2016/7/3

小林泰三『失われた過去と未来の犯罪』(角川書店)

小林泰三『失われた過去と未来の犯罪』(角川書店)

イラスト:吉田ヨシツギ、デザイン:大原由衣

 文芸カドカワの2015年7月号から2016年4月号まで連載された、複数のエピソードから成る連作長編。帯に「ブラックSFミステリ」とあるが、内容は人の記憶を介して仮想と現実の曖昧さを追及したもので、かなり抽象的な概念を扱うSFといえる。

 物語の冒頭で世界的な異変が起こる。短期記憶を長期記憶に受け渡す脳の機能が失われ、人は10分程度のわずかなサイクルで記憶を失うようになる。第1章では、混乱する社会やメルトダウンの危機に陥る原発の現場が描かれる。第2章では、外部記憶を設けることで、危機を脱した世界に舞台は移る。そこでは外部メモリが人生そのものの記録となる。だとすると、メモリがその人になるのか。メモリの複成は人格のコピーなのか。

 ついさっき自分が体験したことが記憶できない。同じことを何度も繰り返してしまう。対策のため、自分の行動を細かくメモ書きにして記憶の代りとする。実際、そうやって記憶障害に対処する人はいる。だが、本書では人類全体がそうなってしまう。第1章では、短期記憶だけで社会システムをどうやって維持するかが描かれる。

 メモ書きが、全記憶を収めた外部メモリに進化した社会。第2章では、一転して記憶障害がテーマではなくなる。メモリなので、別人との交換が可能になる。メモリ=そのひとの生きざまならば、交換は人格の入れ替えとなるのか。事故で他人の男女が入れ替わったら、仲が良かった家族の間、医者の不出来な息子と優秀な学生、離れて暮らす双子、メモリを一切持たない隠遁者たち、禁じられた死者のメモリを再演する者、そういった、さまざまなエピソードの中で、メモリ交換の意味、ひいては仮想(データ)と肉体(リアル)との境界が、問われるわけだ。相変わらず論理で押す文体だが、記憶障害から仮想現実にまで話が広がる途方もなさが面白い。

 

2016/7/10

大森望・日下三蔵編『アステロイド・ツリーの彼方へ』(東京創元社)

大森望・日下三蔵編『アステロイド・ツリーの彼方へ』(東京創元社)

Art Work:鈴木康士、Cover Desigh:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 創元版日本SF傑作選の第9弾、2015年を対象としたもの。いつものように全19編(コミック2編を含む)+創元SF短編賞受賞作1編と収録作は多い。

「ヴァンテアン」 藤井太洋:  サラダ製バイオコンピュータが生み出す大成果
「小ねずみと童貞と復活した女」 高野史緒: 『屍者たちの帝国』掲載の究極パスティーシュ
「製造人間は頭が固い」 上遠野浩平: 超人類を抹殺し人類を守る〈システム〉とは
「法則」 宮内悠介: ある絶対法則に翻弄される主人公の運命
「無人の船で発見された手記」 坂永雄一: 無数の動物たちが乗る箱舟で漂着した地とは
「聖なる自動販売機の冒険」 森見登美彦: 屋上に設置された自販機が突如動き出す
「ラクーンドッグ・フリート」 速水螺旋人: 地球防衛に当たる妖怪部隊の面々(コミック)
「La Poésie sauvage」 飛浩隆: 電子的書字空間を荒らす禍文字を捕獲する戦い
「神々のビリヤード」 高井信: 神々の玉突きで言葉が次々に入れ替わる
「〈ゲンジ物語〉の作者、〈マツダイラ・サダノブ〉」 円城塔: 図形化プログラム化された源氏物語の構造
「インタビュウ」 野崎まど: 未開惑星での冒険風にした架空インタビュー
「なめらかな世界と、その敵」 伴名練: シームレスな多元宇宙に存在する高校の転校生
「となりのヴィーナス」 ユエミチタカ: その転校生は金星人と自己紹介する(コミック)
「ある欠陥物件に関する関係者への聞き取り調査」 林譲治: ある大型プロジェクトを巡るトラブルの真相
「橡」 酉島伝法: 月で幽体となった人々が地球のマネキンに甦る
「たゆたいライトニング」 梶尾真治: 原初から連綿とエマノンに助言を授ける女性
「ほぼ百字小説」 北野勇作: 140字で書かれた100編の超掌篇小説群
「言葉は要らない」 菅浩江: ヘルパーロボット開発を行う開発者と青年
「アステロイド・ツリーの彼方へ」 上田早夕里; 自律的な宇宙探査機用猫型人工知性との友情関係
「吉田同名」石川宗生: 突然同一人物が万単位で増幅したなら(受賞作)

