2011/11/6

Amazon『きつねのつき』(河出書房新社) 

北野勇作『きつねのつき』(河出書房新社)


装画:西島大介、装丁:川名潤 (Pri Graphics Inc.)

 8月に出た、北野勇作の書き下ろし長編。斯界の評価も高く、『かめ探偵K』(2011/5)や、『どろんころんど』(2010/8)の世界をさらに深化/完成させた作品ともいわれる。

 ある町で、主人公は妻と保育園に通う娘との3人暮らしである。屈託のない娘を保育園に送り迎えする毎日だ。妻は天井の隅に棲みつき、回復しつつあるのだろう。町の人々の中には、人ではない者たちも混じっている。町は危険地帯なのかもしれず、しかし、隔離されているのか、無視されているのか、そのことを語るのはタブーかもしれない。

 「きつねのつき」は娘が歌う童謡。保育園の先生たちも、真夜中にその唄を唱和する。この町は、過去に(『ナウシカ』の巨神兵のような)巨人が斃れた後に作られたところであるらしい。巨人の存在は町に害毒をもたらし、無数のオバケ/ロボットの存在を招き、死者の再生さえも許してしまう。曖昧で正体がはっきりせず、本能の奥底のような闇が見え隠れする。著者特有の得体のしれない“不気味なもの”たちは、昔から我々の住む街角に潜んでいた。『どろんころんど』では、その正体が一段階明らかになった。3.11後の本書は、それをより明瞭な“悪しきもの”として描いている。著者の筆致が、闇の一端を具体的に示してくれるのである。

 

2011/11/13

Amazon『鳥はいまどこを飛ぶか』(東京創元社)Amazon『殺人者の空』(東京創元社)

山野浩一『鳥はいまどこを飛ぶか』 『殺人者の空』(東京創元社)


Cover Illustration:塩田雅紀、Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 伝説のSF作家、山野浩一の傑作選である。2分冊で初期から最終までの19編を収め、著者の全貌を知ることができる。なぜ“伝説”なのかと言えば、約50年前の日本SF黎明期から30年前にかけて、単行本数作分の小説を残しただけながら、その活動(評論、独自の雑誌「NW-SF」創刊、サンリオSF文庫監修など)が、当時のSF界に大きなインパクトを与えたからである。以降、競馬関係に仕事の主流が移ったため、いまでもSF作家として認知している読者は少数だろう(そのあたりの経緯は自身のprofileに詳しい)。

鳥はいまどこを飛ぶか(1971):目の前を鳥が横切るとともに、別次元へと変わっていく世界
消えた街(1964):ある日、巨大な団地全体が乾燥した荒野へと消えてしまう
赤い貨物列車(1965):都会に向かう夜行列車で、次々と繰り返される不条理な殺人事件
X電車で行こう(1964):電気的には存在するが、姿が見えない幽霊列車があらゆる鉄道路線を疾走する
マインド・ウインド(1973):田舎町で人々を巻き込むレミング現象と、日常的なしがらみに悩む主人公
城(1965):何の不自由もない、万能の城に住む少年(ショートショート)
カルブ爆撃隊(1974):親しくもない係長に連れ出された主人公は、いつの間にか爆撃隊員とされている
首狩り(1971):意図せずデモに参加して会社を辞めさせられた男は、首だけを狩る秘密組織の一員となる
虹の彼女(1970):職を転々とする主人公が出会う、薄明りの中の彼女とは
霧の中の人々(1976):見知らぬ山へと登った男は、霧に包まれた巨大な建物へと迷い込む

メシメリ街道(1973):主人公の行く手を阻む、決して横断することができない自動車道路
開放時間(1966):21世紀とともに時間旅行が自由になり、時間から解放された世界
闇に星々(1965):公認作家を目指す主人公の前に現れた超能力者の彼女
Tと失踪者たち(1972):人々が次々と消失し、社会の機能が失われていく世界
φ(1980):人口が自殺により減少する未来、あらゆる人の性質を併せ持つ存在φ(ファイ)の語ることとは
森の人々(不明):森の中を、見知らぬ獣を探して彷徨う男(ショートショート)
殺人者の空(1974):学生運動のトラブルでKを殺害した主人公は、Kが存在しない学生であることを知る
内宇宙の銀河(1980):体を丸め、内面へと退行していく病が蔓延する。その体内に見えるのは渦巻
ザ・クライム(The Crime)(1975):無理な日程で、春山を登頂しようとした主人公が迷い込む迷宮

 「X電車で行こう」は、監督りんたろう、音楽山下洋輔でOVA(1987)となったこともある。著者のSFデビュー作であると同時に、多数のアンソロジイに収録される代表短編となった。この後、SFアイデアを意識した「開放時間」などを経て、「鳥はいまどこを飛ぶか」「Tと失踪者たち」「メシメリ街道」というSFと抽象との(論理的意味付けに重点がある)中間的な作品が書かれ、やがて、「カルブ爆撃隊」「殺人者の空」「ザ・クライム」といった著者独特の幻想作品へと昇華して行く。「内宇宙の銀河」などは、20年後に出る石黒達昌を思わせる先駆的内容だ。短期と言っても15年の幅がある。SFに対する強い指向性を持ち、アイデアが捨てがたい初期作と、抽象化を進め一歩引いた後期作では、受ける印象もずいぶん異なる。前者では、著者の鉄道趣味が出た「赤い貨物列車」「X電車で行こう」が、後者では「殺人者の空」「内宇宙の銀河」が優れている。もう一つの趣味である登山がテーマの「霧の中…」「ザ・クライム」も悪くない。

