2018/4/1

柿村将彦『隣のずこずこ』(新潮社)

柿村将彦『隣のずこずこ』(新潮社)

装画:真造圭伍、装幀:新潮社装幀室

 2013年にいったん休止となった日本ファンタジーノベル大賞が4年ぶりに復活、1994年生まれの柿村将彦が書いた本書が大賞受賞作となった。過去の賞が読売新聞社と、清水建設など建設会社がメセナ事業として主催、新潮社後援だったのに対して、2017年以降は新潮文芸振興会(新潮4賞を主催する社団法人)が主催、読売新聞社後援と主催・後援が入れ替わり、よりノーマルなスタイルの文芸賞となった。審査員も、恩田陸、森見登美彦らと、前回から引き続き担当する萩尾望都ら3名となった。

 山深い過疎地に住む中学三年の主人公は、ある日信楽焼の狸の置物が、ずこずこ歩いて町に入ってくるのを目撃する。狸を連れてきた女は、これから1か月後に、町ごとすべてが無くなってしまうと告げた。それは、主人公が祖父から聞かされたおとぎ話と、ほとんど同じ内容だった。お話は本当のことだったのか。住人たちは次第に奇妙な行動をとるようになる。

 ホームシックに罹った姉、詮索好きだが間の抜けた弟、どこか馴れ馴れしい狸を連れた女、いけ好かない金持ちの息子と、登場人物は微温的なコメディを思わせる。題名や表紙のイラストも、田舎を舞台にしたジュヴナイルか童話風のお話を連想させる。そこから、物語は意外な方向に変化していくのだ。

 スティーヴン・キングは、『IT』でピエロを楽しいものから邪悪なものへと変貌させた。しかし、誰でも知っているキャラを違うものに感じさせるには、それなりの必然性が必要だ。本書では、「信楽焼の狸」という日本的でポピュラーな置物(生き物ですらない陶器)を、日常と全く違うものに見せる。3分の1を過ぎたあたりから別の姿を見せはじめる、物語の大胆な展開が注目点だろう。

 本書には記憶の永続性や、抗えない運命、呪いの因果応報など、ホラー的なモチーフが多く描き込まれている。これらを、ありふれた日常の舞台に投影し、読み手に驚きを与えた点が大賞受賞のポイントとなっている。


2018/4/8

早瀬耕『プラネタリウムの外側』(早川書房)

早瀬耕『プラネタリウムの外側』(早川書房)

カバーデザイン:早川書房デザイン室

 1967年生まれの著者が、初長編『グリフォンズ・ガーデン』を書いたのは1992年のこと。いきなりハードカバーで出たものの、著者や作品に関する情報が少なく(もともと大学の卒業論文として書かれた)、大きな話題にはならなかった。早瀬耕はその後の長い空白の後、2014年にミステリ『未必のマクベス』(昨年文庫化)を出して復活。さらに、初長編の設定を生かした短編をSFマガジン2016-17年に4作掲載、1作を書き下ろして短編集としたものが本書である。短編といってもお互いが密接に関連し合っているので、1つの長編と思ったほうが分かりやすいだろう。

 舞台は、ごく近い未来の北海道大学工学部。ある研究室では有期雇用の助教が2人いて、有機素子コンピュータを使ったAI研究を行っている。だが、彼らは大学には無断で計算機リソースを使う副業を営んでいるのだ。そこにアルバイトで雇ったポスドクの女性、恋人を亡くした工学部の女子学生、彼らの上司でもある女性教授が絡み、AIと恋愛というテーマが描きだされるのである。

 有機素子コンピュータは『グリフォンズ・ガーデン』に登場する架空のデバイス。量子コンピュータ以前に書かれたアイデアなので、最新のAIを実現するハードとは異なるものだが、アナログ計算方式を思わせる描写(詳しい説明はない)は逆に古びて見えない。主人公たちは、(何しろ20年前のものなので)誰も使うものがいないそのコンピュータの上で、AIを使った会話プログラムを動かしている。クライアントが、現実の人間と会話していると錯覚するほどの高性能のものだ。

