2011/10/2

Amazon『探偵術マニュアル』(東京創元社) 

ジェデダイア・ベリー『探偵術マニュアル』(東京創元社)
The Manual of Detection,2009(黒原敏行訳)

カバーイラスト:服部幸平、カバーデザイン:本山木犀

 1977年生まれの著者が、大学院の修士論文として書いた処女長編である。それが、ハメット賞(ミステリ)クロフォード賞(ファンタジイ)を受賞、ローカス誌の第一長編(処女長編)部門(SF)でも3位に入った。著者は大学卒業後、大学院に進むまでに、アメリカペン(日本ペンクラブのアメリカ版)の機関誌で副編集長を勤め、一時ケリー・リンクの主催する小出版社スモール・ビア・プレスを手伝っていた経験もある。

 雨が降り続けるとある大都会に、巨大な〈探偵社〉ビルがある。主人公はそこで働く記録員だった。ところがある日、彼は探偵昇格の辞令を受け取る。相談に訪れた上司は何者かに絞殺され、いつの間にか彼には秘書と別の記録員が配置されている。〈探偵社〉では一体何が起こっているのか。行方不明の敏腕探偵を捜索する中で、驚くべき真相が明らかになっていく。

 探偵だけが読める機密文書、「探偵マニュアル」で削除された最終章には何が書かれていたのか、閉鎖されたカーニバルの黒幕は生きていたのか、解決したはずの大事件(博物館から盗まれた死体、3度死んだ男、火曜日が盗まれた事件)に潜む大きな落とし穴とは何か。以上、ダークファンタジイの枠組みで、犯人探しのミステリが書かれていて、ちゃんと犯人も判明する(だからミステリ界からも評価されたのだろう)。本書からは、レイ・ブラッドベリ(カーニバル)の他に、筒井康隆や夢枕獏との共通点が見えるし、レイモンド・チャンドラー、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』、『レ・コスミコミケ』や、フィリップ・K・ディックらの影響がある(著者インタビュー)が、本書がそれらの直接の類作/後継作とはいえない。ホラー味や奇想性が強いそれらと比べると、印象はずいぶんソフトだからである。キーワードは、雨傘と自転車。カルヴィーノでも、まずそのユーモアに惹かれたという著者の持ち味なのだろう。

 

2011/10/9

 2011年3月11日に発生した東日本大震災、及び福島原発のメルトダウンによる放射線災害は、ネットワーク時代という、これまでにない時代背景の下で、例を見ない影響を日本全土に与えてきた。本書はその意味(あるいは無意味)を、SF、とりわけ、日本/世界を巡る大災害を重要なモチーフとしてきた小松左京の著作を引いて問い直すものである。編集の過程で、小松左京の死(7月26日)があったため、追悼という意味合いも出てきた。

 序文・小松左京に始まり、「第一部 SFから3.11への応答責任」では、笠井潔による論説、笠井潔/巽孝之/山田正紀による座談会(「アトム」「大和/ヤマト」「ゴジラ」と3.11)、豊田有恒、スーザン・ネイピアによる論考。「第二部 科学のことば、SFのことば」では、瀬名秀明による随想、谷甲州/森下一仁/小谷真理/石和義之による座談会(『日本沈没』、小松左京と3.11)、八代嘉美、長谷敏司、田中秀臣、仲正昌樹、海老原豊による論考。「第三部 SFが体験した3.11」新井素子、押井守、野尻抱介、大原まり子、クリストファー・ボルトン。「第四部 3.11以降の未来へ」桜坂洋、新城カズマ、鼎元亨、藤田直哉。そして、結語・巽孝之に終わる。

 著作者は、編者・座談会出席者を含めて26名。このメンバーは、歴代日本SF作家クラブ会長(小松左京、豊田有恒、大原まり子、山田正紀、谷甲州、新井素子、瀬名秀明)と、ベテランの論客、笠井・巽、加えて、SFを含む論考などで活躍してきた若手批評家たち(作家クラブ未加入者を含む)である。この中で、注目すべきは、やはり第一部、第二部の冒頭に置かれた2つの考察だろう。1つは、戦艦大和の特攻とヤマト、原子力政策を象徴する「アトム」など、戦後のSF精神史と3.11を絡めた、笠井潔「3.11とゴジラ/大和/原子力」。もう1つは、単なる感情移入であるシンパシーよりも、感情も一体となるエンパシーがSFの立場では重要と説く、瀬名秀明「SFの無責任さについて――『3・11とSF』論に思う」である(被災地在住作家からのエッセイと断ってある。瀬名の近作がなぜ難解かの理由も書かれている)。八代嘉美と対称をなす立場とも読める。また、共に元会長だったが、原発に対する旧来の立場を全く変えない豊田と、厳しい反省を見せる大原の対照も際立つ。一方、SF関係者の座談会は結論が見えにくい(多様な見方の羅列になりがち)。ここは、各自の意見をパネル的に(個別の独立した論考に)、書き直した方が分かりやすかったと思われる。

