2018/2/4

石川宗生『半分世界』(東京創元社)

石川宗生『半分世界』(東京創元社)

Cover illustation:千海博美、Cover design:岩郷重力+S.K

 著者は1984年生まれ。高校には通わず、増田まもるの私塾から大検、米国の大学卒(天体物理学専攻)、スペイン語留学などを経て、現在は翻訳家という経歴だ。本書は第7回創元SF短編賞受賞作「吉田同名」を含む、初中短編集である。全4作、一番短いもので80枚、長いものは200枚(400字換算)あるので、中編集といってよいかもしれない。

吉田同名(2016):ある日の夕刻、帰宅直前だったサラリーマン吉田大輔が、突然一万九千人余りに増殖する。町内に溢れかえった吉田は、緊急措置として全国の遊休施設に分割収容される。増殖の理由も対策も分からないまま、各地の吉田は独自のコミュニティーを構成していく。
半分世界(2016):ありふれた住宅街にある藤原家の壁面が崩落し、外から室内が丸見えとなる。しかし、そこに住む家族は意に介さず日常生活を続ける。いつしか家族それぞれに熱狂的なウォッチャーが付き、正面に建つアパートは藤原家を見物する客でにぎわうようになる。
白黒ダービー小史(2017):その町では、数百年の昔からホワイツとブラックスの2陣営に分かれ、ボールをゴールにむかって蹴りあうゲームが続けられている。そこで、外からブラックスに招かれたプレーヤーは、ホワイツの女性プレーヤーに惹かれるが。
バス停夜想曲、あるいはロッタリー999(書下ろし):どことも知れない岩山の交差路に、いつしか複数のバスの乗り換え所ができる。しかしバスは不定期で、そこで待ち合いする人々は、いつしか徒党を組み、対抗陣営と抗争するようになる。

 デビュー作「吉田同名」から既にそうなのだが、著者は奇想アイデアを風刺や落とし噺にせずに、物語の初期設定として使い、以降の経緯をリアルに追及するための道具としている。たとえば複数の吉田の収容所では、しだいに社会性が生まれていくのだが、その過程がさまざまに考察されていく。

「半分世界」では、壁が崩壊した家(そう見えるだけで実は壁がある、とかではなく本当に壁がない)は奇想だが、家族がタレント化する過程はリアルだ。初期の筒井康隆のようなスラップスティックにはならず、むしろ抑制的なところが著者の個性といえる。「白黒ダービー史」は、それが町の習俗や歴史に拡大し、「バス停夜想曲――」に至ると『百年の孤独』や『火星夜想曲』(著者によると『インド夜想曲』らしい)を思わせる規模になっている。むしろ長編で読みたい重厚な内容だ。

 本書を読んで、コルタサルなどラテンアメリカ文学、カルヴィーノを思わせる部分も感じたが、評者は中井紀夫の短編(『山の上の交響楽』所収のもの)を思い浮かべた。ありえない奇想性が、日常の中にするりと入り込む感触がよく似ている。


2018/2/11

J・G・バラード『J・G・バラード短編全集5 近未来の神話』(東京創元社)

J・G・バラード『J・G・バラード短編全集5 近未来の神話』(東京創元社)
The Complete Short Stories,2001(柳下毅一郎監修、浅倉久志他訳)

装画:エドゥアルド・パオロッツィ、装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 2016年10月からスタートしたJ・G・バラード短編全集が、予定通り全5巻で完結した。特に本書では、これまでオリジナルの短編集として唯一未訳だった『近未来の神話』(1982)に属する7編を読むことができる(他3編はすでに第4巻に収録済み)。これで、凡そ40年にわたって書かれた98編が、発表年代順かつ最新訳ですべて読めるようになった(この巻に含まれる最後の2編は、原著2001年版が出た後に追補されたもの。その関係で1作のみ年代順ではない)。巻末にはウィリアム・ギブスンによる、日本版特別寄稿も収められている。

 英国内戦を実在のニュースアナウンスからコラージュする「交戦圏」(1977) 、観光客がリゾートに閉じ込められる「楽しい時間を」(1978)、 第2次大戦の遺構で過去の兵士を見る「ユタ・ビーチの午後」(1978)、ヒッチコックの「サイコ」を妄想する男「モーテルの建築術」(1978)、 シンデレラを妄想する富裕層の娘「暴走する妄想の物語」(1980)、 光と時間がテーマの三部作「太陽からの知らせ」(1981)「宇宙時代の記憶」(1982)「近未来の神話」(1982) 、エリザベス女王とレーガン大統領を狙うテロリスト「 攻撃目標」(1984)、月面着陸した元宇宙飛行士と称する落ちぶれた男「月の上を歩いた男」(1985)、 EU成立後リゾートにバカンスで訪れた人々は帰国を拒否した「世界最大のテーマパーク」(1989)、20世紀最後の頽廃的なTV番組表「ヴァーチャルな死へのガイド」(1992)、火星から帰還した宇宙船から誰も出てこなかった「火星からのメッセージ」(1992)、作家のバ***以外すべての人が消え失せる「J・G・バ***の秘められた自叙伝」(1981)、ピサの斜塔が崩れ落ちるとき現場に居合わせた男が語る真相「死の墜落」(1996) など24作。

