|
||||
マーティンのオムニバス中編集である。しがないオンボロ宇宙船の商人だったタフが、偶然失われた連邦帝国の生物環境兵器<方舟>号を手に入れる。彼は圧倒的な生物科学力と商才を生かして、辺境惑星の紛争や事件を次々と解決していく。一切の表情を見せず、猫だけを友とする無毛の大男タフと、依頼者との頓智合戦(権謀術数というほど政治的ではない)がポイント。会話と展開が主眼なので、アイデアはかならずしもユニークではない。 「プロローグ」(1986) 単行本のために書き下ろされた「禍つ星」の前日譚 「禍つ星」(1985) タフがいかにして仲間を出し抜き旧連邦環境工学兵団の胚種船<方舟>号を手に入れたか 「パンと魚」(1985) <方舟>号を奪取しようとする人口過剰惑星に、タフが示した生存のための解とは 「守護者」(1981) 海洋殖民惑星で起こる、奇怪な生物たちの逆襲事件 「タフ再臨」(1985) 過去の負債返済のために、再び訪れた人口過剰惑星で持ち上がる難題 「魔獣売ります」(1976) 12の名家が獣を競わせる競技会に、タフが示した新しい猛獣たち 「わが名はモーセ」(1978) モーゼの予言を僭称する男にタフが与えたより正しい答え 「天の果実」(1985) 三たび訪れた人口過剰惑星で迫られる最後の決断 本書でタフが提示する驚天動地の難題解決法というのも、よく考えると当たり前であったり強引過ぎたりする。一介の商人だった主人公が、いつの間にか環境エンジニアリングの天才になって、惑星世界の命運を決めてしまう、というのも無理がある。しかし、作者はそんなところは全て了解していて、それぞれに論理的な答え(納得するかどうかは読み手しだい)を用意している。本書がSFファンに分かりやすい理由は、韜晦さを排した明快な構造と、(それなりに)知的/倫理的な展開そのものにあるのだろう。
|
|
||||||
スタージョンの伝説的な長編。45年前の作品なので、今でこそ歴史的な意義(2002年の記事)のみが強調されるが、日本では70年代から話題になっていた。よりSF的で評判も高い『闇の左手』(1969)が先行し、同様のテーマである本書の紹介意義が薄れたこと、また、サンリオ文庫の撤退等出版手段が断たれたことなどで、結果的に本書の翻訳は大幅に遅れることになってしまった。 主人公が目覚めると、そこは彼が暮らした20世紀の世界と共通点のない、全くの異世界だった。先端的なテクノロジーが集積された領域、子供だけが育つ田園地帯が広がる領域。しかし、見慣れた光景がなかった。単なる外見だけではない、女性の姿、いやそういう意味では男性の姿も見られない。ここは未来の地球なのか、彼らはいったい何者なのか…。 本来スタージョンは、同性愛を含む性の規範を取り払うというテーマで本書を書いた。現代文明の根底をなす宗教的な禁忌が急激な文明の発展を促す一方、人の残虐さや差別意識を増長させたとする。現代的なジェンダーテーマというより、キリスト教文明に対する反論といっていいかもしれない。 上田早夕里『ゼウスの檻』を連想する部分もあるだろう。(著者の意図はどうあれ)SFは1つのテーマをナマで扱うことはない。従って、後の時代になって別のテーマが見えてくることがある。本書の設定は単純に見えても、さまざまに解釈が可能でまだ古びてはいないのである。
|
|
||
ハヤカワ名作セレクションの一冊。もともと1974年7月に刊行された同書(当時SF文庫146冊目、本書は1519冊目にあたる)を読みやすく改版したもの。アンダースンのファンタジイの中で、もっとも初期に書かれ未だに読み継がれている秀作だ。中身は同じなので、評者が同時期に書いたレビューを(30年前のまま)再掲載してみた。これは評者がプロ雑誌に書いた最初の文章でもある。
|
|
||
第6回(2004年)日本SF新人賞の『ゴーディーサンディー』、第5回(2003年)日本SF新人賞佳作『ルドルフ・カイヨワの事情』の全面改稿版の2冊である(関連作品は4月のレビューを参照)。 照下土竜(ひのしたもぐら)は日本SF新人賞では最年少(22歳)受賞者、ということで話題になった(新井素子は17歳、大原まり子は21歳で、それぞれ奇想天外社、早川書房のSF新人賞に佳作入選しているが、第1席の受賞者ではない)。こちらで小説の勉強もしていたようだ。 主人公は爆発物処理班の一員。警察によって全国の監視カメラを集中管理する「千手観音」システムが稼動し、犯罪は予防的に摘発されるようになった。しかし、テロリストは新たな武器、センサーに探知されない生体爆弾を使ったテロ行為を行うようになる。それは、自身の内臓自体を爆発物と化す、ある種の自爆テロだった。主人公は、テレビ局の女性ニュースキャスターに惹かれるようになるが…。 内臓爆弾の処理班という発想がユニークだろう。グロテスクな描写と主人公の心の危なさが微妙にバランスして、特異な印象を残す。小説は旨いとは言えず、心理描写の説得力もないが、新鮮さを買う意味はあるだろう。 カイヨワは、弁護士で生命倫理委員会の調査員も務めている。