 

2011/10/16

Amazon『時間はだれも待ってくれない』(東京創元社)

高野史緒編『時間はだれも待ってくれない』(東京創元社)


造形:coppers早川、デザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 副題が「21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作集」であり、10か国12編を収録している。東欧は、一般には旧ソ連圏の中部ヨーロッパを指すが、それを別にしても、独特の歴史と文化/幻想世界観=ファンタスチカを持った地域には違いない。30年前(ベルリンの壁崩壊の9年前)に深見弾が編んだ『東欧SF傑作集』の21世紀版でもある。

ヘルムート・W.モンマース「ハーベムス・パーパム」(2005):新教皇に非人類が選ばれるとき
オナ・フランツ「私と犬」(2005):末期的な日常の中で続く、ロボットと私との生活
ロクサーナ・ブルンチェアヌ「女性成功者」(2005):ロボットを夫に持ったある女性エクゼクティブ
アンドレイ・フェダレンカ「ブリャハ」(1992):チェルノブイリの汚染地帯で働く“けったくそ”と呼ばれる男
ミハル・アイヴァス「もうひとつの街」(1993/2005):現在の街と重なって存在するもうひとつの世界
シチェファン・フスリツァ「カウントダウン」(2003):ヨーロッパの原発を占拠した過激派たちの要求とは
シチェファン・フスリツァ「三つの色」(1996):ハンガリー/スロヴァニア間で起こった民族紛争下の市街
ミハウ・ストゥドニャレク「時間はだれも待ってくれない」(2009):万聖節にだけ甦る過去のワルシャワ
アンゲラ・シュタインミュラー「労働者階級の手にあるインターネット」(1997/2003):東独から届くメールの不気味さ
ダルヴァシ・ラースロー「盛雲、庭園に隠れる者」(2002):清朝の庭園に同化する者と皇帝との駆け引き
ヤーニス・エインフェルズ「アスコルディーネの愛」(2009):首都リガを流れるダイガワ河に現れた謎の船
ゾラン・ジヴコヴィチ「列車」(2005):がらがらの列車に乗り込んできた“神様”との問答

 それぞれ、オーストリア、ルーマニア(2作)、ベラルーシ、チェコ、スロヴァキア(2作)、ポーランド、(旧)東ドイツ、ハンガリー、ラトヴィア(ラトヴィア語からの翻訳小説は本編が初)、セルビア(ジヴコヴィッチ=ジフコヴィッチは、昨年9月に翻訳書が出た)からの作品である。モンマースの作品は、昔から欧米SFで根源的テーマとされる問題を扱ったもの(シルヴァーバーグ「ヴァチカンからの吉報」(1971)などが有名)。特にカトリックの国では捉え方の重みも違うだろう。ルーマニアからは“心が通い合わない”ロボットとの生活、ベラルーシからはチェルノブイリの現実、チェコは重厚な幻想世界、スロヴァキアはテロに揺れ動く不安定な見知らぬ明日を描き出す。一方ポーランドの失われたワルシャワと、東独の秘密警察に支配されたもう一つのドイツは過去の重みを象徴するし、ハンガリーとラトヴィアはファンタジイの深みを見せる。セルビアはまさに現代の寓話だろう。さて、この中で印象に残るのは、共に隠れた都市を描く「もうひとつの街」、「時間はだれも…」と、何とも得体のしれない恐怖を感じさせる「カウントダウン」、「労働者階級…」だろうか。日本人にとって明快なイメージの薄い“東欧ファンタスチカ”が、重訳以外で読めるという意義は大きい。

 

2011/10/23

Amazon『奇跡なす者たち』(国書刊行会)

ジャック・ヴァンス『奇跡なす者たち』(国書刊行会)
The Miracle Workers, 2011(浅倉久志編/浅倉久志・酒井昭伸訳)

装幀:下田法晴(s.f.d.)

