2019/1/6

東京創元社編集部『Genesis 一万年の午後 (創元日本SFアンソロジー) 』(東京創元社)

東京創元社編集部『Genesis 一万年の午後 (創元日本SFアンソロジー) 』(東京創元社)

装画:カシワイ、装幀:小柳萌加(next door design)

 先週は『NOVA 2019年春号』だったが、年をまたいだ今週は東京創元社版のSF雑誌風アンソロジイ『Genesis 一万年の午後』である。中身は創元SF新人賞作家5人+年刊傑作選収録作家2人+ゲスト選考委員1人(堀晃)と、オール創元関係作家を集めたもの。また雑誌スタイルにするためか、新旧2著者(加藤直之、吉田隆一)によるエッセイも収録されている。

久永実木彦「一万年の午後」人類が滅びたあと、ある惑星で探査を続けるロボットたちに変化があらわれる。高山羽根子「ビースト・ストランディング」怪獣をリフトするという奇妙な競技にチャレンジする少女。宮内悠介「ホテル・アースポート」宇宙エレベータの見える不景気なホテルで密室殺人事件が発生する。松永真琴「ブラッド・ナイト・ノワール」北方圏最大都市の隠れ酒場に、ある日王族の少女が逃げ込む。松崎有理「イヴの末裔たちの明日」AI化のあおりで失業した男は、奇妙な治験アルバイトに応募する。倉田タカシ「生首」生首が落ちてくるという迫真の幻想に囚われたわたし。宮澤伊織「草原のサンタ・ムエルテ」宇宙から飛来し人類を滅ぼす危険な存在となる憑依体、2番目の発生先は日本だった。堀晃「10月2日を過ぎても」その年に起こった大災害が、なぜか主人公の周辺には大きな被害を及ぼさない。

 久永実木彦はトラディショナルな抒情SF、松永真琴や宮澤伊織は今風のファンタジイ/SFを指向している。高山羽根子はいかにも作者らしい奇想小説、松崎有理も得意の論理的なユーモアだ。対して、宮内悠介はミステリーズ新人賞の最終候補作を改稿した珍しい本格ミステリ、倉田タカシも冒頭から最後までイメージの自由連想で綴られる新スタイルだ。堀晃は、著者自身が経験した日常の事象と幻像とが、シームレスにつながり合うという不思議な作品。

 『NOVA』とは、著者も作品の雰囲気もまったく被らないので、両方を読むと2倍面白い。宮内悠介や高山羽根子らが、芥川賞や直木賞などメジャーな文學賞の候補に続々選ばれるように、いまSFと純文学の違いがなくなりつつある。というか、文學系の新人賞よりもSFの新人賞の方が、奇想性の高い書き手にとってハードルが低く魅力があるのだろう(酉島伝法も同様の発言をしていた)。傾向として、ハヤカワより創元の新人賞の方が、新人に求める要件が緩やかなように感じられる。

 それにしても創元がジェネシスだったとは(英語で「創元」の意味をそう説明していたらしい)。とすると、ハヤカワはイエスなのか(そうなのか?)。


2019/1/13

北野勇作、南條竹則、藤田雅矢、井村恭一、山之口洋、沢村凜、涼元悠一、森青花、斉藤直子、粕谷知世、西崎憲、渡辺球、仁木英之、堀川アサコ、久保寺健彦、小田雅久仁、石野晶、勝山海百合、日野俊太郎、三國青葉、冴崎伸 『万象 』(惑星と口笛ブックス)

北野勇作、南條竹則、藤田雅矢、井村恭一、山之口洋、沢村凜、涼元悠一、森青花、斉藤直子、粕谷知世、西崎憲、渡辺球、仁木英之、堀川アサコ、久保寺健彦、小田雅久仁、石野晶、勝山海百合、日野俊太郎、三國青葉、冴崎伸『万象』(惑星と口笛ブックス)

表紙デザイン:井村恭一

 『万象』は西崎憲主催のレーベル〈惑星と口笛ブックス〉から、電子書籍のみで出版されているアンソロジイである。日本ファンタジーノベル大賞受賞(大賞、優秀賞)作家21人による書下ろしを主体とした33作品を収め、原稿用紙換算で千枚にも及ぶ。2004年頃から構想があり、一部の作品は《NOVA》に掲載されるなどしたが11年でいったん終了、17年に賞の復活などをきっかけにリブートしたものという(斉藤直子によるあとがき)。ショートショートから中編まで中身は多彩だが、大まかに5つのテーマ(幻想博物館、停電の夜、働く人々、恋人たち、象を撫でる)に準じた内容となっている。編者から著者へのリクエストは特になく、掲載順も著者の受賞した年順と至ってシンプルである。