 600頁で20編もあるため、数頁の短いものもあれば中篇級のものもある。短いものでは、飛浩隆、円城塔、酉島伝法などの抽象性が高い作品や、藤井太洋のアイデアが効いた作品が印象深い。北野勇作のTwitter小説は、まとめて縦書きで読むとまた雰囲気が変わってくる。遠野浩平や坂永雄一は、古いテーマに対する目新しいアプローチといえる。第7回創元SF短編賞の石川宗生は、一般誌でも問題のない読みやすい奇想小説ながら、SF特有のロジカルさを併せ持つ。さすがに受賞作だけのことはあるだろう。

 小説の収録作内訳は、SFマガジン・SF宝石2015から3作、小説トリッパー・現代詩手帖の特集から4作、短篇集から2作、Webマガジン・Twitterから3作、同人誌SFハガジン・奇想マガジンから3作、その他文芸誌2作となる。SFマガジン隔月刊化の影響はあったが、この割合は昨年から大きくは変わらない。同人誌からの収録といっても、ベテラン高井信や創元SF短編賞、日本ホラー小説大賞などの受賞者が書いたものだ。そういうベスト級の小説が、戦後直後並みに少部数の時代となった(悪い)状況とみるべきか、マス出版からフリーとなった(良い)状況とみるべきか、微妙なところだ。だからこそ本書が拾うのだろうが。

 

2016/7/17

ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』(国書刊行会)

ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』(国書刊行会)
Magnus Ridolph,1985(浅倉久志・酒井昭伸訳)

装幀:鈴木一誌+桜井雄一郎、装画:石黒正数

 ジャック・ヴァンスの日本オリジナル傑作選《ジャック・ヴァンス・トレジャリー》全3巻の最初の1冊である。哲学者・数学者の宇宙探偵を主人公とした、一連の連作全10篇が収められている。初出は1940年代から50年代にかけての雑誌、本にまとめられたのが60年代以降、全短篇を収めたアンダーウッド・ミラー版が出たのがようやく1985年と、長期にわたって再版されてきた。最後のものが、掲載順も含めて本書の事実上の底本となっている。翻訳は「とどめの一撃」のみ浅倉久志、他は詳細な解説を含め酒井昭伸である。

・ココドの戦士(1952): 城同士が合戦する惑星で行なわれる巨額の賭け
・禁断のマッキンチ(1948): 異星人だらけの都市で起こる不可解な殺人事件
・蛩鬼乱舞(1949): 豊穣を約束するはずの農地に響く不吉な物音
・盗人の王(1949): なんでも盗まれる星で鉱脈の利権を得るには
・馨しき保養地(1950): リゾート惑星にひしめく有害生物の忌避方法
・とどめの一撃(1958): 機密ドーム内で起こった殺人事件の犯人は
・ユダのサーディン(1949): 異星のサーディン工場で起こっている異変
・暗黒神降臨(1950): 三重星を回る惑星で起こる不可解な失踪事件 
・呪われた鉱脈(1948): 特定の採鉱キャンプで起こる連続殺人事件
・数学を少々(1948): カジノ惑星で行われた前代未聞の賭けの顛末