 しかし奇妙なことが起こり始める。助教の一人とポスドクの女(「有機素子ブレードの中」)、デジタル合わせ鏡をつくる男とポスドクの女(「月の合わせ鏡」)、死んだ元恋人が自殺なのか事故死なのかを確かめたい女子学生(「プラネタリウムの外側」)、リベンジ・ポルノに悩む友人のことを相談する男(「忘却のワクチン」)、最後はもう一人の助教と女子学生(書下ろし「夢で会う人々の領分」)のさまざまな男女関係と、仮想的なシミュレーションとが混じり合っていく。フィクション同士の境界があいまいになるメタフィクションのように、作品の中でシミュレーションと現実とがシームレスにつながり合っているのだ。

 本書には、一つの真実というものはない。出来事はねじ曲がり、同じ登場人物も各編によって微妙に性格や言動まで変わっていて、読み手を戸惑わせる。それぞれの物語が突然断ち切られて終わる意外性(説明は後の章に送られる)にも驚かされる。


2018/4/15

エラン・マスタイ『時空のゆりかご』(早川書房)

エラン・マスタイ『時空のゆりかご』(早川書房)
All Our Wrong Todays,2017(金子浩訳)

カバーイラスト:石黒正数、カバーデザイン:早川書房デザイン室

 2月に出た本。著者は1974年にバンクバーで生まれたカナダ人。2001年以来のキャリアを持つ映画脚本家でもある。本書が初の長編小説で、世界24か国語に翻訳された超人気作だ。本人が脚本を書く予定で、パラマウントによる映画化も進行中のようだ。

 父親は偉大な科学者だが、主人公は凡庸で何事にも自信が持てないダメ人間である。しかし、父の開発したタイムマシンのチームになんとか補欠で参加し、ある偶然から過去に送り込まれてしまう。主人公が住んでいる世界はエネルギー革命により、誰もが過酷な労働から解放されていた。その革命の基礎を築いた伝説の偉人と会いに、1965年へと旅立ったのだ。そこで、本来行われたはずの実験に干渉した結果、未来は見知らぬものに激変してしまう。

 SFのテーマで見ると「時間もの」になるわけだが、本書での時間の扱いは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と似ている。時間は一本の線で、原因があって結果がある。過去に決定的な事件=時間分岐が生じて、その結果、未来がバラ色のユートピアになったり(映画では、主人公の父親をいじめていた悪童が、父の使用人となっている)、どす黒いディストピアになったり(悪童がボスとなって君臨)するのだ。

 この考え方は古典的で、現実の世界では、原因と結果とを1つの線で結ぶのは難しい。複数の原因が絡み合い、たまたま1つの結果につながるだけなのだ。決定的な要因などはないだろう。とはいえ、そういうややこしい因果関係はエンタメには向かない。著者が映画人であるためか、本書のタイムパラドクスはあえて単純化されている。

 さて、主人公が知る「見知らぬ世界」というのが、我々の住むこの世界である。テクノロジ―的には原始的で、さまざまな社会問題も解決していない。しかし主人公はこの世界で、元の世界にはない家族や恋人の温かみを知る。ダメ人間が生きがいに目覚め、使命感に駆られて行動するわけだ。本書は数ページで区切られた137もの章で構成されている。こういうところも、シナリオではないにしても映画的なのだろう。

 なお、原題はシェークスピアの『マクベス』由来だが、邦題は著者の敬愛するヴォネガット『猫のゆりかご』から採られている。


2018/4/22

ピーター・トライアス『メカ・サムライ・エンパイア』(早川書房)

ピーター・トライアス『メカ・サムライ・エンパイア』(早川書房)
Mecha Samurai Empire,2018(中原尚哉訳)

カバーイラスト:John Liberto、口絵ビジュアル:GEN IGARASHI(PANGAEA)、カバーデザイン:川名潤

 第2次大戦で日本が勝利し、ドイツとともに米国を2分する並行世界を描いた『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』(2016)は、星雲賞受賞するなど特に日本で高い評価を得た。その続編となる本書は、アメリカで原著出版される前に翻訳が先行するという異例の形態で出たものだ。前作より巨大ロボットものの要素を強調した内容になっている。文庫と新書版の同時刊行は前作と同様。

 前作から6年後、日本の属州となったアメリカ西部が舞台。テロで両親を失った高校生の少年はバークリー陸軍士官学校を目指していたが、学力も体力もライバルたちには遠く及ばない。しかし、ロボットを操る直観力だけは図抜けていたため、特別に軍とも関係が深い民間メカ警備会社RAMDETに推薦を受ける。そこで彼は、アメリカ独立を叫ぶテロ組織とともに出現したドイツの最新鋭バイオメカと対峙する。

