2019/4/7

郝景芳『郝景芳短篇集』(白水社)

郝景芳『郝景芳短篇集』(白水社)
孤独深处,2016(及川茜訳)

装丁:緒方修一、装画:きたしまたくや

 郝景芳(ハオ・ジンファン、音読みは、かくけいほう)は、2015年にヒューゴー賞長編部門を受賞した劉慈欣に続き、2016年ノヴェレット(中編)部門を受賞した中国SF作家である。1984年生まれでまだ30代だが、清華大学で物理学を専攻後、経済学博士号を取得、国内での文学、SF関係の賞、国際的な研究機関での評価など、堂々とした功績を誇る注目の作家だ。本書は、2016年に出た原著から4編を除き7編を収録したもの。

 北京 折りたたみの都市:膨大な人口を調整するため、3交代で都市の機能が(文字通り)入れ替わる北京で、一人の男が伝言を携えて越境を試みる。弦の調べ:鋼鉄人に支配された世界で、1人の科学者が思いも寄らぬ反撃方法を考案する。繁華を慕って:音楽家を目指す主人公は鋼鉄人からある選択肢を示されるが。生死のはざま:男は誰もいない都市で目覚める。いったい自分は生きているのか死んでいるのか。山奥の療養院:競争の厳しい研究生活に疲れた科学者は、山奥の療養院の病室で旧友と出会う。孤独な病室:夜勤勤務の2人の看護婦は対照的な性格だった。先延ばし症候群:研究発表レポートを書きあぐむ主人公と寮の仲間との会話は、変な方向に広がっていく。

 出典は明記されていないが、2010年から16年に書かれた作品とされる。最後の2作品は短編/ショートショート、あとは中編クラスである。なお日本版に未収録の作品のうち「最後の勇者」(国家から追われるクローンが、別人のクローンに託した秘密)は『中国SF作品集』(外文出版社)で読むことができる。「北京 折りたたみの都市」は巨大な都市が折りたたまれ、上下に回転交代するという奇想と、その真の意味が描かれている。「弦の調べ」「繁華を慕って」はペアとなる作品だ。鋼鉄人は抵抗する者に容赦ないが、芸術家と科学者には手厚い。それに歯向かう科学者の取った「芸術的」な作戦を描く。「生死のはざま」はあの世とこの世の中間にある、夢の中のような世界が舞台。「孤独な病室」は今にしかこだわらない若い看護婦と、背景でじわじわ進む破滅の予感が不気味さを孕む。「山奥の療養院」「先延ばし症候群」は自身が体験してきた研究者の焦燥感がテーマだろう。

 物理学と経済学を修めた著者だが、回転する巨大都市北京や倍音で振動する長大な弦など、リアルさよりも幻想味の強さを感じ取れる。その中で、低賃金にあえぐ最下層の労働者から、一流になり切れない科学者や芸術家までが描かれる。これらをありがちな「遅れた中国社会の暗部を風刺する」のではなく、「AIが普及した近未来失業社会の課題」「エリートだと思われていた学者や芸術家を襲う競争社会」など、汎用化したところが著者の斬新さなのだ。

 ケン・リュウによる英訳からの重訳版と今回の原語訳版では、本質的なところでの差異はないものの、(カタカナ表現が多い)前者が翻訳SF寄り、(漢字表現が多い)後者が残雪などの中国幻想小説寄りと感じられる。どちらの解釈も可能なのだ。また訳者あとがきでは、ケン・リュウによる英訳版の序文「中国に対する先入観をまず捨てて読め(大意)」よりも、「中国固有の文脈を拾っていけば、より不偏的に読める(大意)」と書いている。しかし、一般的な読者はそういう読み方はしないのではないか。アメリカ人も日本人も、外国の実情など風評以外は何も知らない。まずは無心で読んで見るべきだろう。


2019/4/14

酉島伝法『宿借りの星』(東京創元社)

酉島伝法『宿借りの星』(東京創元社)