 末尾の2作は最初期の習作で、主人公は数学者と紹介されるが、それ以降は哲学者となっている。宇宙探偵というか宇宙のトラブルシュータ―、論理的で冷静ながら、金にこだわる俗人で、倫理観には一切囚われない。善人を騙すことはないが、それは悪人の方が金を持っているからなのだ。外観は中肉中背白髪白鬚、原著では50代、今の感覚なら70代くらいの老紳士である。

 アメリカには、ヴァンスの信奉者がプロにも大勢いる。ジョージ・R・R・マーチンのように、マグナス・リドルフのオマージュとして『タフの方舟』を書いてしまう人までいる。日本にはそこまでヴァンスに入れ込んだ作家はいないが、固定層が盤石の翻訳小説ファンがその代わりとなっている。本書の解説に出てくる米村秀雄も、ヴァンスの熱心なファンだった。

 異星人や異世界の描写は、いかにも古典的なスペースオペラの世界である。しかし、ヴァンスの場合、それが人間の着ぐるみや書割には見えず、本当の異星人のように思えてしまう。短い文章、少ない描写しかないのに、そう思わせるセンスがヴァンス最大の魅力なのだろう。

 

2016/7/24

奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』(講談社)

奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』(講談社)

装幀:川名潤、装画:旭ハジメ

 群像2014年1月号から15年12月号まで2年間連載された奥泉光の長編小説、総頁数660、1400枚弱の大部になる。2001年に出た『鳥類学者のファンタジア』と共通する設定、登場人物が出てくるが、本書単独で読んでも問題はない。ちなみに『鳥類は…』SFが読みたい!2001年でベスト3位、同誌9年後のゼロ年代ベスト30特集でも29位に入るなど、SFファンに好評だった。

 21世紀末、音響設計士兼ジャズ・ピアニストの通称フォギーは、兵器・ロボット産業の大立者から仮想空間に造る墓所の依頼を受ける。大立者は130歳を経て死が近い。仮想大正池や20世紀新宿でフォギーのピアノ演奏を流し、葬儀参列者をもてなしてから死を迎えたいというのだ。それだけではない。エリック・ドルフィーをはじめとするジャズの名演奏家たち、将棋の大山康晴名人や、落語の古今亭志ん生、立川談志までもアンドロイドで再現されているのだ。一体その目的は何なのか。

 80年後の世界、過去に未知のコンピュータウィルスによる大感染が起こり、電子社会は壊滅した。ようやく復活した未来でも、ウィルスのメカニズムは解明されていない。社会はシームレスになる一方、感染前を上回るほどのAI化の進展がある。電脳空間への意識の全転送、その意識は意思を持つAIといえるのか、アドリブの必要なジャズ演奏、落語の口演はアンドロイドで可能なのか。

 本書で描かれたAIについて、著者はインタビュー記事の中で「SF作家グレッグ・イーガンは、そうした(知能と意識の)問題について、非常に刺激的な作品をいくつも書いています。或る意味で彼がやりつくしているともいえる。ただ、彼の作品は難しすぎるんですね。その意味では、もっと娯楽性を高める――広い意味でですが――形で、書けることはまだまだあると思います」と述べている。本書に登場するAIやアンドロイドには、そういう著者の意図が込められているわけだ。

 『鳥類学者…』では第2次大戦下のドイツと現代日本が舞台だった。本書は、21世紀末(2090年代)と仮想空間にある1960年代日本が舞台となる。前作ではオカルト的要素が強かったが、本書には現代SFの要素が溢れている。どちらもジャズ・ピアニスト"フォギー"が主人公だ。ただし、この2人は同一人物のような、そうでないような奇妙な関係にある。

 また、この物語は、アンドロイド子猫ドルフィー(表紙に描かれた猫)の一人語りで書かれている。しかし、登場人物の動きは3人称のふつうの文体になっていて、ところどころの段落の終わりに「……です」と、合いの手のように子猫のセリフが挟まっているのが面白い。