 設定は前作を踏襲するものの、登場人物は一新されている。学園ものを思わせるダメな主人公、良家出身の成績優秀なクラスメイト、美観のドイツ交換留学生などがでてくる。メカ対決も豊富、士官学校進学を賭ける実機試験とか、テロ組織のロボット襲撃、列車警備ロボに襲いかかる敵メカ、士官学校での競技会、最後は秘密基地での大規模戦闘と、巨大ロボット格闘戦が山盛りの冒険小説になっている。

 日本合衆国は欧州アジア米州の半分を占める世界帝国の一部で民主国家ではない。軍を優先するいわゆる「先軍政治」が敷かれ、軍が頂点に立ち民間はその配下にある。主人公たちも、士官学校進学が最高の名誉だと考えている。一方アメリカ独立を目指すグループは統一されておらず、背後でドイツ第3帝国の支援を受け、泥沼のテロ戦争が続いている。

 こういう世界観を誰が読んでも違和感がないように描くのは難しい。過去の戦争シミュレーション小説には、リアリティの乏しいものが結構あったからだ。それが、翻訳の絶妙感もあって自然に読める。デフォルメされた大日本帝国のイデオロギー性は薄いのだが、日本人が書くと極右のプロパガンダ小説と思われたかもしれない。

 本書では登場人物が戦いで次々と亡くなり、頻繁に入れ替わる。しかし、最後には主人公をはじめとする最強メンバーがそろって終わる。いかにも、シリーズものらしい終わり方で続編が楽しみだ。


2018/4/29

藤田祥平『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(早川書房)

藤田祥平『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(早川書房)

装画:丹地陽子、装幀:早川書房デザイン室

 1991年生まれの藤田祥平が書いた最初の長編である。著者は気鋭のライターで、現代ビジネスなどでも記事を書いている。本書の元にもなった、ゲーム系エンタメサイトIGN JAPAN連載エッセイ『電遊奇譚』(筑摩書房刊)が最初の著作だ。「昨年が小川哲『ゲームの王国』だったとすれば、今年は藤田祥平の本書」という早川書房編集部一押しの作品でもある。

 主人公は幼いころからゲームに親しんできた。中学生の時パソコンを手に入れ、チームプレイをするWolfenstein:Enemy Territoryの存在を知る。ゲーム世界にのめり込んだ主人公は、やがて進学した高校を中退する。ひたすらゲームを続け、世界戦の日本代表チームの一員にまでなる。さらにゲームを続けるため、主人公は高卒認定試験(大検)を通って大学を受験、文芸表現学科に入学し大量の本を読み、恋人を得る。だが、在学中に母は首を吊り、自身も病を患うようになる。

 Wolfenstein:Enemy Territoryや、Eve Onlineが主人公の運命を決める重要なキーワードとして出てくる。評者はプレイしたことがないが、ゲームの雰囲気は上記リンクで著者自身が語っている。両者ともマルチプレーヤーによるオンラインゲームである。ゲーム専用機で数千万人が遊ぶコンシューマーゲームと違って、これらは世界中合わせて数千から数万人規模のコアなユーザしかいないディープなゲームだ。

「自伝的青春小説」とある。本書のユニークなところは、ゲーム世界と現身の世界とがシームレスにつながっていることだろう。もちろん、ファンタジイとリアルが混交したり、並行世界が混交するお話はいくつでもある。本書の場合、それらはフィクションの中のファンタジイではなく、リアルの中のリアル(=どちらもが現実)なのである。

 例えば、ウィリアム・バロウズの小説には、現実なのか悪夢なのか分からないものがある。悪夢の世界は一貫性がなく論理的ではない。しかし、本書の中のゲーム世界は(限定的ではあるが)、ルールに基づいて極めて論理的に組み立てられ、敵も味方もAIではなく人間であることから、特殊な現実社会であるともいえる。主人公は日本社会とゲーム社会(高校時代のWolffensteinと、大学から社会人時代のEve Online)を同じリアルな社会として生きる。その結果、本書の中では第2次大戦の攻防戦や銀河間の宇宙戦争と、親兄弟のいる日常的な日本社会とが、同等のアクセントで描かれる。

 もう一点挙げておくと、主人公は現実とゲームとのギャップに悩むことはない。ゲームの経験も同じ社会経験として取り入れていく。病のきっかけや回復のきっかけもゲームの存在とは直接関係せず、その生き方の一部として語られる。こういう描き方は著者固有のものだろう。