2014/1/5

上田早夕里『深紅の碑文(上下)』(早川書房)

Cover Direction & Desigh:Tomoyuki Arima
Digital Matte Painting:Shinichiro Miyazaki


 2010年に刊行され、第32回日本SF大賞を受賞した『華竜の宮』の続編。続編といっても、正編で示された舞台設定のうち、書かれなかったラスト40年間にフォーカスを合わせた姉妹編という扱いだ。正編を2割も凌駕する、1600枚を超える大作となった。

 25世紀、〈大異変〉の到来を予告された世界は、生き残るためにそれぞれの権益を確保しようと動き出す。陸上民は海洋からの資源奪取を強め、彼らの大きな反発を招く。これらは、やがて組織的な武力闘争へと発展し、対抗する海軍や民間警備会社との確執を増す。そんな中で支援団体の理事長は闘争組織と接触し打開を図ろうとするが、思わぬ障害が次々と発生する。その一方、人類滅亡の危機を超える希望として、外宇宙に宇宙船を派遣する計画が持ち上がる。そこで打ち上げられるのは、遺伝情報のみを運ぶ無人の宇宙機なのだった。

 正編では500年という時間の流れ、その間の白亜紀並み大海進(平野にあった都市はことごとく水没)、人類の生物的/遺伝子的な改変(魚舟、獣舟など亜人類の誕生)、そして気象激変による全地球凍結の危機(地球規模の火山活動による極端な気温低下)と、これらが読み手を幻惑するスケールで書かれていた。それだけに、描かれた人物が十分に活躍できたかというと、やや物足らない部分があったといえる。
 一転して、本書は群像劇である。前作にも登場し、官僚から難民支援組織の理事長に転身した主人公、医者を志すが途中から武力闘争のリーダーとなる海上民、逆境の中で人類の遺伝情報を宇宙に送り出そうと奔走する技術者らと、それを取り巻く無数の人々の物語だ(短編「リリエンタールの末裔」の、飛ぶことに執念を燃やした男も再登場する)。物語は最後に収斂するが、それぞれ独立した一つの筋書きの元に描かれる。どの人物も、さまざまな外圧を受けながら自身の立場や考え方を終始変えず、最後まで貫き通すというその生き様が非常に印象的だ。

 

2014/1/12

 牧眞司選による、篠田節子のSFベスト短篇集である。篠田節子はデビュー作『絹の変容』(1990)以来、そのSF的手法が注目を集めてきた。とはいえ、直木賞を取り(1997)活躍の場を広げた現在では、SFとして作品がクローズアップされる機会は少なく、あえてSFを掲げたコレクションともなると今回が初めてになる。

 「小羊」(1995):外の世界を見たことのない“神の子”が知る自分たちの運命
 「世紀頭の病」(2000):20代後半の女性だけに蔓延する急激な老化は、やがて思わぬ波紋を広げる
 「コヨーテは月に落ちる」(1997):仕事に明け暮れた主人公がさまよい込む迷宮と化したマンション
 「緋の襦袢」(1994):巧みな詐術で世を渡ってきた老女は、ついに行き場をなくしていたが
 「恨み祓い師」(2002):世を恨みながら、あり得ない年月を同じ外見のまま生き続ける老いた母と娘
 「ソリスト」(2004):気まぐれで有名なロシアのピアニストの舞台は、異様な何ものかを召喚する
 「沼うつぼ」(1993):能登の海とつながる池には、他では獲れない希少な魚が棲む
 「まれびとの季節」(1999):太平洋の孤島で起こる、正統な宗教と土着宗教との騒動
 「人格再編」(2008):手の付けられない悪罵を放つ老人の性格が、高名な人格者に書き直されたとき
 「ルーティーン」(書下ろし):震災を機に過去の人生を変えた男が、捨てたはずの家庭に舞い戻る
 「短編小説倒錯愛」(1998):自身の小説観を語るエッセイ
 「SFは、拡大して、加速がついて、止まらない」(1999):SFセミナー'99での山岸真によるインタビュー