北野勇作「掌上現象」(1992年第4回優秀賞) 真夏に迷い込んだ底冷えの地下街、など7つの掌編連作。南條竹則「動物園にて」(93年第5回優秀賞)動物園の中にある料理屋で食べられるものとは。藤田雅矢「ZOO」(95年第7回優秀賞)少年はあこがれの象を見るために動物園までやってきた。井村恭一「直し屋」(97年第9回大賞)寂れた街の食堂で、2人の男がえんえん難癖をつけ続ける。山之口洋「ナチュラル・ウォリアーズ」(98年第10回大賞)主人公の幼稚園児の息子には、過去の出来事から気になる行動があった。沢村 凜「優しい手」(98年第10回優秀賞)ときが来ると「病」が襲う村でしきたりを嫌う女の運命。涼元悠一「停電の話 カッくんとデンバネ・白い車」(98年第10回優秀賞)ちょっと高い銀玉鉄砲を手に入れた少年たちの遊び、他1エピソード。森 青花「夢色いろ」(99年第11回優秀賞)お母さんが帰ってこない家に真っ白なうさぎがやってくる、など7つの短編。斉藤直子「リヴァイアさん」(00年12回優秀賞)思ったことを口にしてしまうあたしとアドバルーン監視員の彼。粕谷知世「象になりたかった少年」(01年第13回大賞)由緒あるインドの陶工の家に、立ち居振る舞いが象そっくりな少年がいた。西崎 憲「東京の鈴木」(02年第14回大賞)ドイツから眺める、遠いアジアの日本で起こった人の理解を越えた不可思議な事件。渡辺 球「仕える人々」(03年第15回優秀賞)お嬢様に仕えるさまざまな職業の人々が見聞きしたこと。仁木英之「千秋楽」(06年第18回大賞)大唐帝国で無双といわれた力士に挑む力自慢の車夫。堀川アサコ「からっぽの宇宙」(06年第18回優秀賞)夫の浮気の結果、離婚を促された妻はある幻覚を見るようになる。久保寺健彦「ファーストデート大作戦」(07年第19回優秀賞)性に関心を抱くにぎやかな少女たちが巻き起こすデートをめぐる騒動。小田雅久仁「よぎりの船」(09年第21回大賞)特定の人にしか見えない、目のまえをよぎるこの世にあらざるものたちの正体。石野 晶「かたわれ」(10年第22回優秀賞)よく双子に間違われる従妹同士が、伯父の牧場で不思議な自然体験をする。勝山海百合「ドライブイン・ヘルシンキ」(11年第23回大賞)男は見知らぬライダーに連れられ、森の中のドライブインにたどり着く。日野俊太郎「ヒトノムコトリ」(11年第23回優秀賞)山中に迷い込んだ男女は、成り行きから祭りへの参加を強要される。三國青葉「爆裂しすたーず」(12年第24回優秀賞)徳川2代将軍の御落胤を巡り、豪快な姉妹たちが剣士相手に大活躍。冴崎 伸「死を降らす星」(13年第25回優秀賞)核危機のあとの世界で、少年は自分の日常に疑問を覚えるようになる。

 どの作品も読みごたえがある。中では、もはや独特の話法といえる北野勇作、凸凹コンビの恋愛もの斉藤直子、不気味さが漂う西崎憲、中学生たちの青春小説である久保田健彦、チャンバラアメコミのような三國青葉、珍しいヨーロッパものの勝山海百合らが印象に残る。集中最長となる中編を書いた小田雅久仁は、ある種の臨死体験ものなのだが、まるで自身が体験したかのような迫真の描写が凄い。

 分野が異なるので当然かもしれないが、『NOVA』『Genesis』と重複する作家はいない。雰囲気もがらりと変わる。アンソロジイで千枚と聞くと身構える分量ながら、重いもの軽やかなものが取り混ぜてあり、通して読んでも飽きがこない。とても読みやすい。


2019/1/20

スー・バーク『セミオーシス 』(早川書房)

