2009/8/2

Amazon『下りの船』(早川書房)

佐藤哲也『下りの船』(早川書房)



フォーマットデザイン・装幀:水戸部功、装画:山田純嗣「(07-27)FOREST-ANIMALS」(2007)

 《想像力の文学》第3回配本。著者にとって、『サラミス』(2005)から4年ぶりの新作である。古代ギリシャの海戦を描いた前作から一転して、本書は一人の孤児の運命が淡々と述べられている作品だ。佐藤哲弥は、お話の重層感をテーマによって大きく変えている。それが最大の特徴だろう。本書は『妻の帝国』(2002)以来の“重い”テーマといえる。

 主人公は孤児である。老人夫婦に拾われ育てられる。戦争に明け暮れ、地球は疲弊していた。そんな時代、文明から隔てられた村に兵士たちが現れ、村人を強制的に移民船に乗せる。移民船は、水瓶座ベータを回る植民惑星に人々を運ぶ。しかし、そこも豊かさからは程遠かった。ジャングルで覆われ、貧しく荒れ果てた世界だ。戦争は新しい世界でも間断なく続いている。彼はまた混乱に巻き込まれていく。

 部分的にSFのように書かれているし、戦乱に明け暮れる世界は20世紀の東南アジアのようでもある。とはいえ、本書は人間社会の普遍的な構造を書いたように思える。意思を封じる権力(抗いがたい宿命)と、対立する自由意志(自ら命運を切り開く)。けれども、誰もが乗り組む時間の流れの中で、大多数の人々は川下に向かって流されていくのみだ。諦観と意思のせめぎあいとして、物語は書かれている。主人公の旅は、川の流れに沿って下っていく。

 

2009/8/9

Amazon『ドーン』(講談社)

平野啓一郎『ドーン』(講談社)



写真:広川泰士、装幀:古平正義

 平野啓一郎の最新長編。舞台が2030年代という近未来、火星飛行を終えた宇宙飛行士たちが主人公なので、設定やガジェットの多くにSF的な工夫(現在あるものを、単純に未来に置き換えていない)がこめられている。

 2033年人類は火星に降り立つ。アメリカは初の有人火星探査船ドーンを、2年半にわたるミッションに派遣したのだ。しかし、6名の宇宙飛行士は技術面以外の困難を背負うことになる。そのうち一人は日本人で、医師として乗り組んでいる。彼には東京大震災で愛児を亡くした過去がある。帰還後、彼らは英雄として大統領選挙に利用されるようになる。このとき、アメリカは泥沼の東アフリカ戦争を継続しており大きな争点となっていた。

 本書の参考文献には、WIRED VISIONの記事からの引用が多数含まれている。このサイトは主にITに関係した最新技術をタイムリーに紹介しているのだが、その中には政治/軍事的な話題(例えばこれ)も含まれている。本書が描く近未来は、そういった世界を反映しているのだ。世界は《散影》と呼ばれる監視カメラ網に覆われており、誰もが特定個人を検索できるようになっている。この時代では各個人が、対人関係に応じた個性《ディヴィジュアル dividual》(性格や行動パターン)を、別々に持っているという考え方が一般的なのだった。主人公は、震災体験、火星探査、英雄と裏切り者(真相を隠すもの)という、複数のディヴィジュアルの狭間で揺れる。お話は、女性飛行士と国際的なテロ事件との関わり、主人公と妻との葛藤を軸に動いていく。ただし、最近のウィリアム・ギブスンより大局を狙ったお話ではあるものの、読者の世界観を広げるまでには至らないのは、(精密に近未来が組み立てられているだけに)少し残念だ。

 

2009/8/16

Amazon『ペルディード・ストリート・ステーション』(早川書房)

チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』(早川書房)
Perdido Street Station,2000(日暮雅通訳)


装画:鈴木康士、装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 英国のSF/ホラー/ファンタジイ(著者はこれらをウィアード・フィクションと称している)の注目作家、チャイナ・ミエヴィルの代表作。2001年の英国幻想文学大賞アーサー・C・クラーク賞受賞作。2000枚弱の大作である。著者は1972年生まれで、国際法の博士号を持っている。法科系のドクターは、SF作家では比較的珍しい。英国の新鋭作家には多いが、社会主義者であることも特徴だ(作品でも、その思想が窺える)。26歳で『キング・ラット』(1998)によりデビュー(本書は2001年に翻訳されているが、あまり注目を集めなかった)。

 異種族が混在する世界バス=ラグ、そこに巨大都市ニュー・クロブゾンが存在する。ペルディード・ストリート・ステーションとは、都市の中央にある、さまざまな鉄道の出発点/ハブ・ステーションを意味する。その都市の一角で、斬新な統一場の理論を構築しようとしていた科学者の下に、一人の鳥人(ガルーダ)が訪れる。鳥人は失った翼の再生を依頼する。翼を検討する途上、科学者は一匹の幼虫を手に入れるが。

