2016/3/6

ジョン・スラデック『ロデリック』(河出書房新社)

ジョン・スラデック『ロデリック』(河出書房新社)
Roderick or The Education of a Young Machine,1980(柳下毅一郎訳)

カバーデザイン:小岐須雅之、ブックデザイン:永松大剛(BUFFALO.GYM)

 スラデックの代表作とされるロボットSF『ロデリック』である。この作品には続編『ロデリック・ランダムの冒険』(1983)があり、2作の合本版もある。とはいえ、本書だけで原稿用紙1000枚を越える大作、単独で読んでも十分読みごたえがあるだろう。

 ミネトンカ大学では秘密裏にロボットの開発が進められていた。しかし、その資金はNASAから不正に流用されたもので、事態の発覚後に断たれてしまう。ようやく意識が生まれたばかりのロボットロデリックは、スクラップとして廃棄される。その後、芸術家の夫妻に拾われ小学校に進学、ひどい苛めに遭いキリスト教系の私学に転校する。そこで、神父と自己の存在について論争することになるが……。

 ロデリックは学習するロボットである。副題の「若き機械の教育」で、学んで育つ存在であることが示されている。機械学習する人工知能が流行りだが、もともとロボットは完成出荷されるものだ。学習は狭い範囲しか許されないだろう。しかし、ロデリックは無垢の存在で、生物としても、アシモフ流のロボット三原則的にも毒されていない。そのため、まず子供からは低能さや外観で差別され、大人からは(ロボットなので)そもそも人間とみなされない。

 もちろんスラデックは、そういったことをふつうの登場人物では描かない。捻くれ、打算的、感情にとらわれた俗物ばかりが出てくる。コミカルにデフォルメされてはいるが、我々自身に潜む悪意ある存在だ。人間は無垢なロデリックを、素直に受け入れられないのである。考えるロボットは人間なのか、アシモフ的なロボットはナンセンスなのかにも言及がある。

 スラデックは2000年に亡くなっている。難病に罹っていたため、主な活動は90年代前半までだった。本書は体力のあった全盛期に書かれたものだ。最後の長編は『遊星よりの昆虫軍X』(1989)である。

 

2016/3/13

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『あまたの星、宝冠のごとく』(早川書房)

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『あまたの星、宝冠のごとく』(早川書房)
Crown of Stars,1988/2012(伊藤典夫・小野田和子訳)

Cover Illustration:影山徹、Cover Desigh:岩郷重力+S.I

 著者の死の翌年に出た最後の中短篇集(その後も、ベスト版など選集はいくつも出ている)。発表が死後となった作品も含まれる。短編というより、中編級の長いものが7編と多い。全10作中既訳は伊藤典夫訳「いっしょに生きよう」(SFマガジン掲載1997/2010)1編のみで、他は小野田和子による初訳となる。

 アングリ降臨(1987):火星で人類は宇宙を旅する異星人アングリと遭遇する
 悪魔、天国へいく(1986):神の死を知った地獄のルシファーは天国を弔問する
 肉(1985):堕胎が禁止された社会で、赤ん坊は交換所で取引される
 すべてこの世も天国も(1985):小国の王女と隣の大国の王子が結婚しようとする前夜
 ヤンキー・ドゥードゥル(1987):麻薬漬けで戦場を生きた主人公が解毒療養を受ける
 いっしょに生きよう(1988):異星の探査に訪れた一行は、ある種の共生生物と出会う
 昨夜も今夜も、また明日の夜も(1970):毎晩幾度となく女を誘うやさ男に課せられた使命
 もどれ、過去へもどれ(1988):限定的な時間旅行で、若い男女は自身の運命を告げられる
 地球は蛇のごとくあらたに(1973/88):大地に憑かれた主人公が、最後に知る〈彼〉の真実
 死のさなかにも生きてあり(1987):違和感の果てに自殺した男は、奇妙な街に導かれる

 著者の晩年(70〜72歳)に書かれたものが中心だ。初期作も、このために選ばれたかのように、内容的な違和感はない。シリアスというより、寓意が強く出ている。

 降臨したエイリアンが人類に何ももたらさない「アングリ降臨」、悪魔の誘いに揺らぐリーダー亡き天国「悪魔…」、赤子の価値が外観にしかない「肉」、若い王女の純愛の奥に潜む企て「すべて…」、薬物中毒の妄想「ヤンキー…」、過ちを断ち切ることがより深い罠となる「もどれ…」、超自然的な恋に焦がれた「地球は…」や、一見救いがあるように見える「いっしょに…」も、その結末はハッピーとはいえず、どこか気味が悪いものだ。

 晩年のティプトリーには、ある種の諦観があったように感じられる。名家に生まれ自由に生きたティプトリーだが、出自を越えるほどの社会的ステイタスは得られなかった(下記評伝参照)。激動する時代の変化に対する自分の立ち位置に、苦しんだのかもしれない。そういう自身の哀しみは「すべて…」の王女や「もどれ…」の自己顕示欲の強い女性主人公にも込められている。しかも「死のさなか…」のように、たとえ死を選んでも救済は得られないのである。

 

2016/3/20

コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない』(早川書房)

コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない』(早川書房)
The Rediscovery of Man,1975/93(伊藤典夫・浅倉久志訳)

Cover:岩郷重力+N.S

 コードウェイナー・スミスの短篇集は、J・J・ピアースによる1975年のThe Best of Cordwainer Smithが『鼠と竜のゲーム』(1982)と、『シェイヨルという名の星』(1992)の2分冊になり、また79年のThe Instrumentality of Mankindが『第81Q 戦争』(1997)として翻訳紹介されてきた。これらで、主要作品の大半は読むことができたわけだ。

