物語で構成されている。
 第1の物語:
 双子惑星の1つで育った兄弟の兄である私は、女たちと威圧的な父、謎めいた叔母、巨大な(ロボットの)教師と館に暮らしている。そこは著名な娼館であり、入口に置かれた三つの首を持つ地獄の猟犬(ケルベロス)で知られている。
 第2の物語:
 2人の兄弟の伝承である。しかし、兄は生まれてまもなく母親と離れ離れになる。弟は旅の途中で、影の子と呼ばれる人ならぬ種族と出会い、奇妙な預言者(老賢者)の声を聞く。
 第3の物語:
 1人の士官がいる。彼は囚人から送られてきた証拠書類を断片的に聞きながら、この囚人の処遇を決めようとしている。その書類と録音テープによって、第1の物語の人物と、第2の物語で記された伝承、そしてフィールドワークによって明らかにされる世界のさまざまなありさまが浮かび上がってくる。
 さて三つ首のケルベロスの第五の首とは何か、この世界に住む影の子とは何者か、言及されるSF作品には何があるのか、誰が誰について語っているのか。
 本書については、既に各種書評で取り上げられており、ナボコフへの言及など文学的側面については評者が論じるまでもない。とはいえ、SFについてはマイケル・ビショップ『樹海伝説』(特に、ベースとなった中篇「死と選定の儀式」(1973))との関連が色濃く感じられると言っておこう。これは逆に、ビショップがウルフの影響を受けたといえるだろう。70年代初頭という時代の反映といえるかもしれない。
 
bullet 本書の詳細な研究サイト
訳者あとがきでも言及されていたサイト
bullet 若島正によるレビュー(毎日新聞)
bullet 評者による「新しい太陽の書」完結当時のサーベイ
bullet 評者による『樹海伝説』を含むサーベイ
 

2004/8/15

桐生祐狩『小説探偵GEDO』(早川書房)

桐生祐狩『小説探偵GEDO』(早川書房)

Cover Direction & design:岩郷重力+WONDER WORKZ。、Cover Illustration:笹井一個
 

 第8回ホラー小説大賞長編賞(2001)を受賞後、既に多くのホラー作品を執筆した作者だが、そもそも最初の長編自体、内容的にはSFだった。当時、評者はそこに描かれた少年たち(小学生)にリアリティが感じられず、あまり高い評価を与えていない。だが、著者のインタビュー記事(SFマガジン2004年9月号)などを読むと、彼女の小学校時代が“そのまま”書かれただけなのだという。小学校5年でキューブリックの『時計じかけのオレンジ』(この映画はアメリカではR指定だった)を見て、「理解できないことは何もなかった」とある。
 …という、いわゆる鬼畜(道徳/倫理に反するものを描く)ホラーを得意とする作者が、今回はモラルを併せ持つ主人公“小説探偵”を据えた連作短編集を書いた。小説探偵のアイデアは昔からあって、小説の中に書かれた謎の探求やフィクションの中に入り込む等の前例はある。しかし、作中人物が連続ドラマ風に毎回リアル世界の探偵を訪れ、その度にフィクション内冒険が描かれるのは著者のオリジナル設定だろう。
 収められている7編中、SFマガジンに掲載された2作を除けば、70%に相当する5編が書き下ろし。表題が(架空の)本の題名になっており、本格ミステリ「黄金の船」、明治やおい小説「妖蛾異人伝」、翻訳ミステリ「青き追憶の森」、新宿風俗小説「タイトロープな男たち」、未完の大長編伝奇小説「百合秘紋」、ライトノベルズ「チェンジングヘッド」、ファンタジイ「ソード・オブ・ウインド」である。各短編読み切り形式ながら、主人公にまつわる重要な伏線の解明が終わっていない。続編が予定されているようだ。現在の出版ビジネスや、ジャンル自体に対する皮肉なパロディとして読んでも楽しめる。
 
bullet 『夏の滴』評者のレビュー
 

津原泰水『綺譚集』(集英社)

津原泰水『綺譚集』(集英社)

Cover Photograph: Kim Stringfellow,1989, Book Design: Miki Matsuki+MAKARA
 

 津原やすみ名義でライトノベルズ「あたしのエイリアン」シリーズ(1989〜96)を執筆後、本格的な幻想ホラー小説『妖都』(1997)を発表、以降濃厚な文章で書かれた長編/短編を出し続ける著者の、本書は第2短編集にあたる。大半は、「異形コレクション」等のテーマアンソロジイに掲載されたものだ。
 全15作を収録。それにしても、少女や同性愛者、少年期の思い出/自由連想などが、シームレスに死や虐待と結合する様は、ほかの作家の作品と大きく異なる特徴といえるだろう。
 何れもごく短いお話で、たとえば、ひき殺した少女を解体する「天使解体」、学校に憑いた亡霊の少年「夜のジャミラ」、世話になった女の失われた足の骨「脛骨」、遠い昔の古傷の中「古傷と太陽」、執念のようにゴッホの絵を庭に再現する男「ドービニィの庭で」などなど。これらのストーリーはホラーなのだろうが、練られた言葉のリズムによってか、スプラッタ的なグロテスクさは感じられない。
 推薦者の多くはSFに近い人である。そのため、本書はブラッドベリを思わせ、文学的な細密さ/上品さだけでなく、都会風の幻想小説の持つ軽快感を併せ持っている。実は評者は牧野修にも同様の印象を受けたことがある。ホラーやSFが、ファンタジイから派生した経緯を考えると、牧野/津原流の小説がむしろオリジナルの血筋に近いのだろう。
 
bullet 著者の公式サイト
bullet 本書の公式サイト
 

2004/8/22

マイク・アシュリー『SF雑誌の歴史 パルプマガジンの饗宴』(東京創元社)