「太陽からの知らせ」「宇宙時代の記憶」「近未来の神話」は、ほぼ同じ設定と、同様の登場人物が繰り返される三部作だ。「太陽からの知らせ」では、ネヴァダ砂漠が舞台で、時間が遁走する(急激に流れる)病が蔓延する。主人公は医師、疎遠になった妻は超軽量飛行機に乗る元宇宙飛行士と関係を持つ。「宇宙時代の記憶」はケープ・ケネディの廃墟が舞台、時間が失われていく病が広がる。この作品の主人公も医師、グライダーに乗る少女や、軌道を巡る死者となった宇宙飛行士、複葉機を操る元宇宙飛行士が出てくる。「近未来の神話」は同じくケープ・ケネディの廃墟が舞台で、引きこもりとなる宇宙病が人々を侵す。主人公も病に苦しむが、若い神経外科医と南に旅立った元妻を追う。その医師は鳥に執着し、グライダーを操るのだ。「夢の積荷」(1990)(『楽園への疾走』の原型)とも繋がる作品。三作品とも主人公と妻との仲は歪んでおり、離反を知りながら咎めもせず、ストーカーのようにただ付き纏う。この崩壊した夫婦関係は「ユタ・ビーチの午後」や「死の墜落」でも見られるバラード得意の設定でもある。

 バラードの場合、単なるアイデアストーリーも馬鹿にはならない。無限に拡大していく「未確認宇宙ステーションに関する報告書」(1982)「巨大な空間」(1989)は、ウィル・ウィルス『時間のないホテル』などに影響を与えたと思われるし、核戦争より大統領の病状報道に執心するメディア「第三次世界大戦秘史」(1988)は、昭和天皇の危篤報道が始まる前に書かれたまさに予見的作品だ。「寒冷気候の愛」(1989)村田沙耶香『消滅世界』と同様の発想、「戦争熱」(1989)伊藤計劃『虐殺器官』の先駆作といえる。

 監訳者である柳下毅一郎は「J・G・バラードは二十世紀でもっとも偉大な作家ではないかもしれない。だが、彼が二十世紀においても指折りの重要な作家として名を挙げられるのはまちがいないだろう」と記している。その理由を「バラードは二十世紀に生きる我々の生について書いた。我々の生のかたちは何に規定されているのか、未来のそれはいかなるかたちを取るのか…(中略)…問題意識はつねに変わらなかった」と続けている。そういう意味からすると、テクノロジーが廃墟と戦争を誘い、夫婦の関係を問い直す本書の収録作こそ、20世紀と近未来21世紀を象徴する作品群と言えるだろう。

 ところで、巻末にある今年70歳になるギブスンの寄稿文は、冷静な分析批評ではなくバラードに対するオマージュに満ちたものだ。12歳でバラードを知り、サイン会で初めて出会い、インタビュー記事で名前を挙げてくれたことに感激するなど、素直な喜びを語っている。ギブスンにとって、バラードはカルト・ヒーローだったのだ。


2018/2/18

宮内悠介『ディレイ・エフェクト』(文藝春秋)

宮内悠介『ディレイ・エフェクト』(文藝春秋)

装丁:城井文平

 第158回芥川賞(平成29年下半期)の候補作となった「ディレイ・エフェクト」を含む3つの作品を収めた短編集。枚数的には全部で200枚余りで、中編1作程度のコンパクトな分量だ。

ディレイ・エフェクト(2017):2020年の東京に1944年の東京が重なり合う。主人公の自宅には曽祖父の自宅が重なり、少女だった祖母の姿も見えた。しかし、向こうの音は聞こえるが、コミュニケーションをとることはできない。
空蝉(2015):90年代の終わり、わずか3年間だけ活動したインディバンドがあった。15年後、主人公はそのメンバーの死の真相を追い、当時の関係者一人一人から事情を聴いていく。
阿呆神社(2012):JR大塚駅の近在にある神社の神さまが、くだけた一人語りでつぶやく街の人々の憎めない生きざま。

 この中では、やはり「ディレイ・エフェクト」が注目されるだろう。標題は、エフェクターなどを使って、音をわざと遅延させる音楽の技法に由来する。2020年の元日付近から1944年の同じ曜日が、遅延をかけたかのように重なり始めるのだ。ただ、過去は見ることができるが、録画も録音もできない。つまり物理的に存在するのではなく、意識の中だけの存在だと示唆される。集団を侵す精神の病のようでもあるが、そういった真相究明は行われない。

