著者アンナ・カヴァンの名を一挙に高めた短編集。20代後半から本名でロマンス小説を出していたが、不幸な結婚生活やヘロイン体験を経て出た本書は、多くの作家や評論家から絶賛を持って迎えられた。ブライアン・オールディスが『氷』(1967)を評価したことから、SFの読み手にも注目された作家だ。その原点にあるのが本書である。初版刊行後70年になるが、描かれた世界は、(異質であるがゆえに)まったく古びていない。
母斑(あざ):寄宿学校で知り合った同級生には、腕に薔薇の文様をした母斑があった 上の世界へ:陽の差さない低層に住む私は、パトロンに訴えるために最上層を訪れるが 敵:この世のどこかに存在する、見知らぬ敵に怯える日々 変容する家:放浪する一族に属する私が、定住のための古い家を手に入れたとき 鳥:いつ来るかもしれない告発を恐れる私は、庭に美しい鳥の姿を見る 不満の表明:審問のアドバイザーに疑念を抱いた私は、その交代を申請しようとする いまひとつの失敗:責任回避を難詰された私は、それを乗り越えようと話し合い場所に向かう 召喚:古くからの友人と久しぶりに会った私は、覚えのない理由で当局から同行を求められる 夜に:冬の夜私は、何者かに罪状を押し付けられるかのような不眠に悩まされている 不愉快な警告:何事もうまくいかない日の終わりに、私は最後の通告を受ける 頭の中の機械:自動的な機械が強制する、苦痛に満ちた毎日の作業 アサイラム・ピース:高原の湖の畔にある、18世紀の館に設けられたクリニックを舞台とする8つの物語 終わりはもうそこに:判決の結果は、何の変哲もない普通の郵便で届けられる 終わりはない:破滅への運命が決まった私は、それでも厳しい監視のもとにある
ここで「アサイラム・ピース」のasylumとは精神療養所のことで、そのpiece(つまり断片)からなる物語という意味になる。表題作だけが8章(といっても、独立したエピソード)から成る中編だ。あとはきわめて短い短編で、併せても300余枚にしかならない。すべてが一人称で書かれている。発表当時はカフカに比肩する才能と称賛されたが、自身の体験を色濃く反映したものといえるだろう。“私”の知人は牢獄に閉じ込められ、不満の訴えは徒労であり、どこかに敵が潜んでおり、安らかな生活は訪れず、告発や審問、離婚や難詰、そして生の終わりを通告される。究極は「アサイラム・ピース」である。著者は、スイスのサナトリウムで療養生活を送ったことがある。そこが「アサイラム・ピース」の館なのだ。しかし、ここに書かれた物語は、およそ現実のものではない。著者の想像力が生んだ、恐ろしく怜悧で透明な異世界をそこに見ることができる。
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