 科学といっても、この世界の科学は既知のものとは微妙に異なる。動力源はスチーム、錬金術と魔術が交じり合う。科学者の恋人は甲虫の頭を持った半昆虫人。無数の異種族が登場し、それぞれ詳細な描写がされている(だから、これほどの大冊になる)。やがて、成長した幼虫が正体を現すと、都市は大混乱に巻き込まれていく。本書でも、マーヴィン・ピーク『ゴーメンガースト』(1946〜56、壮大で退廃的/陰鬱な巨大都市/城塞)と、オールディス『マラキア・タペストリ』(1976、架空世界の物語を、淡々とアンチクライマックスに描く)の影響が見つかるが、同じことがムアコックの代表作『グロリアーナ』にも見られる。現代の英国作家にとって、これらが異世界描写の基本になることは間違いない。本書の場合、幼虫との騒動がメインストーリーとなる関係で、『マラキア…』ほど淡々としておらずリーダビリティも高いといえる。

 

2009/8/23

Amazon『ノパルガース』(早川書房)

ジャック・ヴァンス『ノパルガース』(早川書房)
Nopalgarth,1966(伊藤典夫訳)


Cover Illustration:Jim Burns、Cover Design:Hayakawa Design

 ジャック・ヴァンスは1916年生まれ、本日時点で訃報を聞いていないから、もう93歳になるが健在だ。著名な作品が多く、『竜を駆る種族』(1962)は日本でもロングセラーとなっている。英米のベテラン作家(ジョージ・R・R・マーチン、ニール・ゲイマン、タニス・リーら)も、エキゾチックな異世界/異生物描写から、ヴァンスの影響を受けたと表明している。

 国防総省の科学者は、奇妙な異星人に拉致され、精神寄生生物と戦う彼らの尖兵に仕立て上げられる。派遣された惑星ノパルガースは、過去から寄生生物の支配下にあった。だが、精神支配をされた人々にとって、彼の行動は敵対的にしか見えない。孤立無援の科学者に、任務達成の手段はないのか。

 しかし、本書はヴァンスの代表作ではない(《終末期の赤い地球 Dying Earth》シリーズあたりが代表作で、トリビュート・アンソロジーも刊行されている)。エース・ダブルブックの片面でリリース(当時は題名が異なっている)され、後にDAWブックスで再刊された(1980)ものではあるが、相当にマイナーな作品だろう。60年代後半作ながら、パルプフィクションのシンプルさ、クラシックさがそのまま感じられる。というのも、本編を選択した訳者の観点(埋もれたB級SFを発掘する)が、そこにあるからだ。昨今の英国SFは冗長そうだし、新しいアメリカSFはミリタリーものばかり、ということで敬遠気味のシニア読者が、SFの原点(斬新なアイデアがチープな設定で描かれる)を再発見するのには良いかも知れない。

 

2009/8/30

Amazon『無限記憶』(東京創元社)

ロバート・チャールズ・ウィルスン『無限記憶』(東京創元社)
AXIS,2007(茂木健訳)


Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。Cover Photo Complex:L.O.S.164

 『時間封鎖』(詳細は下記のリンクを参照)の続編。半年で3部作の第2部まで翻訳されたが、アメリカでも完結編は未刊である。

 “時間封鎖”が解除された後には、40億年後の宇宙があった。地球には未知の惑星とのゲート(未知のテクノロジイによる“どこでもドア”)が設けられ、多数の移民者を受け入れたその惑星も、封鎖を行った超越者“仮定体”が人工的に作り上げたものと考えられていた。女性主人公は、行方不明となった父親を追っている。惑星には仮定体との接触を図る長命者たちがおり、違法な手段で生まれた子供と生活している。そこに、宇宙から未曾有の光る灰が降り注ぐ。灰の正体は何か、子供だけが見られる仮定体の存在とは何か。

 灰からは奇妙な生命が生まれる。それは、仮定体の一部であるとされる。そもそもゲートは何のためにあるのか。何のために人類は40億年も時間封鎖されたのか、主要な謎は依然として解明されない。ウィルソンの場合、作品には厳密な意味でのオリジナリティはない。例えば、灰から生まれる機械は、ジョン・ヴァーリイ「火星の王たちの館にて」(火星の砂から、おもちゃのような機械的生命が生まれる)を思わせるし、ゲートは、ダン・シモンズ『ハイペリオン』などに登場する転移ゲート(未知のテクノロジを応用したため、原因不明の途絶で文明が危機を迎える)と同じ発想だ。だから、アイデアに依存しない人物設定や、お話を重視した書き方をする(著者自身は、それでもSFであることは止めない、と表明しているが)。以上の経緯から想像するに、完結編でも壮大な謎は謎のまま残されるような気がする。