 そこからもう20年が過ぎた。本書は、93年に出たThe Rediscovery of Man: The Complete Short Science Fiction of Cordwainer Smithを底本として新たに編まれたものだ。《人類補完機構》の全短篇を凡そ年代順に並べ、かつ《キャッシャー・オニール》などの中編も含めた全3巻の完全版となっている。第1巻は15篇を収める。純粋な初訳は1編のみだが、単行本初収録となる原作の改稿版を含んでいる。

 夢幻世界へ(1959):ソ連の秘密都市でひそかに進められた計画の結末
 第81Q戦争・改稿版(1961/93)初訳:チベットとアメリカによる限定戦争競技のありさま
 マーク・エルフ(1957):遥か未来に帰還したドイツの宇宙船から少女が目覚める
 昼下がりの昼下がりの女王(1978):もう1人の帰還少女は、真人や動物人間たちと出会う
 スキャナーに生きがいはない(1950):ある日スキャナーの存在を脅かす発見が知らされる
 星の海に魂の帆をかけた女(1960):光子帆船の船乗りとゴシップに追われる女との世紀の恋
 人びとが降った日(1959):金星を征服するため空から降ってくる人民の群れ
 青をこころに、一、二と数えよ(1963):宇宙船で目覚めた美女に与えられた暗示の意味
 大佐は無の極から帰った(1979):平面航法から帰還した男は不自然な姿勢を取り続けた
 鼠と竜のゲーム(1955):平面航法で飛ぶ宇宙船を守る猫たちと竜との戦い
 燃える脳(1958):目的地を失った船を戻すための起死回生の打開策とは
 ガスタブルの惑星より(1962):その星に住む知的生物は厄介な訪問者となる
 アナクロンに独り(1993)初訳:タイムシップの事故で男は混沌時間に呑み込まれる
 スズダル中佐の犯罪と栄光(1964):異様な生態の人類と接触した中佐の犯した犯罪とは
 黄金の船が−おお!おお!おお!(1959):侵略を防ぐ最終兵器、巨大な黄金の船の正体

 スミスは1966年に53歳で亡くなっている。未成年時代から書きはじめ、37歳でデビューしたことになる。若くして亡くなっていなければ、正体が明かされるのはもっと後だったかもしれない。本書に収められた死後の発表作は、合作者だったジュヌヴィーヴによって仕上げられたものだ。

 死後半世紀を経て、スミスの今日的な意義はどれほどあるのだろうか。《人類補完機構》というタームは、日本でもエヴァンゲリオン等アニメ分野に影響を与えた。アメリカ政治に関わる謎めいた経歴(孫文が名付け親、政治学者、極東の専門家で政権顧問だった)、読者を無視した不親切な用語や破天荒な設定(チャイネシア、マンショニャッガー、補完機構、真人類、猫人間、平面航法、ピンライター、スキャナー)、当時でさえ何度も没となる素人めいた小説(設定の説明だけで唐突に終わるなど、書割のような小説)。スミスはこれらの混淆として認知されている。どれが欠けても注目度は下がっただろう。

 もともと著者の趣味で書かれた小説なのだから、読者におもねるつもりなど全くなかった。しかし、2万年近くに及ぶ(不完全な)ジクソーパズルのような未来史や、人を変容させ、猫や動物を擬人化する発想は読者の想像をかきたてるものだった。過去に日本で盛り上がったスミス熱や、今日まで残る影響は、こういう異様な創造物と小説の不完全さのギャップが生むインパクトに起因すると思われる。

 

2016/3/27

マイクル・コーニイ『ブロントメク!』(河出書房新社)

マイクル・コーニイ『ブロントメク!』(河出書房新社)
Brontomek!,1976(大森望訳)

カバーデザイン:木庭貴信(オクターヴ)、カバー装画:片山若子、カバーフォーマット:佐々木暁

 日本では、いつの間にかSFラブロマンスの作家になってしまったマイクル・コーニイの代表作。旧サンリオSF文庫版(1980)が出てから、36年ぶりの新訳となる。当時は本書がコーニイの中でも、最新かつ最高評価(英国SF協会賞受賞)を受けた作品だった。

 惑星アルカディアは海が9割を占める海洋惑星だったが、50年に一度起こる災厄により人口減少が深刻になる。その弱みに付け込み、宇宙規模の企業体が惑星全体を事実上買収してしまう。強引なやり口に、地方コロニーの住人は反発を強めていた。主人公は、世界一周航海に向けたボート製造を請け負う中で、一人の美女と出会うが。

 コーニイは2005年に亡くなる。ただ、死後に出た『バラークシの記憶』を除けば、主な著作は70年代から80年代終わりにかけて出ており、サンリオ文庫既訳も概ねその範囲に収まるものだった。本書は、そういうコーニイの集大成的な作品といえる。

 物語の要素は盛りだくさんだ。惑星級の災厄、宇宙規模のグローバル企業体=ヘザリントン機構(表題のブロントメクとは、ブロントザウルス級のメカ=機構がアルカディアに持ち込んだ、超大型農業ロボット機械のこと)、人を擬態する宇宙生物アモーフ(人手不足を補う労働者)、企業の方針と対立する村の住民、ボートの世界一周(スポンサーは機構でTV中継される)に関わる主人公の葛藤と恋。

 『ハローサマー、グッドバイ』等とは違って、主人公は20代後半の大人だ。優柔不断で美人であれば誰でも惹かれるし、マッチョなわけでもない。そんな主人公が理想的な美女と出会って、大人の恋に落ちてしまう。一方、村の動向は主人公の手におえず、不測の事態に振り回される。この巻き込まれ型主人公は、物語を弱めている部分もあるが、結末のソフトな余韻に似合っているだろう。