2010/5/2

Amazon『密閉都市のトリニティ』(講談社)

鳥羽森『密閉都市のトリニティ』(講談社)


装丁:西野直樹、カバー画像素材提供:エイチツーソフト

 覆面作家による疫病ミステリSF。京都大学教授のペンネームであるが、予断を避けるために学部も専門分野も未公表だという。しかし、複雑に組み立てられた伏線や登場人物の配置など、処女作特有の未熟さはあまり感じられない。参考文献は小説/詩/絵画や、ペンローズの『皇帝の新しい心』など多岐にわたるが、SF関連書も多い。アンダースン『脳波』、キース『アルジャーノンに花束を』、クラーク『幼年期の終り』、小松左京「髪か紙か」、筒井康隆『私説博物誌』の名前が挙げられている。

 1993年7月の夜、京都上空に現れた無数の気球群から致死性のウィルスが投下され、50万人もの犠牲者を出す生物テロ事件となる。感染の広がりを恐れた政府は、京都全域を封鎖し人の出入りを厳しく制限する。しかし、その後京都は洛都大学を中心とした目覚ましい学問的成果を出し、特異な存在感を示すようになる。2010年、残忍な性犯罪に巻き込まれた主人公は、過去の隠された秘密を知るようになる。

 ウィルステロを扱った小説に、もはや新味はないが、本書はそこに生物進化/人工知能、全共闘世代の事件/謎の物語ASURAと、複数のアイデアを投入している。SFの参考書から連想できる進化テーマに、性的捻りを入れた部分がユニークだ(大森望の推薦文が「小松左京『継ぐのは誰か?』×半村良『石の血脈』」となるのは、こういう意味に由来する)。ただ、全ての伏線が回収されている点には感心するが、多重に仕掛けられたどんでん返しは濃厚すぎる。もう少しシンプルであっても良いだろう。

 

2010/5/9

Amazon『トギオ』(宝島社)

太朗想史郎『トギオ』(宝島社)


装画:TAKORASU、装幀:高柳雅人

 1月に出た、第8回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作(中山七里『さよならドビュッシー』と2作同時受賞)。近未来を舞台にした、ある種のノワール小説(犯罪者を主人公としたミステリ)となっている。

 近未来の日本を思わせる世界。人口の大半は首都に集中し、地方は仕事どころか人を養う術も失っている。主人公は口減らしに捨てられた子を拾って周囲から孤立し、ついに殺人事件を犯す。地方から港湾都市に逃れ、不法な稼ぎで蓄財、やがて憧れの首都東暁(とうぎょう)に入り込むに至る。

 物語は、「既に死んだ主人公の視点」で、かつ「老人となった捨て子が、義理の兄を思い出しながら語る」というスタイルで書かれている。主人公の行き先には常に犯罪が顔をのぞかせ、最後には天災級の大規模テロが発生する。首都の描写は幻想的で、現実とファンタジイとの境界にある。こういう設定や小説構造の斬新さから、本書は大賞に推されたのだが、やはり読者にリアリティ(あるいは真逆の破天荒さでもよい)を感じさせる描写力が弱く、評価に結びついていないようだ。架空都市東京となると、『シャングリ・ラ』(2005)のような大物があるので、なかなか対抗は難しい。

 

2010/5/16

Amazon『ピストルズ』(講談社)

阿部和重『ピストルズ』(講談社)


ブックデザイン:Coa Graphics、表紙写真:(c)Everett Collection/amanaimages

 3月に出た本。芥川賞作家(2005年第132回)阿部和重の新作長編で、『シンセミア』(2003)に続く神町3部作の第2部に相当する(第3部は未刊)。表題は、ロバート・メイプルソープの写真集Pistils(雌しべ)からインスパイアされたもの。

 神町に住む書店の店主は、果樹園の奥にある菖蒲家に興味を持ったことをきっかけに、次女からその一族の驚くべき秘密を聞き出すことに成功する。本書はその手記なのである。1200年前に端を発する一族誕生の伝承、一子相伝で伝えられる秘術と過酷な儀式、現在の当主と祖父との激しい相克の日々、母親がそれぞれ異なる四姉妹と長男の生きざま、人を自在に操る天才的な四女の能力、そして、町で巻き起こる猟奇的殺人事件の真相とは。

