2010/9/5
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著者単独の小説としては、16年ぶりの単行本となる。最近は、ノンフィクションの著作しかなかった(2002年の『魔法大全』など)。しかも本書のベースは、同人誌(1980年東大SF研発行)掲載のショートショート「スターシップ・ドリーミン」なのだから、30年ぶりの長編化である。ちなみに、ショートショート版では、本書の前半までの設定が描かれている。この結末は、ある英国作家のサバイバルSFを思わせるものだった。
主人公たちは恒星間を飛行する移民船で生まれた。21世紀のいつか、地球は未知の病原菌に汚染され、人類は滅亡の危機に曝されている。彼らは最後の希望として、植民をやり遂げる必要がある…そう教えられてきた。しかし、ある日、まったく別の真実が明らかになる。
当たり前と思われていた生活/常識が覆される、生命の危険を伴う試練を迎える、重大な使命を大人に負けずに果たす(成長する)という、ベーシックな少年少女小説/ジュヴナイルのポイントがすべて押さえられている。原型となるショートショートが悲観的な結末で終わったことに対して、本書は表題通り「希望」をテーマに掲げている。著者は、ジュヴナイルの原点に立ち還って、本書を別の物語に書き直したのである。
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2010/9/12
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福音館書店《ボクラノSFシリーズ》初の書き下ろし長編である。
児童保護ロボット(カメロイド)万年1号と、宣伝担当セル・アンドロイド(セルロイド)アリスが、休止状態から目覚めると、そこには泥人形ヒトデナシだけが存在するどろんこの世界だった。人間たちはどこに行ったのか、放送局から流されるTVの正体は何なのか。にせものの世界の中を彼らの旅がはじまる。
どろんこの世界とは、文字通り泥沼そのもの、泥濘がどこまでも続く世界である。そこでは人に似せて作られたヒトデナシたちが、人間の世界を模倣した町を作ろうとしている。地下鉄のようなものや、デパートのようなもの、都会のようなものが、一見それらしく作られている。しかし、裏側に回ってみると、どれもが全く異質のシミュラクラ/ニセモノだ。同じように、カメロイドとセルロイドの主人公たちも、ここでは意味のない存在である。そして、最後に明らかにされる人類の運命は、大変不気味なものといえる。ユーモラスに描かれた著者の作品だが、どれにも慄然とする恐怖が巧妙に織り込まれている。本書の場合、その密度が大変濃くなっていると感じられる。オリジナル(合成)フォントを使うなど、凝った造りとなっていることも、効果を上げているのだろう。
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2010/9/19
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ファシズム政権下に置かれた英国を描く、ジョー・ウォルトンの歴史改変小説3部作(Small Changeシリーズと称する)である。ネビュラ賞やサイドワイズ賞(改変歴史小説が対象)などの最終候補になり、第2作『暗殺のハムレット』は2008年の英国プロメテウス賞を受賞している。著者は英国生まれ、現在はカナダのケベック州に在住。9.11(2001年)に衝撃を受け、イラク進攻(2003年)をきっかけに『英雄たちの朝』を書き上げたという。大衆を煽るデマゴーグに怒りを感じたからだ。
【ファージングI】1949年、ドイツとの戦争が講和で終わってから8年が経過していた。ロンドン近郊のハンプシャーにファージングという地所があり、英国保守党の派閥の領袖たちが集うパーティが催されていた。そこで、次期首相とも目される有力議員が殺される。スコットランドヤードの警部補は容疑者を絞り込むが、貴族院議員、爵位を持つ上流階級のはざまで真相は歪められていく。
【ファージングII】事件から1か月後、ロンドン郊外で爆発事件が起こる。しかし、死亡したベテラン女優と爆発物がなぜ結びつくのか。折しもロンドンではヒトラーを迎え、独英首脳会談が開催されようとしている。厳戒体制の下、貴族出身の主人公は男女逆転の新趣向であるハムレットのヒロインに抜擢される。
【ファージングIII】1960年、英国がファシズム国家になって10年が過ぎた。警部補は英国版ゲシュタポの隊長となり、逮捕状なしで市民を拘束する密告・恐怖政治の先頭に立つ一方、裏でユダヤ人の国外脱出に手を貸していた。そんな混乱の中、彼が後見人となっている亡くなった部下の娘が、社交界デビューを果たそうとしていた。
英米文化といっても、日本人の多くは単純なハリウッド文化を知っているだけだ。英国のような、多くの矛盾を抱えた階級社会の深層は分かっていない。本書は、改変歴史ものであると同時に、差別の色濃い英国社会を描き出している。1巻目はユダヤ人と結婚した貴族の娘、2巻目は名家(ミットフォード姉妹がモデル)からスピンアウトした女優、3巻目はエリザベス女王謁見まで果たした庶民階級の娘が、それぞれの視点で社会について語っている。ここでのポイントは、階級やユダヤ蔑視を公然と口にする登場人物が、日常生活では普通の人間という違和感だろう。ヒトラーでさえ怪物ではない。その当たり前の人間がファシズムを肯定し、強制収容所を作るのである。物語はI巻、II巻と緊密度を上げて、ただIII巻目は予定調和的に終わる。カタルシスを得られる一方、ややバランスの悪さを感じさせる結末だ。
ところで、本書の原題は英国コインの名称になっている。英国独特の12進数(例えばダース)単位の通貨だった、ファージング硬貨(4分の1ペニー、1960年廃止)、ハーフペニー硬貨(1970年にいったん廃止、同じ名称で再流通後84年で鍛造終了)、ハーフクラウン硬貨(1970年廃止)に対応する。それぞれ、地名(本書では派閥の名称でもある)、ハムレットが上演される劇場の一番安い座席、王室などバッキンガムの象徴と、2重の意味を持たせている点が面白い。
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2010/9/26
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牧野修のホラー・ミステリ長編。10編のエピソードに分かれていて、《トクソウ事件ファイル》1、2と分冊になっているが、1つの長編として読むべきものだろう。
金敷署には、どこの所轄からも敬遠される、トンデモ系の苦情を扱う特殊相談対策室(略してトクソウ)が設けられていた。掃き溜めの署員を集め、誰も重要視しない仕事のはずだった。しかし、ある時点からその苦情には1つの傾向が見え始める。町には荒廃した雰囲気が立ち込め、異様な率で殺人事件が発生、関与したトクソウの署員たちからも犠牲者が出るに至った。この背後には、いったい何が隠されているのだろうか。
教科書通りの正義に拘った警官、定年間際で周囲に厭われる老警官、不倫騒動を起こした婦人警官、同僚を亡くした暴力女刑事、寝たきりの妻と居場所のない家庭を持つ元公安などなど、トクソウのメンバーは、それぞれ破たんした人生を歩んでいる。今回の怪奇事件で再出発できれば良いのだが、(著者の小説の登場人物である以上)さらに悲惨な運命が待ち構えている。対するは、宇宙人系/電波系クレーマー、新興宗教、呪われた家、さらにはスピリチュアル・コンサルタントたちである。ユーモラスな掛け合いとは裏腹となる、結末との落差が本書でのポイントだろう。完成まで6年弱という労作。ばらばらのエピソードが最後に意味を与えられ、1つのお話に収斂するくだりはスムーズだ。
なお、本書の各章に付けられた表題は、すべて「アウター・リミッツ」日本版(リンク先は音楽が鳴るので注意)から採られている。もともと原題とはずいぶん異なるネーミングだが、こうしてみると全部が電波系の悪夢とも解釈できて恐ろしい。
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