 

2016/7/31

六冬和生『松本城、起つ』(早川書房)

六冬和生『松本城、起つ』(早川書房)

カバー・扉イラスト:わみず、カバーデザイン:早川書房デザイン室

 第1回ハヤカワSFコンテスト受賞作家の、書下ろし3作目はタイムスリップ小説だ(Jコレクションではない)。これまでの宇宙SF要素を無くし、著者の住む松本を舞台としたご当地時代小説としたところがユニークだろう。

 信州大学生の主人公は、家庭教師をしている女子高生とともに、地元なのによく知らなかった松本城を訪れる。その天守閣で大きな地震に遭遇、17世紀の江戸時代にタイムスリップする。折りしも城下は天候不順に見舞われ、年貢の減免を求める農民たちの間に不穏な空気が流れていた。なぜこの時代に来たのか、自分たちにどんな使命が期待されているのだろう。

 主人公は、鈴木伊織という松本藩士に(記憶や外観がそのまま)なり替わる。女子高生は高校の制服が奇異なため、松本城に祀られている二十六夜神の化身としてあがめられる。また、藩で巻き起こる百姓一揆も、庄屋加助をリーダーとする貞享騒動と、これらはすべては史実、伝承から採られたものだ。世界遺産松本城、松本藩の歴史といっても、一般的には知られていない話になる。

 とはいえ、本書は純粋な歴史小説ではない。農民たちの要求は史実では叶えられなかったのだが、物語の中では何度も時間線を遡ることで、少しづつ異なる結果を産む。そうなる理由や、メカニズムについては、SF的な解釈がなされるわけだ。

 著者のこれまでの作品では、高度なAIと俗っぽい男女関係、人間関係を組合せるという、落差を際立たせる手法が使われてきた。本書の中でも、現代と江戸時代との対照に同じ方法が用いられている。武士に憑依した主人公の感覚はあくまで現代人だが、江戸時代の人々に思いはなかなか伝わらないのである。

 

篠田節子『竜と流木』(講談社)

篠田節子『竜と流木』(講談社)

装幀:坂野公一(welle design),装画:高野謙二

 5月に出た篠田節子の長編。2015年1月から新潟日報、2月から静岡新聞にそれぞれ連載されたものに加筆訂正した作品である。帯の惹き句は「生物パニックミステリー」「美しい島を襲うバイオハザード」とある。

 主人公は太平洋の小島に生息する、小さな両生類のアマチュア研究者。アメリカ人とのハーフで、語学学校の講師をする傍ら、休みの度に島を訪れる。両生類はまるでカワウソのような外観で愛くるしい。ところが生息地の開発から、その生き物をリゾートの池に移したことをきっかけに、奇妙な事件が起こるようになる。観光客や島の住民が、未知のトカゲに襲われるようになったのだ。

 著者は本書を書くにあたり、実際にパラオで取材し、現地で大まかな構想を決めたという。大きなテーマとして、自然対リゾートなどの人工環境との違い、自然の中にある生命の位置付けや適応能力などがあり、一方、優柔不断な主人公とマッチョな父親、出自の様々な登場人物たちの関係が、人間関係のニッチ(生態的な地位)を構成している点が第2のテーマといえる。

 新聞連載時はこの両生類の名前が「ダゴン」だった(本書ではウアブとなっている)らしく、そうすると不吉な展開は必然なのだろう。ただ描かれ方は、古典的なクトゥルー物のように、おどろおどろしいホラーではない。両生類の移送が生んだ事件の因果関係が、島の神話や生物学者の知見を交え、主人公たちによってロジカルに解き明かされるのだ。篠田流ジェラシック・パークという評価もあるが、これは人為的な遺伝子改変がテーマではない。重層化されたバイオ(生物学)サスペンスといって良いだろう。