2013/2/3

テッド・ムーニイ『ほかの惑星への気楽な旅』(河出書房新社)
Easy Travel to Other Planets、1981(中村融訳)

カバーイラスト:中野真実、ブックデザイン:永松大剛(BUFFALO.GYM)

 河出書房新社《ストレンジ・フィクション》叢書の新刊。1951年生まれの作家、テッド・ムーニイによる本書は、プレ・サイバーパンクともいえる伝説的な長編である。著者がマイナーで、すでに30年前の作品でもあり、紹介が遅れていたものだ。

 主人公はイルカとのコミュニケーションを図る研究者。居室の中にまでイルカが通れるプールを設け、やがて肉体的にも意思を伝えようとする。一方彼女の夫は、友人や人妻などと複雑な不倫関係を持ち、彼女の離婚歴のある母親は癌に怯えている。情報を過剰に摂取することで、精神が麻痺する情報病患者が日常的に見られる世界、一方では、戦争の恐怖が静かに広がろうとしていた。

 本書の訳者あとがきでも言及されている、ラリイ・マキャフリイによる論考「入れたり出したり 二進法的愛の拒絶」(1984年発表、『アヴァン・ポップ』収録)では、本書を、性描写が解放された1950年代後半以降で、最後に位置する代表作としている。エロティックな描写は、単に男女の肉体関係を描くだけでは、直ちに陳腐化してしまう。斬新であるためには、文体や設定自体にまで関係性を敷衍し、どこまでも拡張していく必要がある。妻と夫、不倫関係にある友人、母親と別れた夫、奇妙な肉体関係にあるイルカ、情報病が蔓延し南極を争点に戦争を予感させる世界、さらには時間軸が錯綜する文体。これら、さまざまな要素を持つ『ほかの惑星…』は、もっとも進んだ性愛小説なのだ。書かれている性描写は非常に無機的で、ある意味70年代の(『クラッシュ』を書いた)バラードを思わせる。また、ギブスンやスターリングが称賛したように、情報病などデータに翻弄される世界は、直後に現れるサイバーパンクの前兆でもあるのだ。

 

2013/2/10

アンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』(国書刊行会)
Asylum Piece,1940(山田和子訳)

装丁:水戸部功

 著者アンナ・カヴァンの名を一挙に高めた短編集。20代後半から本名でロマンス小説を出していたが、不幸な結婚生活やヘロイン体験を経て出た本書は、多くの作家や評論家から絶賛を持って迎えられた。ブライアン・オールディスが『氷』(1967)を評価したことから、SFの読み手にも注目された作家だ。その原点にあるのが本書である。初版刊行後70年になるが、描かれた世界は、(異質であるがゆえに)まったく古びていない。

母斑(あざ):寄宿学校で知り合った同級生には、腕に薔薇の文様をした母斑があった
上の世界へ:陽の差さない低層に住む私は、パトロンに訴えるために最上層を訪れるが
敵:この世のどこかに存在する、見知らぬ敵に怯える日々
変容する家:放浪する一族に属する私が、定住のための古い家を手に入れたとき
鳥:いつ来るかもしれない告発を恐れる私は、庭に美しい鳥の姿を見る
不満の表明:審問のアドバイザーに疑念を抱いた私は、その交代を申請しようとする
いまひとつの失敗:責任回避を難詰された私は、それを乗り越えようと話し合い場所に向かう
召喚:古くからの友人と久しぶりに会った私は、覚えのない理由で当局から同行を求められる
夜に:冬の夜私は、何者かに罪状を押し付けられるかのような不眠に悩まされている
不愉快な警告:何事もうまくいかない日の終わりに、私は最後の通告を受ける
頭の中の機械:自動的な機械が強制する、苦痛に満ちた毎日の作業
アサイラム・ピース:高原の湖の畔にある、18世紀の館に設けられたクリニックを舞台とする8つの物語
終わりはもうそこに:判決の結果は、何の変哲もない普通の郵便で届けられる
終わりはない:破滅への運命が決まった私は、それでも厳しい監視のもとにある

 ここで「アサイラム・ピース」のasylumとは精神療養所のことで、そのpiece(つまり断片)からなる物語という意味になる。表題作だけが8章(といっても、独立したエピソード)から成る中編だ。あとはきわめて短い短編で、併せても300余枚にしかならない。すべてが一人称で書かれている。発表当時はカフカに比肩する才能と称賛されたが、自身の体験を色濃く反映したものといえるだろう。“私”の知人は牢獄に閉じ込められ、不満の訴えは徒労であり、どこかに敵が潜んでおり、安らかな生活は訪れず、告発や審問、離婚や難詰、そして生の終わりを通告される。究極は「アサイラム・ピース」である。著者は、スイスのサナトリウムで療養生活を送ったことがある。そこが「アサイラム・ピース」の館なのだ。しかし、ここに書かれた物語は、およそ現実のものではない。著者の想像力が生んだ、恐ろしく怜悧で透明な異世界をそこに見ることができる。