 

2011/11/20

Amazon『なまづま』(角川書店) Amazon『穴らしきものに入る』(角川書店) 

堀井拓馬『なまづま』(角川書店)
カバーイラスト:笹井一個、カバーデザイン:國枝達也(角川書店装丁室)

国広正人『穴らしきものに入る』(角川書店)
カバーイラスト:クリハラタカシ、カバーデザイン:西村弘美(角川書店装丁室)

 第18回日本ホラー小説大賞の、長編賞と短編賞受賞作品である(本年は大賞受賞作がなかった)。それぞれ1987年と、1979年生まれの若い作者が受賞した。

『なまづま』(長編賞):ヌメリヒトモドキと呼ばれる生物が蔓延する近未来。それは粘液で覆われた不死の生き物で、物理的行為で殺すことができない。しかも、人の遺伝子などの情報を吸収し、定期的に“女王”と融合しては、より人間に近い存在へと変態を遂げていく。主人公は、そのヌメリヒトモドキに亡くなった妻の髪の毛を与え、再生を図ろうとする。

 『なまづま』は、ヒトモドキ部分がSF的ながら、その追及が主題ではない。主体性がなく人間関係を嫌う主人公が、自分を導いてくれていた“妻”の再生=死者の蘇えりにのめり込むという物語になっている。蘇えったものは、ホラーの定石通りおぞましいものなのであるが、最後にちょっと捻りがある。人間関係の描写に難があるものの、主人公の執念(妄執)と設定の特異さとがうまくバランスしている。その絶妙さで受賞したといえる。

「穴らしきものに入る」(短編賞):ある日、主人公が散水ホースの穴を見ていると、そこを通り抜けたいという強烈な欲望を感じるようになる。強く念じているうちに、やがて、体がするりとホースを抜け、反対側に滑り出ることができるようになる。その日から、あらゆる穴を通り抜けることが彼の人生のすべてになっていく。

 『穴らしきものに入る』には、表題作の他、「金骨」(死んだ父親の骨が金だった)、「よだれが出そうなほどいい日陰」(日向を極端に嫌う主人公)、「エムエーエスケー」(起きてみると見知らぬマスクを被っていた)、「赤子が一本」(赤ん坊が景品で出るという自動販売機)などの書下ろし4作を収める。この中では、やはり受賞作が奇想=ワン・アイデアをテンポ良く処理できていて一番優れている。他はショートショート級のアイデアなので、もう少し刈り込んだ方が読みやすいだろう。ナンセンス・アイデアは、読者に疑問を抱かせる間を与えないのがポイントなのだ。

 

2011/11/27

Amazon『これはぺんです』(新潮社)

円城塔『これはペンです』(新潮社)


カバー:IBM Selectric typeball、装幀:新潮社装幀室

 表題作は、第145回芥川賞選考委員会で、全く評価しない石原慎太郎らと、絶賛する池澤夏樹らを2分する大論争を引き起こした問題作。論争と言っても、本作が「理解できるかできないか」という表層的な議論なので、それ自体に意味はない。著者の6冊目の単行本となる本書は、これまでの諸作の中でもっとも分かりやすい部類に入る。理由は、それが良く知られた先端的なSFのテーマに近いからである。

 これはペンです(2011/1):文書/論文の自動生成を考案した叔父から送られてきた、IBMタイプライタのヘッド(表紙)
 良い夜を持っている(2011/9):超記憶力を有する父親が見た世界のありさまを、20年後に回想する子供の語り

 2中編を収録する。表題作は画期的な文書の自動生成装置(プログラム)を創出した叔父と、姪との間で交わされる手紙で構成されたもの。もちろん、自動生成された論文は、非常に本物らしいがニセモノだ。叔父は正体不明で、流布された写真も贋物しかない。ランダムから意味のある文書を綴る、同じようにランダムなDNAから、正常な遺伝子を生成することができるかもしれないと仄めかす。叔父とは何者か、そもそも叔父はリアルに存在するのだろうか。
 後者は、忘れない記憶を持つ父のお話だ。記憶を忘れることができないから、時間による順序付けも、論理的な解釈も必要ない。そして、記憶はそれぞれ仮想の風景と結びついている。父には普通の文書を綴ることができない。ある特殊なプログラミング言語を使って記述を行う。誰にもその本当の意味は分からない。本書の2作は、どちらも抽象的ではあるものの、現代SFの主要テーマ(仮想現実と仮想記憶)を扱っている。こういった概念に興味のない人には難解だろうが、イマジネーションを刺激する優れた作品だ。