 ジャック・ヴァンスは1916年生まれ。世界幻想文学大賞 生涯功労賞(1984)SFWAグランド・マスター賞(1997)を受賞、もう95歳ながら、2年前に回顧録を出版しヒューゴー賞を受賞するなど、まだ健在だ。ヴァンスの特異なところは、多くの英米作家(シルヴァーバーグ、ル=グィン、マーチン、シモンズなどなど)に非常に大きな影響を与えたスーパースターである点だろう。(ジャンルに多大なインパクトを与えた知られざる巨匠は、例えばジュヴナイルのアンドレ・ノートンや、時代は下るが英国SFのM・ジョン・ハリスンなど結構いる)。本書は、そんなヴァンスの信奉者である故浅倉久志が厳選したオリジナル・アンソロジイで、酒井昭伸が3編を新訳し完成させたものだ。

フィルスクの陶匠(1950):ある惑星で先住民が作る、見たこともない陶器鉢誕生の秘密
音(1952)*:救命艇が不時着した未知の惑星で、乗組員が聞いた“音”の正体
保護色(1953):未踏の惑星を地球化する探検隊と、阻止しようとする敵対惑星との果てしない生存競争
ミトル(1953)*:降りてきた地球の宇宙船から隠れて、その様子を探る異星人の視点
無因果世界(1957):過去・現在・未来の関係が確かでなくなった時代、野蛮化し滅びつつある人類
奇跡なす者たち(1958):異星に植民してから千余年、科学を忘れ去った子孫と先住民との覇権争い
月の蛾(1961):誰もが仮面をつけ歌を唄ってコミュニケーションする世界に、外星から犯罪者が紛れ込む
最後の城(1966):人類が労働を蔑み奴隷種族に依存する未来、その奴隷たちが大規模な反乱を起こす
*初訳

 見て分かる通り、これらは50年から60年代初め(優に半世紀前)に書かれた作品である。そのため、SF的な仕掛け自体は古めかしいものが多い。しかし、ヴァンスが描くのはアイデアだけではないのである。煌びやかな情景や、細部の肌理細かさこそがポイントだ。今読んでも、その点の新鮮さは少しも損なわれていない。例えば、「フィルスク…」の陶器の描写や、「月の蛾」の楽器に対する薀蓄は、他の作家に見られない特徴だろう。「奇跡なす者たち」と「最後の城」などは、同じアイデアで書かれているのに、ずいぶん印象が違う。小道具や人物描写を変え、前者はユーモラスに、後者は華麗にと、力技で描き分けた結果である。

 

2011/10/30

Amazon『あがり』(東京創元社)

松崎有理『あがり』(東京創元社)


Cover Illustration:toi8、Cover Desigh:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 第1回創元SF短編賞(2010年)受賞作家の、最初の単行本(連作短編集)となる。1972年生まれ、少数派の理系女子として東北大学理学部を卒業し、現在はコンテンツ制作会社のテクニカルライター兼デザイナーに従事している。2008年に第20回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補(『イデアル』)に残ったこともある。本書には、そういった著者の経歴や、一部趣味を生かした作品が収められている。舞台は北の街にある古い総合大学

あがり(『量子回廊』2010/7):遺伝子淘汰説を検証するため1つの遺伝子だけを増殖させたら(受賞作)
ぼくの手のなかでしずかに(『原色の想像力』2010/12):若返るため数学者の主人公が犠牲にしたもの
代書屋ミクラの幸運(2011/2):法規制後、論文が義務付けられた研究者相手に活躍する代書屋商売の明暗
不可能もなく裏切りもなく(2011/5):論文提出期限寸前、共同執筆を禁じられた研究者の下した決断
へむ(書下ろし):大学の古い地下通路に巣食う、“へむ”たちを救おうとする2人の子供

 本書の作品には、作品名と関係のない副題がそれぞれつけられている。例えば、表題作には Perfect and absolute blank(完全無欠の空白)とあり、これは著者の公式サイト名と同じもの。ルイス・キャロル「スナーク狩り」の一節であるという。その他、元ネタが分からないものも多いが、特に気にすることもないだろう。また、固有名詞が一切排され、英語のカタカナすらない(有名な学術誌が「自然」「科学」「細胞」などと書かれている)。登場人物の名前まで仮称だ。物語は北の街大学と、その中の研究室周辺に留まる。現実とは若干異なるものの、研究費を得るための苦労、博士号を持ちながら1年契約の不安定な生活、論文ノルマ制の悪弊(本書に書かれたほど厳しい制度はまだない)などなど、研究者の実情がほぼリアルに描かれている。本書の中では、一番の大ネタ「あがり」、ほろ苦いユーモア「代書屋…」、ファンタジックな「へむ」などが印象に残る。本物そっくりに見える、仮想“東北大学”を思い浮かべるには、5編まとめて読んだほうが良いだろう。