2013/12/1

法月綸太郎『ノックス・マシン』(角川書店)
装画:遠藤拓人、装丁:國枝達也(角川書店装丁室)

東山彰良『ブラックライダー』(新潮社)
装画:水沢そら、装幀:新潮社装幀室

 今週はミステリ系の2作品。
 3月に出た法月綸太郎の『ノックス・マシン』は、構造的に非常にユニークな短篇集となっている。帯に「本格ミステリとSFの美しき融合」とあるが、実は融合していない。純粋なSFの設定を土台にして、その上で謎解きの本格ミステリを書いているからだ。それぞれの特性を生かす形ながら、役割は明確に区分されている。謎を解決するネタが、土台のSFに準拠しているのがミソだ。

 「ノックス・マシン」(2008):数理文学分析の専門家である主人公が国家プロジェクトに呼び出される
 「引き立て役倶楽部の陰謀」(2009):かつての密約を破られた倶楽部のメンバーは作家抹殺を宣言する
 「バベルの牢獄」(2010):異星人と対抗するため鏡像人格とペアを組む主人公はある牢獄に閉じ込められる
 「論理蒸発」(2013):電子図書会社で原典管理を担当する主人公は、情報破壊事件の鍵を握るとされる

 ロナルド・ノックスの記した古典的な十戒と、マイクロブラックホールによるタイムトラベルを組み合わせた表題作を始め、ミステリの登場人物(脇役)や作家たちが集まって、彼らの存在を否定する作品を書いたアガサ・クリスティを抹殺しようとする「引き立て役…」、異星人の作り上げた情報牢獄を打ち破ろうとする「バベルの牢獄」、世界をネットする量子コンピュータ内部で“発熱する”情報を特定修復するという「論理蒸発」など、ミステリ・テキストにまつわるテーマで全編が貫かれている。これがファンタジイに落ちず、科学ネタに準拠したSF的根拠を示して終わるのは、さすがにロジカルな著者らしい。
 9月に出た東山彰良『ブラックライダー』は、23世紀のアメリカを舞台としたポスト・アポカリプス(文明破滅後)ものの大作。著者は第1回「このミステリがすごい!」大賞(2002)銀賞でデビュー以来、第11回大藪春彦賞(2008)を受賞するなど豊富な実績を持つ。

 6.16と呼ばれる何らかの天変地異、核戦争を経て、文明は一度滅んだ。食料が枯渇する中で人肉嗜食も当たり前に横行する。やがて、一部の地域から文明が復活していくが、アメリカ西部では遠い昔の西部劇そのままの無法地帯が広がっていた。そこに黒い服を着た騎乗の救世主、ブラックライダーの出現を説く伝説が生まれる。

 かつて無法者だった保安官、列車強盗を企む兄弟、遺伝子操作された牛から生まれる人と似たもの、巨大で人を食らう牛、人体に寄生する不気味な線虫、ブラックライダーを信奉する一団と政府の討伐軍との死闘などなどが、1400枚あまりの分量に贅沢に盛り込まれている。危うい設定ながら、読んでいて破綻は感じられない。人物が豊かなことが特徴で、(やや紋切型ではあるものの)アメリカ人らしい豪放な個性が描き分けられている。日本人は(ほぼ)一人も登場しない。後半目まぐるしく視点が移り変わり、主人公も交代していく。読んでいて飽きることがない。

 

2013/12/8

菅浩江『誰に見しょとて』(早川書房)
カバーディレクション&デザイン:有馬トモユキ、イラストレーション:佳嶋

北野勇作『社員たち』(河出書房新社)
装画:オカヤイヅミ、装丁:川名潤(Prigraphics)

 今週は1960年代前半生まれで、円熟味を増した2作家の最新短篇集である。
 菅浩江の『誰に見しょとて』、表題は「京鹿子娘道成寺」の「誰に見しょとて、紅鉄漿つきょぞ(誰に見せようとして、化粧をしたりするのか)」より採られたものだ。「SFマガジン」の2008年から2013年まで、不定期に掲載された10の短編から成る。独立した短編なのだが、後半に進むほどに互いの関連を深めて、最終的に全作品を統べるテーマとなるように構成されている。

 「流浪の民」(2008):その化粧品メーカーはさまざまな素材をベースに、口コミだけで評判を広める
 「閃光ビーチ」(2008):海岸で宣伝のため、肌に密着した日焼けスーツを着る男たち
 「トーラスの中の異物」(2008):老人ホームで頑なに化粧を拒む一人の老女の正体
 「シズル・ザ・リッパー」(2009):自傷行為、体の傷を個性的なファッションとして実践する人々
 「星の香り」(2009):化粧品メーカーが開発する新しい匂いは、人々の根底にある香りでもあった
 「求道に幸あれ」(2009):究極の整形を経て美の頂点を目指す者、何も加えず肉体の鍛錬にのめり込む者
 「コントローロ」(2010):男性用化粧品を発表するイベントで、モデルを巻き込む重大な事故が発生する
 「いまひとたびの春」(2010):中年までの介護に疲れた女は、思い切って20代の外見を手に入れる
 「天の誉れ」(2013):事故で皮膚を失ったモデルは、人工皮膚から世界を感じとれるようになる
 「化粧歴程」(2013):前掲の物語を集大成する大団円

