2010/6/6
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電光肋骨団がデザインするブックカバーは、70年代生まれの“ゼロ年代”作家書き下ろしのテーマとなっているようだ。この二人には、ライトノベル出身、理学博士という共通のプロフィールがある。ただ、同じ理系作家といっても、その作風はかなり異なっている。
『さよならペンギン』:塾の講師を勤める主人公は、1500年を生きる、量子力学的な意味での“観測者”だった。彼はペンギンの姿をした“延長体”とともに、同じ境遇の観測者を探し続けている。ある日、彼らは仲間らしき存在と遭遇するのだが、予想外の攻撃を受けることになる。
『星の舞台からみてる』:近未来、主人公はネット上の知人を対象とする葬儀サービスに勤務している。リアルより仮想関係が中心の社会では、葬儀の告知サービスも専門のプロを介する必要がある。そんなある日、事業の創業者が亡くなり、親会社の社員、得体の知れない高校生と共に、遺言を執行することになる。しかし、創業者には誰にも知らされていない、隠された秘密があったのである。
両者とも、キャラクタが求められるライトノベルと、SFの読者では期待されるものが異なる、という趣旨の発言をしている(SFマガジン2010年7月号)。その結果、『さよなら…』では、量子力学のアイデアと冲方丁《マルドゥック・シリーズ》風のコンビ(ボイルドとウフコック=不死者とペンギン)が組み合わされ、『星の舞台…』はSE(システム・エンジニア)を主人公として、黎明期から現在までのネット社会を背景としながら、事件解明の顛末が描かれている。
前者は多世界解釈と不死者の悲哀がユニーク。難点は、それが後半の活劇シーンに埋もれてしまった点だ。量子力学的観測者である必然性が薄い。後者は、情報業界のリアルな雰囲気があり、読み応えは十分ある。だが、結末のスケールアップがやや不十分な印象である。創業者の秘密と、宇宙で出会ったものとの関係が分かり難い。
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2010/6/12
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メディアでも紹介された北野勇作の書き下ろし“ライトノベル”。著者自身は日本ファンタジーノベル大賞(第4回・優秀賞)や、日本SF大賞(第22回)を受賞した立派な経歴を持つが、確信犯的に、こういう説明を書いていることからも、本書が従来の北野的作品であることが分かるようになっている。北野的作品とは、(底なしの泥沼のように)明確な結末もなく、エピソードの積み上げで形成されるファンタジイである。
売れない中年SF作家が窮余の果てに書いたライトノベルは、メイドは登場するもののさっぱり萌えない小説だった。メイド喫茶の作家と、編集者、若社長たちの会話、そして小説内小説で竜退治する勇者たちのお話が混交しながら物語は進んでいく。
本書を買っているのは、多くがメディアワークス文庫の読者のようである(Amazonの履歴)。ライトノベルは大量に出版されてきたので、(この分野しか読まない)専門的読者も少なくない。そういう視点で読むと本書は(相当)難解だ。何が問題かは、そもそも本書の中に具体的に書いてあるので(今流行している批評的小説だ)、それが面白くない人には、これほど詰らない小説もないのである。萌えない主人公(中年のオッサン)、あけすけで覚めたメイド(書割り的な役割であることを自覚している)、現実の世界かと思っていると非現実に落ち込んでいく展開と、結局非ラノベの世界=北野勇作の世界に還元されることになる。
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2010/6/20
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著者は63年生まれ、これまで『少女革命ウテナ』(1997)等アニメーションの脚本を多数手がけてきたが、小説は本書が初めてとなる。『機動警察パトレイバー』(1988〜)のような、有人パワードスーツ型の警察ロボット部隊を主人公とした物語である。