 しかし、目の前で生きる曽祖父夫婦や祖母の生活はリアルで、やがてくる最悪の運命に向かって時間だけが進んでいく。それは、翌年3月10日に起こる東京大空襲なのだった。

 時間的に隔たっているといっても、2つの世界はお互い間違いなく存在する(あるいは存在した)。だが、本作で描かれるのは、一方的に影響を被る現在なのである。主人公の生活や家族は、物理的にないものに翻弄される。一方の時間は固定されていて(ディレイなのだから当然だが)、もう一方の時間はその影響(エフェクト)を受けながら自由である、そういう対照が鮮やかだ。


2018/2/25

ケン・リュウ編『折りたたみ北京』(早川書房)

ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(早川書房)
Invisible Planets: Contemporary Chinese Science Fiction in Translation,2016(中原尚哉・他訳)

カバーイラスト:牧野千穂、カバーデザイン:川名潤

 新☆ハヤカワSFシリーズの第4期ということで、デザイン(背表紙のSFマーク、フォント、文字色など)が変更された第1弾。日本でもファンが多いケン・リュウ編訳による中国SFアンソロジイである。翻訳作品で初めてヒューゴー賞を取り、オバマ元大統領の愛読書といわれる『三体』の劉慈欣を含む、7作家13作品を収めている。ケン・リュウの英訳からの重訳ではあるが、これまで葉永烈など古い作家の紹介が断片的にされた以外、お隣なのに全貌が分からなかった、中国現代SFを一望できる最初のアンソロジイでもある。巻末には中国作家自身による中国SF概観、立原透耶による作家紹介も付いている。

陳楸帆(1981生)「鼠年」(2009)遺伝子改良されたネズミ駆除のため、駆り出された大学生たち。「麗江の魚」(2006)メンタルの療養で訪れた田舎町は過度に観光地化していたが、主人公はそこで不可思議な女性と出会う。「沙嘴の花」(2012)深圳と香港に挟まれ、開発から取り残された小村で身を隠す主人公は、一人の娼婦と知り合う。
夏笳(1984生)「百鬼夜行街」(2010)妖怪だけが棲む長大な街路に、ただ一人だけの人間がいた。「童童の夏」(2014)幼い少女の家に、老いた車椅子の祖父と介護ロボットがやってくる。「龍馬夜行」(2015)龍の頭と馬の胴体を持つ機械の龍馬は、荒れ果てた博物館の中で目覚める。
馬伯庸(1980生)「沈黙都市」(2005)あらゆる言葉が検閲される世界では、許可された言葉以外が使えなくなった。
郝景芳(1984生)「見えない惑星」(2010)恋人が語るカルヴィーノ「見えない都市」のような、さまざまな惑星のありさま。「折りたたみ北京」(2014)8000万人が住む北京は、厳密に階層化された表裏に分かれ、1日ごとに上下反転する。
糖匪「コールガール」(2013)少女は、金持ちの大人に特殊な能力を提供して金銭を得ていた。
程婧波(1983生)「蛍火の墓」(2005)消えた母を追って、少女は〈無重力都市〉の魔術師と出会う。
劉慈欣(1968生)「円」(2014)秦の始皇帝のもとに、一人の学者が天の声を解明する壮大な計算方法を進言する。「神様の介護係」(2005)空を埋め尽くす巨大宇宙船から、創造者だと名乗る老人たちが大量に出現する。

 50歳の劉慈欣を除けば、全員30代という若い世代(日本でいえば伊藤計劃より一世代あと)、それも新人ではなく、中国国内のSF賞等で実績を持つ作家ばかりである(ジャンル専業作家は少ない)。内容は多彩で、中国の現在を反映した社会風刺を描く陳楸帆の諸作品、アニメから喚起されたファンタジイや菅浩江を思わせる家族愛を描く夏笳、『1984』を最新IT社会に反映した馬伯庸、格差社会の悲哀を描きながらそのイメージが圧倒的な(「折りたたみ北京」はヒューゴー賞を受賞した)郝景芳、また糖匪と程婧波の作品は描写が詩的なファンタジイだ。劉慈欣の「円」のアイデアは、小川一水「アリスマ王の愛した魔物」小林泰三「あらかじめ決定された明日」と同様のものだが、舞台を兵馬俑時代の秦に持って行ったところが素晴らしい

 人口が日本の10倍ある中国には、才能ある作家も、熱心な読者も、相応の規模で存在する。日本の現在と異なる発展を遂げた社会なのだから、それらを背景にした多様な作品が書かれるのは当然だろう。体制批判は感じられるが、編者が言う通り先入観は持たない方が良い。批判だけと思って読むと、作品から得られる面白さが半減してしまう。「折りたたみ北京」を読んでも分かるが、絶望的な格差の裏には希望が潜んでいる。どちらかといえば、本書からは前向きのメッセージが読み取れるのだ。こんな雰囲気で読めるアンソロジイは、いまの日本にはもうないだろう。あえて言えば《日本SF傑作選》に近いかもしれない。