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。、装画:酉島伝法、装幀:東京創元社装幀室

 初短編集で第34回日本SF大賞を受賞した著者による、1000枚を超す初長編である。イラストや短編などをよく見かける著者ではあるが、意外にも単行本としては6年ぶりかつ2冊目にあたる。本書でも、著者自身によるイラスト多数あり。

 どことも知れない惑星、いつとも知れない未来。主人公は4脚の足と2本の腕、前後4つの眼を持つ異形の生物だ。ある集団に属していたが、屈辱的な咎を受け、鎧殻の紋をはぎ取られ追放となる。放浪の末、主人公は別の集団に迎えられる。そこで奇妙な任務を与えられ、戻れば死罪と脅された地へと再び舞い戻る。やがて分かる驚くべき真相と、迫りくる危機の正体とは。

 帯にあるように、この世界では過去に人類との絶滅戦争が起こり、敗れた人類は掃討されたらしい。異形の種族たちは、それぞれが生体兵器だった名残を残している。そのあたりの経緯を人類側から記述した章「海」が、前編と後編の中間に置かれている。

「皆勤の徒」と同様、物語の始まりは混沌としている。独特の、難解だが駄洒落めいた漢字造語(冒頭だけでも、渡那貝、御侃彌、事無霧、螺子、卑徒、御惑惺などなど)は、読者を酉島世界に導き入れるキーでもある。難しいからといって読み飛ばすと、作品世界の厚みが減じてしまうのは、イーガンの物理描写とも似ている。造語は飛浩隆『零號琴』でも多用されていたものの、音を重視する飛浩隆に対して、酉島伝法は意味からの連想に重きを置いているようだ。

 非人類が主人公の作品である。異形の知的種族を擬人的に描いた例として、円城塔は『竜の卵』のチーラや《直交三部作》を挙げている。他でも『重力への挑戦』のメスクリン人はムカデめいた外観だったが、人類とコミュニケーションがとれる程度には人間的だった。本作ではその関係が「宿借り」になるのがユニークだ。擬人化を最小限にするための工夫なのかもしれない。

 それでも冒頭で挫折するという読者は、前編第2章あたりまで流してから、もう一度読み直しても良いだろう。全体像が明らかになってから読めば、とても分かりやすくなる。ところで、造語は基本的に辞書にはないが、漢字自体は既存のものから採られている。例えば「㚻」という漢字は実在する。もともとの意味は男色のこと。


2019/4/21

クリスティーナ・ダルチャー『声の物語』(早川書房)

クリスティーナ・ダルチャー『声の物語』(早川書房)
VOX,2018(市田泉訳)

カバーイラスト:オートモアイ、カバーデザイン:川名潤

 著者はロンドン市立大学の元研究者で、主に音声学関係で英国内の大学で教鞭をとってきた。専門は言語学だ。現在は夫とともに米国在住。スティーヴン・キング、ロアルド・ダールとカール・セーガンを敬愛し、自身はフラッシュ・フィクションと呼ばれる掌編小説(英語で1000語未満、日本語なら2000字くらい)の作家でもある。本書は、昨年書かれたばかりの著者初めての長編小説になる。

 キリスト教原理主義に心酔する大統領が当選し、アメリカは瞬く間に異様な保守社会となる。女性は職場から追放され一切の権利を奪われる。その上、一人一人にワードカウンターが装着される。一日に言葉を100語以上話すと、激しい電気ショックが加えられるのだ。主人公は失語症を改善する画期的な研究を進めていたが、例外は認められなかった。しかしある日、秘密の要請が大統領から主人公に届けられる。

 声を奪われる、とは恐ろしい設定だ。100語は、フラッシュ・フィクションの10分の1しかなく「お話にならない」という暗喩だろう。学校も男女別に分けられ、主人公の子どもたちは宗教教育に染められていく。物語は、そんな直截のディストピアからスタートする。暗澹たる未来なのだが、物語には途中から変化が見え始める。あるプロジェクトが秘密裏に始められ、そこでは主人公の知識が不可欠となるのだ。だが、事態は意外な陰謀を炙り出す方向へと動いていく。