スー・バーク『セミオーシス 』(早川書房)
Semiosis,2018(水越真麻訳)

カバーイラスト:Yuta Shimpo、カバーデザイン:早川書房デザイン室

 スー・バークは1955年生まれのアメリカ作家、若手とはいえないが本書が初長編になる。著者は多彩な才能の持ち主である。本業は編集者/ライター、クラリオン・ワークショップの出身で1995年に短編でデビューし、これまでに20余作の短編、詩作、エッセイなどを発表してきた。スペインSFやファンタジイ、古典文学の翻訳を手掛け、翻訳者として賞を受けたこともある。最近までマドリッドに住み、現地でも評論活動などをしてきた。

 158年間の冷凍睡眠に耐え、争いを厭う人々が地球から惑星パックス(平和)へと逃れてきた。そこは緑豊かな星で、重力は地球より2割大きく、植物が10億年余り進化しているようだった。人々はその地に地球由来の菜園を設け、現住生物を家畜化しようと試みる。だが、固有の植物が突然毒性を有するようになり、植民はしだいに困難となっていった。やがて、彼らは独自に進化した植物知性と接触する。

 植民者の7世代にわたる100年という時間が経るが、あまり年代記風ではない。第1世代(1年)、第2世代(34年)、第3世代(63年)のあと、第4〜7世代(106-107年)という形で、100年目の大事件を巡る4世代の違いを描いているからだ。人々よりも先に入植していた異星人の存在、彼らを排斥しようとする人間たち、植物知性の思考、異星人内の違いから巻き起こる事件と、この後半に物語の3分の2が割かれている。

 帯に「21世紀の『地球の長い午後』」とあるのは、植物が動物のように進化した同書の世界から連想したもの。また「新世代のル・グィン」は、パックス憲法(原書のサイトで全文を読める)まで掲げ理想社会を追求する植民者と、ル・グイン『所有せざる人々』などを重ねたものなのだろう。しかし、スー・バークの植物知性はきわめて擬人的で異生物感はあまり感じられないし、植民者たちは個性的とはいえても強い理念をもつ人々のようには描かれない。むしろ、狭量な同族意識を捨て、異質の「人」との意志疎通が重要なのだと説いているのだ。著者自身も、Semiosis is about communication.とサイトに記載している。


2019/1/27

高山羽根子『居た場所 』(河出書房新社)

高山羽根子『居た場所』(河出書房新社)

カバー装画:Vilhelm Hammersh0i、装幀:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)

 残念ながら受賞には至らなかったのだが、第160回芥川賞の候補作を含む短編集。発表前に急遽発売となったためか、表題作の中編と短編2作のみを収めたコンパクトな一冊である。とはいえ、これは前作の『オブジェクタム』も同様なので、著者はこういうゲリラ的な出版を意図しているのかもしれない。

「居た場所」私と小翠(シャオツイ)は旅に出る。それは彼女がかつて居た場所なのだが、最新のデジタル地図には不明瞭にしか表示されない。本当にその場所はあるのか。言葉も読めない迷路のような都市のただなかに、二人は分け入っていく。やがて、小翠は自分で詳細な地図を作りはじめる。「蝦蟇雨(がまだれ)」山の上の観測所に勤める男のため、蝦蟇を調理する女の一日。「リアリティ・ショウ」大洋の中、ゴミでできた島に住む主人公と、カメラを持ってやってくる部外者の男。

 小翠は「私」が家業を営む田舎に、実技実習留学生としてやってくる。産まれは小さな島で(どの国にあるのかは書かれていない)、住む人みんなが小柄なのだという。島を出たあと、小翠はある地方都市の一角に住んでいた。だが、十年前に住んでいたはずの住居が地図に見当たらない。物語は「自分の地図を作り直す」という象徴的な意味合いを帯びてくる。一方「蝦蟇雨」や「リアルティ・ショウ」には、ディストピア的な背景がより明瞭に顕れてくる。そこでも、登場人物の日常から視点は離れない。

 それぞれ、文藝2018年冬、2014年のSF同人誌『夏色の想像力』(改題・改稿)、ユリイカ2018年2月号に掲載された作品である。続けて読んでも全く違和感はなく、人によっては、純文学や寓話、SFやホラーとも読めるだろう。とらえどころがなく不定形、どこにもなく/どこでもない不穏さを孕んでいる。