10年後の近未来、アメリカではウィルス感染が原因で、胎児の重大な疾患が蔓延していた。政府は体外受精によりウィルスの感染を防ぐ法案を制定し、人間の出生に関するタブーも薄れ始めるかにみえた。しかし、小さな事件をきっかけにして、政府やNASAまでも巻き込んだプロジェクトの存在が明らかになる。それはまさに人間の存在を揺るがす可能性があった…。 入選時点で問題にされた科学的整合性の不備も、本書を読む限りでは相当改善されている。井上剛もそうだったが、著者もSFを小道具にしたエンタメ小説を狙っている。置かれた道具立ては既存の枠を超えるものではない。たとえば、プレストン&チャイルド『マウント・ドラゴン』など前例はいくつもある。そこを、お話作りの旨さで逃れたという印象だ。著者は第5回ホラーサスペンス大賞(2004年)の最終候補作にも残っていて、もともと新人以上の筆力は持っていると思われる。 面白いのは、2作とも主人公は心に傷を負い、女性に対し複雑な感情を持っている点。照下土竜の描写はちょっと唐突過ぎるし、北國浩二は納得はいくものの、まだ釈然としない(特に結末部分)。
|
|
||||
小松左京賞作家、機本伸司の長編第3作目。XXを作る話、というのが作者の十八番だが、今回はロケットを(しかも恒星船を)作るお話。 今から50年後、太陽活動の活発化で地球の環境が激変する予兆が現れる。このままでは人類は滅びてしまうかもしれない。一人の科学者が気まぐれではじめた地球脱出計画は、人材派遣会社に勤める主人公に依頼が舞い込んできてから急展開、折からの危機ブームと重なって現実化していく。果たして民間会社に恒星間宇宙船なんて作れるのか。経費は、納期は、技術開発は可能なのか、政府は許すのか。さまざまな「できない理由」を尻目に、計画だけは進んでいく。工期は5年、遅くとも10年以内、目的地は5.9光年先のバーナード星! 民間団体の名称がダメトラ、登場人物/会社の名前は阪神間の地名(岡本も名前ではなく地名です)、目的地の(存在するかどうかも分からない)星の名前がマクガフィン、冗談と現実が混在し、妙にリアルな人物たちの会話と、計画の途方もなさが対照的で面白い。核融合技術や民営スペースフライトの実用化など、インフラ設定に整合を持たせるために半世紀未来を舞台としているが、それ以外はほぼ現代のまま。しかし、そういう矛盾はあまり気にならない。お話は詳細な計画検証を巡る前半と、国際紛争がらみの後半とに分けられている。後半は、現実から一気に夢へと連なっていく、ちょっと意外な終わり方だ。 小川一水『第六大陸』が、いわばベンチャー企業家の企画書(実現性にやや難あり)風民間ロケット小説だったのに対して、本書はメーカーの商品企画部風ロケット小説。ちなみに、商品企画部というのは、(一般的には)商品の仕様書を作って、開発・製造部門に引き渡すまでが仕事になる。この仕様書の無理難題を実現するのは、プロジェクトX風現場小説になるのだろうが、それはまた別の話だ。
|
|
||
河出奇想コレクションの最新刊。一気に再評価が進むスタージョンの(21世紀)3冊目のオリジナル・アンソロジーで、今年(今月)になってからは幻の『ヴィーナス・プラスX』に続く2冊目。もちろん、こんなに出ているのは読者に支持されている(売れている)証拠である。 「取り替え子」*(1941)遺産相続の思惑で、若夫婦が拾った捨て子の赤ちゃんの正体 「ミドリザルとの情事」(1957)大男でマッチョな夫が若い男を助け、妻と二人きりにして仕事に戻るが 「旅する巌」*(1951)未曾有の傑作を書いた男をたずねる出版エージェントが知る秘密 「君微笑めば」*(1955)タブロイド新聞の高慢な記者が語る、奇妙な殺人事件の謎 「ニュースの時間です」**(1956)ニュースに固執する男がそれを失い、再び取り戻したとき知るもの 「マエストロを殺せ」(1949)ビッグバンドのMCを勤めた醜男が語るイケメンバンドマスターを殺した顛末 「ルウェリンの犯罪」(1957)世の中を知らない無辜の男が試みる犯罪とは 「輝く断片」**(1955)世間からのけ者にされた男が、公園で傷ついた女を助け出したあと * 本邦初訳(3作)、**単行本未収録(2作) ミステリ名作選とあり、本書の多くでは殺人や猟奇的な事件が描かれる。しかし、他のスタージョンの作品と同様、本書に収められた作品をふつうの“ミステリ”や“サスペンス”とは感じられない。恐らくこれら8編を読まれた方は誰でもそういう感想を抱くだろう。本書は奇妙な犯罪者たちの物語である。いまどきの世相では、こんな犯罪者は“怖い/非日常な”存在で、隣にいるかもしれないけれど我々にはおよそ理解できないと思われている。世間が受け入れられる、もっともらしい理由(たとえば、暴力ゲーム好きのおたくだった云々)を付け“異常なもの”として葬り去られる。しかし、スタージョンは彼らの心の奥底までを丁寧に描き出す。どれだけ不思議に見えても、そこに見えるもの(すなわち主人公たちが見出した「輝く断片」)は一人の人間の一面なのだから。 |