1943年生まれの著者が70歳で書いた、1100枚相当の長編力作。昨年The
Gradualを出したので、2番目に新しい作品である。blogによると、さらに新しい長編 An American Story を書き上げたとある。創作意欲はまだまだ旺盛のようだ。本書は著者が「一切の予備知識を抱かずに」(訳者あとがき)読めと述べた作品で、物語は次々と予想外に変転する。著者の意をくむべきとは思うが、それではレビューの書きようもない。以下、最小限の範囲で内容に触れている(未読の場合は注意)。
主人公は写真家である。海外救援局に勤務する妻と共にトルコに赴くが、妻はその地でテロ行為により死亡する。彼は失意のうちに母国グレート・ブリテン・イスラム共和国に帰還する。そこは近未来の英国なのだが、イスラム化されていて装甲車両しか安全な交通手段がない。基地から移動する車両の中で、主人公は1人の女性官僚から奇妙な誘いを受ける。
物語は主人公ティボー・タラントを中心にして進む。ところがその途中に複数のエピソードが挟まっている。たとえば第1次大戦下で前線の航空部隊に赴く、(臨時)海軍少佐トミー・トレントと同じ境遇の大尉。隠遁したノーベル賞科学者にインタビューを試みる、ウェブ・ジャーナリストのジェーン・フロックハートと写真家タラント。第2次大戦下ランカスター爆撃機隊の整備士マイク・トーランス、航空輸送予備隊女性パイロットのクリスティナ・ロジュスカ、彼女のフィアンセだったトーマシュとの関係。夢幻諸島を旅するトマク・タラントと伝道師の女フィレンツァ、奇術師のトムと助手のルルベット、島に迷い込んだカーステーニャ・ロスッキーはトマクを探すがよく似た別人を見つける。
すこしづつ異なる名前だが、イニシャルは同じ登場人物たちが各章に出てくる。同一なのか別人なのか、どうつながるかは予測できない。同じ事件が違った見方で語られたり、完全なファンタジイ(夢幻諸島)と、史実を基にした(第1次大戦、第2次大戦のポーランド侵攻や航空輸送予備隊など)フィクションが入り混じる。その虚構の度合いは強弱さまざまにあり、読者を幻惑する。
本書は短篇集『夢幻諸島から』と並行して書かれた作品だ。そのためか、後半は夢幻諸島自体が舞台になっている。しかし、夢幻諸島と現実とのギャップは大きい。はざまを埋めているのが大戦のエピソードだったり、著名なSF作家の発明(実際に使われたらしい)や、奇術師(同題の長編にちなみ、読者を誤読に誘うテクニックの象徴)だったり、ランカスター爆撃機やスピットファイアだったりするのだ。そのどれもが日常に近いが、日常にはないものという共通点を持つ。つまり、隣接界にあるものなのだ。