1991年生まれの藤田祥平が書いた最初の長編である。著者は気鋭のライターで、現代ビジネスなどでも記事を書いている。本書の元にもなった、ゲーム系エンタメサイトIGN
JAPAN連載エッセイ『電遊奇譚』(筑摩書房刊)が最初の著作だ。「昨年が小川哲『ゲームの王国』だったとすれば、今年は藤田祥平の本書」という早川書房編集部一押しの作品でもある。
主人公は幼いころからゲームに親しんできた。中学生の時パソコンを手に入れ、チームプレイをするWolfenstein:Enemy Territoryの存在を知る。ゲーム世界にのめり込んだ主人公は、やがて進学した高校を中退する。ひたすらゲームを続け、世界戦の日本代表チームの一員にまでなる。さらにゲームを続けるため、主人公は高卒認定試験(大検)を通って大学を受験、文芸表現学科に入学し大量の本を読み、恋人を得る。だが、在学中に母は首を吊り、自身も病を患うようになる。
Wolfenstein:Enemy Territoryや、Eve
Onlineが主人公の運命を決める重要なキーワードとして出てくる。評者はプレイしたことがないが、ゲームの雰囲気は上記リンクで著者自身が語っている。両者ともマルチプレーヤーによるオンラインゲームである。ゲーム専用機で数千万人が遊ぶコンシューマーゲームと違って、これらは世界中合わせて数千から数万人規模のコアなユーザしかいないディープなゲームだ。
「自伝的青春小説」とある。本書のユニークなところは、ゲーム世界と現身の世界とがシームレスにつながっていることだろう。もちろん、ファンタジイとリアルが混交したり、並行世界が混交するお話はいくつでもある。本書の場合、それらはフィクションの中のファンタジイではなく、リアルの中のリアル(=どちらもが現実)なのである。
例えば、ウィリアム・バロウズの小説には、現実なのか悪夢なのか分からないものがある。悪夢の世界は一貫性がなく論理的ではない。しかし、本書の中のゲーム世界は(限定的ではあるが)、ルールに基づいて極めて論理的に組み立てられ、敵も味方もAIではなく人間であることから、特殊な現実社会であるともいえる。主人公は日本社会とゲーム社会(高校時代のWolffensteinと、大学から社会人時代のEve
Online)を同じリアルな社会として生きる。その結果、本書の中では第2次大戦の攻防戦や銀河間の宇宙戦争と、親兄弟のいる日常的な日本社会とが、同等のアクセントで描かれる。
もう一点挙げておくと、主人公は現実とゲームとのギャップに悩むことはない。ゲームの経験も同じ社会経験として取り入れていく。病のきっかけや回復のきっかけもゲームの存在とは直接関係せず、その生き方の一部として語られる。こういう描き方は著者固有のものだろう。