2015/6/7
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2006年から連載が開始され、2014年に完結するまでの9年間、SFマガジンに年3〜4回のペースで連載、計31話の連作短編形式で書かれた2000枚に及ぶ大作だ。1947年生まれの梶尾真治は、現在も雑誌連載など精力的に活動を続けているが、本書はこれまで書かれた中でも最長の作品になるだろう。
地球が太陽フレアに焼かれ、滅びる可能性が高まる。しかし、この事実は隠され、移民船による脱出計画が密かに進んでいた。世代間宇宙船ノアズ・アーク号に乗り組み、172光年先にある地球型惑星を目指すのだ。その数3万人。一方、取り残された人々もやがて真相に気が付く。ある者は残り、多くは奇跡的な発明「転送」装置により、瞬間移動することを選ぶ。だが、転送は成功確率が低く、民族や家族も引き裂かれた、着の身着のままの人々が未開の大地に投げ出される結果となる。彼らを結びつけるのは、後から移民船でたどり着く人々を怨み復讐するという怒りなのだった。
連作短編と書かれているように、本書は3つの世界(宇宙船、約束の地=異星、地球も含めれば3つ)で起こる、小さなエピソードの積み重ねで成り立っている。大統領の娘と恋人(地球)、襲いかかる未知の生き物(異星)、残された人々の最後の日々(地球)、分散した小集団の再会(異星)、記念劇に現われた意外な人物(異星)、宇宙船の中での恋人探し(宇宙船)、船での重大事故(宇宙船)、宇宙船からの信号受信(異星)、排斥を叫ぶ過激派の台頭(異星)などなどだ。未開の惑星に国家が誕生しやがて文明化する、宇宙船がトラブルを抱えながら世代交代する、それぞれ数百年(正確な年数は書かれていない)の時間が経過する。著者の意図として、国家や権力のようなパワーゲームはあまり描かれない。限られた世界の中で生きる、人々の生活や淡い恋が点描される。最終エピソードは、他者への信頼に満ちていて心地良い。普通なら正反対となるところだが、いかにも梶尾真治らしい結末といえる。
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2015/6/14
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2012年の第3回創元SF短編賞で、優秀賞を受賞した著者の初短篇集、連作長編でもある。SFマガジンに掲載された3編に中編書下ろし1編を加え、登場人物を共通にした一連の作品となっているからだ。
エコーの中でもう一度(2013/2):よろず音響解析相談の音研にミュージシャンの失踪調査が持ち込まれる
亡霊と天使のビート(2014/2):ある邸宅の子供部屋で、機器に録音できない不気味な音が聞こえる
サイレンの呪文(2014/10):秘匿された音源《青い海》、その秘密を狙う何ものかが武佐音研を襲う
波の手紙が響くとき(書下し):聞いたものはすべて、徐々に耳を侵されていくという禁断の音楽の真相とは
音を使ったSF/ミステリといえば、スーパー聴覚力を持つ主人公が登場する、浅暮三文『石の中の蜘蛛』(2002)などが思い浮かぶ。本書の場合は、著者が「ハードSFで行こう」と意識して書いた作品なので、音に対してより明晰な分析がされるのが特徴だ。人間の脳の機能は多くが見ることに使われる。それでもデータ量が多すぎて、情報を無意識的に補完するなど、錯覚に陥りやすい。音はそうではない。データさえ綿密に詰めていけば、見えなかった真相が「聞こえてくる」という。各エピソードは、それぞれ一人称で語られる。口のひたすら悪いチーフエンジニア(「エコー…」)、雑用に追われる女性スタッフ(「亡霊…」)、変声前の天使の声を持つ長身肥満の音研所長(「サイレン…」)。最後の中編では一転三人称になり、周辺を含めた人物の来歴が明らかになる。ハードSFといっても、真相はそれぞれの生きざまに落ちる。最後の大ネタまでを含めて、ガジェットではなく人間主体なのが親しみを感じさせて良い。
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2015/6/21
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中村融によるオリジナルアンソロジイ。もともと、冒頭の「肥満翼賛クラブ」、「お告げ」、巻末の「街角の書店」という3つの埋もれた〈奇妙な味〉の短篇を、読者に紹介する媒体として考えられたのだという。もちろん、他の15篇も同様の趣旨で、読まれる機会が少ない隠れた秀作が選ばれている。18編もあるが、長いものでも60数枚、10枚程度のショートショートも含まれるなど短いものが中心だ。確かにこういう短篇は、雑誌単発掲載で断片的に読むことしかできなかった。
ジョン・アンソニー・ウェスト「肥満翼賛クラブ」(1963):そのクラブでは夫の肥満度を毎年競うのだった
イーヴリン・ウォー「ディケンズを愛した男」(1933):遭難した男がディケンズ好きの現地人に助けられる