 差別はあらゆるものの中に紛れ込んでいて、当事者はそれを理不尽なものと感じない。昔からそうだったのだから、不変のものだと感じる。人種、国籍、宗教、政治信条、出自、体形、性別、性の不一致、貧富、学歴などなど、たいていの人はこれらについての差別を経験したか、あるいは差別をした/口にしたかだろう。あり得ないはずのトランプ大統領が誕生した後のアメリカで、本書が評価されるのはそういう恐怖が背景にある。

 ジャンル小説ではないのだが、本書の設定にはもう少しリアリティが欲しいし、結末は楽観的すぎるように感じる。だが、極端に思えても、こんな世界は簡単に生まれるのかも知れない。もっとあり得ない事件が起こるかもしれない。ディストピアとは、現実社会の裏側にいまも存在するものだからだ。


2019/4/28

菅浩江『不見の月 博物館惑星II』(早川書房)

菅浩江『不見の月 博物館惑星II』(早川書房)

装画:十日町たけひろ、装幀:早川書房デザイン室

 前作『永遠の森 博物館惑星』が出たのが2000年7月、ほぼ19年ぶりの続編刊行となる。星雲賞や推理作家協会賞を受賞した『永遠の森』以降、枝編の数作があったものの、連載形式で正式に再開されたのは18年4月と最近のことである。本書では全6作の中編(100枚前後)を収録しているが、この連作はまだ続く。

 黒い四角形:どう評価すべきなのか分からない黒い真四角の展示品は、観客に反応するインタラクティブ・アートだった。お開きはまだ:盲目のミュージカル評論家は新しい感覚センサを得て新作発表会に参加するが、そこには批評を快く思わない人物もいた。手回しオルガン:名画のモデルともなった手回しオルガンと老いた奏者には、ある因縁が隠されていた。オパールと詐欺師:愛犬の歯のオパール化を望む男と相棒。だが、相棒には詐欺師の過去があった。白鳥広場にて:広場に設けられた巨大なオブジェは、観客が何をしようとも受け入れた。その自由さが思わぬ事件を生む。不見(みず)の月:著名画家の長女は絵を志していたが、亡くなる前の父親から酷評され複雑な感情を抱いていた。

 前作と同様、いつとも知れない未来。1世紀後なのか、2世紀後なのか明確な言及はない。博物館惑星アフロディーテはオーストラリアほどもある小惑星を、月と地球との間の重力均衡点、ラグランジュ3ポイント(地球を挟んで月の反対側)に設置した人工の衛星である。内部にマイクロブラックホールを置いて重力制御を行ったり、天候も自在にコントロールしている。地球にはどうやら国家は既になく、統一政府が作られているようだ。だからこそ、地球上にあったあらゆる「美しいもの」を集積し保管する施設が可能となっている。

 そんな博物館惑星もオープンして半世紀が経過した。前作で活躍した孝弘やネネは、今回ベテラン職員として再登場する。物語は〈権限を持った自警団〉に属する健(ケン)と、〈総合管轄部署〉所属の尚美(ナオミ)という2人の新人を軸に進む。警備と総務の若手というわけだが、惑星内の博物館や展示場を舞台にするだけあって、芸術家、画商、批評家、俳優、大道芸人、パフォーマーなどなど異能を持った人々が絡んでくる。

 この作品には、人の情動を学習するデータベース〈ディケ=ダイク〉がある種のAIとして登場する。しかし「情動を学習する」とはどういう意味だろう。

 物語では、老芸術家を師と慕う若手、冷静な分析のため楽しみを封じる批評家、遺すべきはモノなのか行為なのかと悩む学芸員たち、親の真意を疑う子ども、詐欺師や犯罪者でさえも人間的な情動を顕わにする。著者の描く人間は(前作から19年を経て)さらに深く個人の感情、情動に踏み込んでいるようだ。登場人物たちは芸術家だが、仮面を被り一見平静な世俗的人間の奥底にも、こういう純粋な情動が隠されているのかもしれない。