 

2013/2/17

デイヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス(上下)』(河出書房新社)
Claud Atlas,2004(中川千帆訳)

装丁:木庭貴信(Octave)、装画:カンノサカン

 デイヴィッド・ミッチェルは1969年生まれの英国作家。小説を書くようになった動機に、ル・グィンの《アースシー》や、アシモフの《ファウンデーション》、ジョン・ウィンダムの『さなぎ』(1955)を挙げるが、自身は既訳の『ナンバー9ドリーム』(2001)と本書で2回、ブッカー賞の最終候補(ショートリスト)までノミネートされた文学メインストリームの作家だ。『クラウド・アトラス』は6つのパートから成る1つの長編である。

アダム・ユーイングの太平洋航海誌:19世紀、南太平洋をわたるアメリカ人公証人が書いた記録
セデル・ゲムからの手紙:1931年ベルギー、老作曲家の採譜助手に雇われた若き作曲家の煩悩
半減期―ルイーザ・レイ最初の事件:1970年代米国西海岸、電力会社の原発告発スクープを追う女性記者
ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練:現代英国、詐欺的な出版社がベストセラーを引き当てた後
ソンミ451のオリゾン:少し未来の韓国、会社独裁体制で奴隷クローンの一人が目覚めるとき
スルーシャの渡しとそん後のすべて:遠い未来のハワイ、疫病で滅びつつある世界で生きる野蛮な住人たち

 作者は本書の構成を、ロシアのマトローシュカ人形のような入れ子構造と説明している。上巻では6つのエピソードの前半が書かれ、下巻ではその逆の順番で物語が閉じていくからだ。本書は映画化され、間もなく国内公開もされる。さすがに映画の限られた時間でエピソードの羅列は許されないため、より強い因果関係を設け、お話を分かりやすくした(その分、平凡な出来になったという評価が多い)。小説版では、これらを繋ぐのは“物語”である。ハワイの人々はソンミのホログラムを見、ソンミはキャヴェンディッシュのお話を、キャヴェンディッシュは女性記者の小説を、記者は採譜助手の作曲した「クラウド・アトラス六重奏」を聴き、若き作曲家は古びた航海日誌を見つける。各物語ごとに、メルヴィル風海洋小説だったり、歴史ロマンス、映画の「チャイナ・シンドローム」風サスペンスであったり、コメディタッチだったりと起伏が設けられ、SFパートはプロパー作家よりそれらしく、未来のお話は文体も工夫された冒険ファンタジイだ。まさに、著者の才気が縦横に溢れる作品だろう。

 

2013/2/24

北野勇作『ヒトデの星』(河出書房新社)


装画:山村浩二、装丁:川名潤(Pri Graphics Inc.)

 北野勇作の『どろんころんど』(2010)、『きつねのつき』(2011)の系統となる、《遠い未来の昔ばなし》シリーズの書き下ろし長編。設定的には『どろんころんど』の直系といってよいだろう。

 一面泥だけの世界。その世界の泥は、自己増殖する工場によって作られたのだという。主人公はヒトではないヒトデナシの泥人形で、工場の工員だったが、今は泥海に建つツリーの建設労働者となっている。毎日通勤するなかで、ふと自身の家を持とうとする。それはテレビを見つけたことがきっかけだった。

 ヒトデナシはヒトデから作られ、もちろんヒトではないからヒトデナシと呼ばれている。意識を持たない自動人形なのに、テレビのヒトを真似るようになって、家と妻、猫や金魚、そして町並みや路地を作り出していく。人類が滅亡したはるかな未来で、ヒトでないものが、はるか昔のヒトをマネして生きているのだ。テレビと卓袱台がある畳の部屋、狭い二階建ての家には物干し台があり、一人の子供と妻のいる生活。しかし、彼らはふと人の記憶を呼び覚ます。それが事実だったのか、偽りの記憶なのかを思い悩む。ヒトとヒトでないもの、日常生活のシミュラクラ(偽物)、未来と過去の混交という、著者独特の異世界観が強く感じられる作品である。やがてヒトデナシは、自身をヒトバシラにして天に届くツリーを建設するのが、予めプログラムされた目的なのだと知る。その頂点で光り輝くのが、ヒトデの形をした星なのだ。