シャーリイ・ジャクスン「お告げ」(1958):主人公は、老婦人がなくしたメモにお告げの言葉を見る
ジャック・ヴァンス「アルフレッドの方舟」(1965)*:大洪水到来を信じた男は小ぶりな方舟を作り始める
ハーヴィー・ジェイコブズ「おもちゃ」(1969):骨董屋の店先で、男は幼少期に遊んだおもちゃを見かける
ミルドレッド・クリンガーマン「赤い心臓と青い薔薇」(1961)*:中年婦人が語る息子が連れ帰った男の話
ロナルド・ダンカン「姉の夫」(1965)*:戦時休暇で連れ帰った弟の連れは、やがて姉の夫となるが
ケイト・ウィルヘルム「遭遇」(1970)*:雪嵐に襲われた長距離バスの待合所で、一晩を過ごす男女の乗客
カート・クラーク「ナックルズ」(1964):神に対する悪魔、そしてサンタクロースの対極にいるナックルズ
テリー・カー「試金石」(1964):ふと見かけた古書店には、本の他に魔法の石が置かれていた
チャド・オリヴァー「お隣の男の子」(1951)*:ラジオ番組に登場した子供は殺人の工夫が好きと話し出す
フレドリック・ブラウン「古屋敷」(1960):古い屋敷の中で、さまざまな事物の置かれた部屋を彷徨う
ジョン・スタインベック「M街七番地の出来事」(1955):息子の口の中に這い込む、ガムに似た何か
ロジャー・ゼラズニイ「ボルジアの手」(1963)*:人体を商う行商人の後を追った少年の正体
フリッツ・ライバー「アダムズ氏の邪悪の園」(1963)*:グラビア雑誌で巨富を築いた富豪の隠された庭園
ハリー・ハリスン「大瀑布」(1970):そこは世界の涯の大瀑布で、先には別の世界があるらしい
ブリット・シュヴァイツァー「旅の途中で」(1960):頭を落とした男が、体を取り戻すまで
ネルスン・ボンド「街角の書店」:その見知らぬ書店には、ありえないはずの本が並んでいた
*初訳
ブラックな「肥満翼賛クラブ」、偶然が呼ぶ心温まる「お告げ」、苦いファンタジイ「街角の書店」と、これだけでも趣向がばらついている。そこで編者は作品の順序を工夫することで、違和感がないように配慮した(グラデーションを付けると表現されている)。薄い色(現実に近い)から濃い色(より抽象的)へ、ファンタジイの度合いを18段階変化させるという意味だろう。ブラウンやハリスンなど、結末がオープンの作品もある(ミステリと違うので問題はないが)。中でも、見ず知らずのイラストレータの女と、セールスマンの男による「遭遇」は、編者から非常にSF的な解釈が可能と“挑戦”されてるので、そういう観点で読むこともできる(評者の解釈は、この待合室での出来事全体が女性の創作だった、作者とアイデアが遭遇したのだというものです)。ライバーは集中さすがの貫録。
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2015/6/28
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ゼンデギ زندگی とは、ペルシャ語で生命、生活、生存を意味する言葉だ。舞台は近過去(2012)/近未来(2027)のイラン、テーマはイーガン得意の人間意識の電子化である。
オーストラリア人ジャーナリストである主人公は、保守政権下のイランで取材活動をしていたが、強権に対する民衆の反発と新政権の誕生を目撃する。一方、母娘で亡命し、MITで脳の電子的マッピングを目指すヒト・コネクトーム・プロジェクトに従事する娘は、人間の完全なコピーについて奇妙な提案を受ける。15年後、イランの世界的なVRゲーム〈ゼンデギ〉では、迫真性を高めるためサッカー選手のスキャンを進めようとしていた。
著者は2008年にイランを訪問し、保守強硬派アフマディーネジャード大統領が再選される直前の国内各地を取材している。この選挙は、国内でも不正があったと批判されたものだ。その後、2013年の選挙で穏健改革派ロウハニー大統領が誕生し、緊張緩和が進んでいる。イラン・イスラム共和国は、問題があるとしても、我々がイメージするほど前近代的な国家ではないし、国民による自浄能力もあるわけだ。
さて、物語では2組の親子が描かれる。帰化したジャーナリストとイラン人の妻、その息子はメインの登場人物だ。主人公は、息子のために自身の電子化を望むようになる。もう一組、亡命した学者の母娘は、保守派敗北後に帰国し、娘はVRゲーム〈ゼンデギ〉の開発責任者となる。しかし、ゲームはライバルメーカにシェアを崩され、臨場感を高める切り札として、かつて研究していた脳のマッピングを選択する。それは、人の複製に対する倫理的、宗教的な反発を呼ぶことになる。このアイデアで、イーガンはこれまで何度も書いている。今回、より倫理的なハードルが高い現実のイラン、より感情の絡む親子の関係を対象に選び、生命/生活/生存に対する意味について議論を深めたといえる。
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