マイク・アシュリー『SF雑誌の歴史 パルプマガジンの饗宴』(東京創元社)
Unleashing the Atom (The Time Machines) Part1 of the Science-Fiction Magazines,2000 (牧眞司訳)

装丁:岩郷重力+WONDER WORKZ。、資料提供:野田昌宏
 

 イギリスの研究家、マイク・アシュリーのSF雑誌研究3部作の第1部にあたる(現在第2部まで完了)。主にアメリカで、大衆向け読み捨て雑誌として流布していたパルプ(読み捨てであるため、大半が現存しない)が、なぜ日本でこれほど知られているかといえば、黎明期のSFマガジンに連載された野田昌宏による紹介記事(『SF英雄群像』(1969))の影響が大きい。そもそも本書も、東京創元社から世界初の単行本化を予定されていたもので、日本でのパルプ雑誌に対する思い入れの深さが窺えるだろう。
 年次最優秀SF賞で名を残すヒューゴー・ガーンズバックが、初めてSF雑誌「アメージング・ストーリーズ」を創刊したのは1926年のことである。しかし、それは専門誌として初であって、SFを含む読み捨て雑誌は19世紀はじめから、欧米で既に大量に印刷されていた。その流れは、ダイム・ノヴェル(1ダイムで買える小説週刊誌)を経て、パルプマガジン(量産に適した新聞用パルプ用紙を使った雑誌)を生み出す。ウェスタン/怪奇物/探偵小説/ファンタジイといった小説類は、当時テレビやラジオ、映画ですら未分化な時代では、娯楽の中枢にあり多く読まれたのだ。そのような下地が整い、潜在的読者も見込めることで、初めて専門誌が成立したのである。
 ガーンズバックのSFは科学啓蒙小説としてスタートする。しかし、娯楽小説を求める読者の要望(当時から啓蒙小説には、あまりに文学性/リーダビリティがないと指摘されていた)に応じて、E・R・バローズ(火星シリーズ)やエイブラハム・メリットの秘境冒険物が書かれ、やがて超科学小説が登場する。後のスペース・オペラに連なるE・E・スミス(スカイラーク・シリーズ)、エドモンド・ハミルトンらである。
 1930年創刊の「アスタウンディング・ストーリーズ」は最初冒険SF雑誌だったが、より小説の完成度を高めていった。30年代後半のアメリカでは、パルプ雑誌が全盛で、ロマンス小説や架空戦記(日本やドイツとの戦争物)まで、あらゆる分野の娯楽小説が書かれていた。このころ、ヒーロー物/SFから派生したコミック専門誌も誕生する(フラッシュ・ゴードンやバック・ロジャーズ、38年にはバットマンとスーパーマン)。ジョン・W・キャンベルが「アスタウンディング」編集長に就くのは1937年、誌名も「…ストーリーズ」が「…サイエンス・フィクション」に変わり、今日のSFと同品質の優れた小説が書かれるようになる。しかし、急成長するパルプ雑誌の市場では、ありがちな粗製濫造が生じ、扇情的な表紙絵(半裸の美女と怪物)もあってアメリカでのSF=低俗というイメージを決定付けもした。バブルが過ぎた50年代にはパルプ雑誌は終焉を迎え、ダイジェストサイズの新しいスタイルに移行できたもの以外は淘汰される。SFが(蔵書に値する)単行本で出されるようになったのは、ようやくこのころからである。
 著者アシュリーはSFを7つの段階に分けて説明する。小道具(啓蒙の目的物)SF→スペース・オペラ→リアリズム(科学による影響を現実的に考察)SF→大宇宙(空間だけでなく時間をも超越した)SF→テクノロジカル(リアリズムがさらに進化)SF→観念論(人間精神の可能性を考察)SF→核時代SF(核戦争/原子力の負の影響を考察)である。これは、現在までのSFを論じたのではない。あくまでも50年代にいたる25年間の進展を述べただけだ。つまり、今日に至るさまざまな可能性は、この短い年月の間(しかも大恐慌と1つの大戦を挟む)に、少なくとも芽吹いていたわけである。本当のところ、本書は1ファンのためというより、英米SF研究者向けの資料(ページの2割を占める詳細な索引つき)であるが、語りはジャーナリスティックで読みやすくディープなファンにも向いている。
 
bullet 『評伝・SFの先駆者 今日泊亜蘭』評者のレビュー
日本で50年代以前に関係した人はこの人くらい。戦前の記録はまとまっていない。
 

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