 物語は、卑弥呼の古代、化粧が呪術的な意味を持った世界と、近未来の日本で化粧による人体変容を目指す人々とを対比的に描き出す(この2系統は、最後の「化粧歴程」で1つの意味を与えられる)。化粧は単に外観を取り繕うものではない。人の身体と精神を変化させ、ある時は年齢を超越させ、不死の夢を与え、ある時は異星人の心を感知する拡張感覚として機能する。そして、こういった化粧こそが、誰のためでもない自分/人間を一段階高める装置なのだと結論付ける。化粧という「習俗的行為」が、「SF的なファンクション」として定義し直されたところがユニークだ。
 北野勇作『社員たち』、本書はアンソロジイ「NOVA」収録作(5編)を中心とした12編をまとめたもの。もともと関連が薄い作品も、本書のテーマである一連の「社員/サラリーマン」に合うよう配置されている。

 「社員たち」(2009):外回りから帰ってくると会社は地面の下に沈んでいた
 「大卒ポンプ」(2012):職を失い再就職した会社では、隠れた生体ポンプを探す仕事が割り当てられた
 「妻の誕生」(2006):ある日妻は卵の殻を食べて、ついに卵になってしまった
 「肉食」(1998):団地の中、老人たちが何かを食べている、それは何かの肉らしい
 「味噌樽の中のカブト虫」(2013):健康診断の結果、彼は頭の中にカブト虫がいることを知らされる
 「家族の肖像」(2012):家族を守るためやむを得ず結んだ契約によって、体を使った仕事が割り当てられる
 「みんなの会社」(2007):自分たちが勤めている会社のことを、社員は誰も知らない(落語台本)
 「お誕生会」(2002):隔離された研究室で、誕生日を祝ってもらう生き物
 「社員食堂の恐怖」(2011):閉じ込められた会社の中で、なぜか全自動の社員食堂は開いていた
 「社内肝試し大会に関するメモ」(2012):突然始められた社内肝試しの行き先は研究区画だった
 「南の島のハッピーエンド」(2010):偶然結ばれた同じ社内の男と女の運命
 「社員の星」(書下ろし):沈んだ会社を掘り起こす過程で、分かってくるさまざまな可能性

 北野勇作の描くサラリーマン小説は、ユーモラス/物悲しいというより、新しいホラーの領域に入っている。文字通り沈んだ会社、生きているポンプ、卵になる妻、肉食に憑かれた家族、昆虫が寄生する脳、人体変容を促す食事、目的のない仕事、怪物を生み出す生物汚染などなど。個々の作品ならブラックな冗談だが、ここまで集積されると明確な方向性を感じとれる。確かに、サラリーマンの大半は自分の意思で仕事をしていない。どこか外部の歯車が回って自分も回る。その歯と歯の間のわずかな遊びの範囲が意志なのだ。その無意識の隙間に、北野的なホラーが生まれてくるのだろう。

 

2013/12/15

グレッグ・イーガン『白熱光』(早川書房)
INCANDESCENCE,2008(山岸真訳)

カバーイラスト:Rey.Hori、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 イーガンの“ハードSF”長編。これこそ本格SFと言いたいところだが、こんな長編小説が書けるのはイーガンだけなので、括弧つきの表現となる。イーガンは読み手に親切な作者ではない。大きな謎を読者の前に提示するものの、回答を物語中に明記はしない(暗喩はされる)。そこが一般的な本格ミステリとの違いにもなる。「白熱光」とは高温の物体、たとえば白熱電球のフィラメントから出る白い光のことだが、本書では〈スプリンター〉が巡る宇宙から届く光を指す。

 ハブと呼ばれる中心を巡る軌道の上に、その世界〈スプリンター〉はある。異星人である主人公は、理論家の老人と知り合い、さまざまな実験と観測の結果、ついに世界の秘密を説く鍵を見つけ出す。一方、150万年後の未来、銀河ネットワークに広がった人類の子孫は、銀河中心(バルジ)から届いた1つのメッセージを頼りに、別種の文明が支配するその領域に踏み込もうとしていた。