近未来の東京、機甲兵装(パワードスーツ)が戦場で常用されるにつれ、密輸/密造されたそれら兵器を使ったテロ行為も日常化していた。警察組織内でも兵装を用いたSWAT部隊が設置されるが、彼らだけで解決できない事件をきっかけに、新たな特捜部SIPDが誕生する。官僚組織としては例外的に、SIPDには“龍機兵”と呼ばれる最新装備と、警察外の搭乗員が配置される。
ベースに警察組織としての仲間意識/相対する強烈な排外主義があり、その上に複雑な背景を持つ搭乗員たちの心理描写があるという構成で、本書はハードな印象を残す小説となっている。大規模なテロ作戦の実行犯を追い詰めるまでが描かれ、背景追求は続刊に続く(執筆準備中)ものの、一応完結はしている。日本にはミリタリーSFという分野は(シミュレーション・ノベルを除けば)“ほぼ”存在しない。しかし、本書の場合、市街戦を思わせる戦闘描写(敵は傭兵くずれ)など、軍隊組織の暗黒面を描いたミリタリーSFとも読める。そういう部分が旧来のアニメにない新しい観点と言えるだろう。
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2010/6/27
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PHPの月刊文庫「文蔵」に、2008年8月から2009年9月に亘って連載された長編の単行本化。『アイの物語』(2006)の結末=ロボットに支えられた善意の社会を、否定することからスタートしたとされる小説である。
2001年、米国同時多発テロの直前、突如現れた未来人たちの手によって、人類は一切の武装を解除されてしまう。テロリストたちは未然に拘束され、地震など大規模災害は事前通告された結果、犠牲者ゼロで乗り切ることができた。未来人は人間ではなく、精巧に作られたロボットだった。果たして彼らは人類を永久に幸福にできる存在なのか。ロボット三原則に従い、既知の事件を回避し、人類をより良い未来に導こうとする彼らの試みは、未知の/本来は起こらなかったはずの悲劇を生み出すという矛盾をはらんでいた。
SFはSFの上に作られるのであるが、本書は一般読者向け「文蔵」連載の所為もあって、その元ネタが明快に示されている。長編だけでも『ヒューマノイド』(1948)、『リプレイ』(1987)、『フラッシュフォワード』(1999)、『放浪惑星』(1964)、『航時軍団』(1952)など、クラッシックから近作まで複数の書名が挙げられている。主に歴史改変/未来からのメッセージに関わる作品だ。未来ではなく、近過去を舞台にしているため、本書では主人公は作者そのもの。未来の自分から、将来書くはずの作品を受け取ったりする。作者の家族を含め、実名も多数登場する。ただ、存在しなかった過去を描くのだから“私小説”(自身の生活を書く小説)とは違う。フィクションで書かれた作者が、リアルな作者を批評的に描写する点が面白い。
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ロシアの人気作家ペレーヴィンの出世作で、ロシア国内のSF関係賞を受賞するとともに、文学界からも注目を集めた作品だ。新書変形サイズで200ページ足らず、原稿用紙にして300枚程度の中長編である。
ソビエトの時代、主人公は不遇な少年時代を経て、宇宙飛行士を志願する。しかし、そこから彼は奇妙な事実を知ることになる。ソビエト科学を結集したはずの宇宙開発は、驚くべき犠牲を伴っていたのである。やがて、月の裏側を目指す任務に就くことになるが。
J・G・バラードの短編に「死亡した宇宙飛行士」(1968)というのがあり、それは廃墟となった宇宙基地と、死亡した宇宙飛行士を乗せたまま軌道を回る宇宙船を描いた作品だった。バラードは心の中に存在する内宇宙とハードウェアを伴う外宇宙を、そのような形で皮肉に対比して見せたのだ。ペレーヴィンは、同じようなスタンスで本書を書いている。ソビエト時代に隠された悲劇があったとしても、本書のような事実ではないだろう。しかし、ペレーヴィンは、人々の内面としてはこうなのだったと主張している。ほとんどギャグのような設定なのに描写はあくまで淡々としており、抑圧された諦観とでもいえる独特の印象を残す。
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