 「小羊」はカズオ・イシグロに先行するアイデアで書かれたSF、それが「世紀頭の病」では皮肉さが増し、「コヨーテ…」で幻想風味が強まり、「緋の…」はユーモア、「恨み…」「ソリスト」は小松左京的な時間スケールを伴うホラー、「沼うつぼ」「まれびとの季節」では社会批判、「人格再編」「ルーティン」となると人が生きる基盤のもろさが明らかになる。これら一連の流れで、篠田節子の全貌が分かる仕掛けだ。SF短篇集という意味では、『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』の方が収録作のSF密度が高いといえるかもしれない。しかし、本書の場合、広がり(パースペクティヴ)を俯瞰することができる点が優れているだろう。

 

2014/1/19

瀬名秀明『月と太陽』(講談社)

装画:中島梨絵、装丁:鈴木久美(Next door design)


 『希望』(2011)以来の、瀬名秀明最新短篇集。一般小説誌に発表されたものばかりだが、作品の雰囲気自体は前作の「SF短篇集」と変わりがない。間もなく、連作集の『新生』(河出書房新社)も出る。

 「ホリデイズ」(2011):作家と新米教官が小型飛行機で飛ぶ、もう一つの震災後の世界
 「真夜中の通過」(2012):制御不能になっていた小型衛星を追いかける大学院生の転機
 「未来からの声」(2012):タイムマシンで、未来から自分めがけて送られてくるメッセージとは
 「絆」(2013):繰り返される日食を契機に、さまざまな双子たちが奏でる、絆=つながりの物語
 「瞬きよりも速く」(2013):ネットワークに放たれた、あるプログラムのふるまい

 本書の短編にはいくつかの趣向があって、「未来からの声」は星新一(ノックの音がした、で始まる)、「瞬きよりも速く」はブラッドベリ(標題と、サーカスで出会うマジシャン)へのオマージュとなっている。「絆」は、結合双生児を月と太陽が重なり合う日食になぞらえる。それをとりまく人々もまた双生児であり、語り手の主人公の双子の兄の名が健一(ケンイチは別の作品に登場するロボット)というなど、非常に多くの要素を組み込んだ物語だ。饒舌/説明調ではないが、相変わらず著者の作品は、詰め込まれた情報量の多さで読者を幻惑する。そして、これら作品の背後には、東日本大震災の影が色濃く横たわっている。

 

2014/1/26

 著者の、紙版としては6年ぶりの長編(電子書籍では何作か出している)。NOVAコレクションの一環ながら、アンソロジイ収録作とは関係のない新作書下ろしとなる。評者は図子慧の良い読者とはいえないが、本書は既存作とは大きく雰囲気を変え、ハードボイルドなアクション小説となっているようだ。

 暴風雨の中で、水没の危険にさらされる子供たちから物語は始まる。何年かの後、そこから逃れた少年は暗殺者となって再登場する。女性のような外観と驚くべき身体能力を持ち、しかし、善悪を判断する倫理観は持たない。厳重に隔離された地下室、情報を隠ぺいする多国籍企業、彼の出自にはどんな秘密が隠されているのか。

 舞台は近未来の日本。社会には外国人移民が一定数入り込み、警察や会社など社会の一翼を担っている。ネット社会は現代の延長上にあり、暴力団もサイバー武装している。そこで変異したウィルスによる汚染事故が発生するが、大企業は財力で事件を封じ込めている。子供を実験台にして治癒を研究する母親、財団の理事長と天才ハッカーの息子、暴力団の幹部と麻薬漬けのサイバー部隊、そして主人公に惹かれる若い刑事などなど、多数の人物が主人公を取り巻いている。ロシアの血を引く主人公は、格闘技の動きですら蠱惑的で、男女を問わず悩殺される。表題通りのアンドロギュヌスなのだ。この人物には、どこかヴァンパイアを思わせる危険な魅力がある。全編800枚余、広がった伏線のまとめも良く、ちょうどバランスが取れた好編といえる。