 物語は、時間軸の異なる2つの系統から作られている。六本脚の異星人が孤立した星の中で、独自に物理法則を発見していく物語と、生物由来/電子由来の区別がなくなった超未来の人類が、銀河中心に旅する物語である。後者は、最終的に前者との結びつきを発見することになる。種明かしにも関係するが、本書の舞台はブラックホール/中性子星という、超重力の近傍世界(それ自体ではない)だ。
 何しろ、理論物理学の教科書を読まないとわからないことが、数式なしで書かれている。シミュレーションすることで初めて見えるような物理現象が、ビジュアルに書かれている(つまり、明確な根拠を持っている)。著者自身その詳細を、“数式で”解説している(シミュレーションを見るにはJavaのインストールが必要です)。日本語でというのなら、こちらのサイトに板倉充洋氏による詳細な解説が置かれている。そもそも書かれた世界ではニュートン力学ではなく、相対論的効果の下での力学が働いているのだ。翻訳版では解説に謎の答えのヒントがあるし、物理的な背景も(上記サイトを参照しながら読めば)分かるので、比較的読みやすいだろう。

 

2013/12/22

六冬和生『みずは無間』(早川書房)


Cover Direction & Design:Tomoyuki Arima、Illustration:sousou

 第一回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作作者は、1970年生まれで信州在住。選評に「20年ぶり」とあるのは、1992年で中断していた「SFコンテスト」の再来であるからだ(この最後の時期の応募者に森岡浩之、松尾由美、秋山完らがいた)。SFを取り巻く状況も変わり、名称も改めたことで第一回としたのだろう。

 主人公はAIである。人間の意識が転写されたもので、遠宇宙へと飛び続ける無人宇宙機に搭載されている。膨大な時間を経ても機能するように、物資の調達、自己改変をする仕組みを持っている。しかし宇宙は空虚なままで、何ものとも遭遇することはない。やがて、AIは自身をコピーし、銀河に遍く散開させる。刻み込まれた“みずは”の記憶とともに。

 コピーされた人格という概念は、もはやSFのスタンダードである。生命に束縛されないから、何千何万年の時間スケールで宇宙を航行しても何の問題もない(イーガンの上記『白熱光』がそうだった)。小松左京の“人工実存”(『虚無回廊』)はその一種になる。ところが、本書には主人公(AIの人格)の他に、みずはという恋人が現れる。きまぐれで直情的、食べることに対する執着、遠く離れた恋人にまで作用する重圧。その“みずは”との泥沼の人間関係が時空間に拡張されていく異様さが、まさしく本書のポイントとなる。宇宙機のAIが、現代日本人の形而下的な感情に翻弄される。小説は破綻なく良くできている。読み手にインパクトを与えるという意味で、21世紀のSFコンテスト、今のSFの立ち位置を再認識できるレベルといえる。

 

2013/12/29

古谷田奈月『星の民のクリスマス』(新潮社)
装画:米増由香、装幀:新潮社装幀室

坂本壱平『ファースト・サークル』(早川書房)
Cover Illusration:小林系、Cover Design:岩郷重力+K.K

『星の民のクリスマス』は、第25回ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作。著者は1981年生まれ。この賞はスポンサー(建設会社がCSR活動として主催してきた)との関係もあり、今回を持って休止することが決まっている。

 歴史小説家の娘は、父にせがんで書いてもらったクリスマスのお伽噺の世界に迷い込む。しかし、そこにはサンタクロースは居らず、トナカイの役割を二人の配達員が担う奇妙な社会があった。しかも、外部から侵入するものはすべて排除するという鉄則が設けられていた。

 昨年は大賞がなかったが、最終回は大賞が選ばれている。今回も選考委員の意見が割れており、本書の場合、お伽噺とリアル社会との関係/視点の曖昧さが指摘されている。単純な童話ほど、それを現実の社会として成立させようとすると、さまざまな矛盾が噴出する。その点は著者も理解していて、社会構築よりも個性的な登場人物による対立で、物語をドライブしようとする。社会変革を夢見る天才少年、迷い込んだ少女を保護する若い配達員、陽気なベテラン配達員などだ。しかし、この3人と迷い込んだ作家と娘とが、あまり有効に絡んでこず、社会の必然性が最後まで見えない点が、依然として弱点になるだろう。
『ファースト・サークル』は、第1回ハヤカワSFコンテスト最終候補作になる。著者は1976年生まれ

 TVを何気なく眺めていた男は、あるとき頭がなくなっていることに気がつく。男は異様な警官二人によって、閉鎖空間の中に連れ去られる。一方、ある病院で薬の副作用により体に変調をきたした少年が入院している。その少年の手のひらには、別世界に続く穴が開かれていた。

 大賞の『みずは無間』とは対照的に、本書は純粋な幻想小説である。頭のない男/頭だけの分身、人間とは思えない警官、存在感の薄い医師と精神科医、とっくに死んだはずの白い犬と語りかけてくる黒猫が登場する。次々と現れてくる異世界、合言葉のように唄われるファースト・サークルというリズムなど、印象的なシーンが連続する。結局、本書の魅力は、こういった断片的な描写の中に凝集されている。やはり世界の必然性、全体像のようなものが見えないことで、受賞までには至らなかったようだ。