 神町は山形県に実在する地名だが、そこを舞台に描かれる物語は壮大な“嘘”の集積であり(だからこそ)フィクションである。本書の中でも引用される、半村良『産霊山秘録』(1973)を思わせる超能力者一族の、不思議な生活と出来事が描き出されている。彼らはその存在を隠すために、人々の記憶を操作するのである。とはいえ、本書には半村良ほど時空を駆け巡る波乱万丈さはない。その分、母親違いの5兄弟や、能力の起源などを詳細に説き起こすことで、登場人物の実在感や事件の生々しさを高めようとしている。一族の呪い/因縁めいた、父と娘のエピソードが哀しい。最後の事件は、芥川賞受賞作「グランド・フィナーレ」の続編ともなっている。

 

2010/5/23

 4月に出た「小説現代」連載(2008年5月〜9年11月)の単行本。前作は『クリスマスの4人』(2001)なので、9年ぶりの新作長編である。著者は合作ペンネーム岡嶋二人時代でも、例えば『クラインの壺』(1989)など、SF的な設定でミステリを書いてきた。本書は本格的な超能力者ものとなっている。

 山梨県の大学病院で致死性のウィルスによる感染症が発生する。新種のウィルスは一部のキャリアを経由して猛威を振るうが、数百人の犠牲者までで封じ込めに成功する。大多数が亡くなる中、発症者から3人だけが生還/覚醒する。しかし、彼らには奇妙な後遺症があった。物理的な常識を覆す、超常能力が付与されていたのだ。その力は彼らの運命を大きく歪めていく。

 ウィルスの後遺症で能力を得るというのは、核戦争/最終戦争の結果(突然変異で)新人類が誕生する往年のパターンの新バージョンかもしれない。一方で、テレビドラマはもちろん、宮部みゆき『クロスファイア』(1998)などのように、超能力を扱う小説はもはや一般化している。超能力者は無限のパワーを持っているのだが、社会には、意識的にも/物理的にも彼らを受け入れる余地がない。なぜなら、管理できない力は社会=既存秩序を崩壊させる危険な存在だからだ。本書はそういった考察をちりばめながら、超能力者たちの運命を分かりやすく描き出している。ただし、この結末は走り過ぎていて、(アイデアがSF的であるがために)論理的整合性に無理を感じさせるのが残念。

 

2010/5/30

Amazon『ぼくらのひみつ』(早川書房)

藤谷治『ぼくらのひみつ』(早川書房)


カバー装画:北沢平祐、ブックデザイン:水戸部功

 《想像力の文学》叢書の1冊。2008年に休刊した文藝誌「あとん」に連載された(2005年12月〜7年4月)長編小説である。著者は、下北沢で書店「フィクショネス」(ボルヘスの『伝奇集』から採られた店名)を経営している。昨年出た『船に乗れ!』三部作がベストセラーになるなど話題を呼んだ作者だが、小学生時代から濫読した長い読書歴の中で、想像力の手本とする作家は小松左京と筒井康隆なのだという。

 2001年10月12日午前11時31分、主人公の時間が停止する。眠り、目覚め、毎日の生活を繰り返しても、主人公の時間は11時31分のままなのだ。周囲は彼を置き去りにして進んでいき、彼が関わる瞬間だけ11時31分になるようだった。しかし、ある日一人の女性と出会い、同じ時間の中で同居するようになる。やがて、彼の体に異変が生じるようになる。

 主人公はバイト明けの朝、1分間で循環する時間の罠に取り込まれてしまう。けれど、筒井康隆「しゃっくり」のように世界全体ではなく、彼一人だけに異変が起こっている。なぜ彼なのか、なぜ同じ時間なのに起こる現象(出会う人物)は異なるのか、背中に取憑いた麻袋は何を意味するのか、さまざまな考察をノートに記録する体裁で物語は進行する。本書は世界全体の意味よりも、次第に閉塞していく主人公の独白に焦点を当てている。麻袋の中で育っていくものの正体が不気味だ。