2019/5/5

ジョージ・R・R・マーチン『ナイトフライヤー』(早川書房)

ジョージ・R・R・マーチン『ナイトフライヤー』(早川書房)
Nightflyers and Other Stories,1985(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:鈴木康士、カバーデザイン:早川書房デザイン室

 エミー賞累計最多受賞ドラマ《ゲーム・オブ・スローンズ》の原作者にして脚本、プロデューサーまでを手がけた著名作家にしては、マーチンの新刊入手可能な作品は同シリーズ以外ほとんどない。シリーズの印象があまりに強すぎて、毛色が違う『サンドキングズ』とか『タフの方舟』、あるいは《ワイルド・カード》に人気が出ないせいだろう。本書も表題作のNetflixドラマ化がらみだが、既存短編集に収録されていない初期の大物が読めるという点が貴重だ。

 ナイトフライヤー(1980):遥か古代から宇宙を渡る謎の生命体ヴォルクリン、それを追う宇宙船ナイトフライヤーの9人の乗組員たちに奇怪な現象が襲いかかる。オーバーライド(1973)*:ゾンビを操り鉱山で原石を掘る主人公は、地下の採掘場で思わぬ事態に陥る。ウィークエンドは戦場で(1977)*:レジャーとして設けられた戦場だったが、主人公は同僚との現実的な関係から逃れられない。七たび戒めん、人を殺めるなかれと(1975):ピラミッドを崇める原住民を、力づくで排除しようとする宗教的カルト集団の顛末。スター・リングの彩炎をもってしても(1976)*: 時空をつなぐゲートは、維持するために膨大なエネルギーを必要とする。そこで新たな実験が試みられるが。この歌を、ライアに(1974):人類よりも古い異星の文明は長期にわたって停滞しているようだった。しかしそこに広まる宗教には、人類までが帰依する力があるらしい。
 *:初訳、これ以外もすべて新訳。

 表題作(翻訳は雑誌掲載時と異なる改稿版に基づく)と「この歌を、ライアに」が長中編(ノヴェラ)に相当する。前者はローカス賞、後者はヒューゴー賞受賞作である。「七たび……」と併せて未来史《一千世界》に属する作品だ。訳者解説によると「ウィークエンド……」を除くこのほかの作品もシリーズ化予定だったものが多い。数作で途切れ、続いていないだけだ。1971年デビューのあと、最初期からまず物語の設定を大きく創って、複数の作品で埋めていく手法を模索していたのかもしれない。

 相変わらずというか、初期作のころからキャラクタ造型を物語に生かすテクニックが巧い。表題作では、姿を現さない宇宙船のオーナー、ヴォルクリン追跡に執念を燃やす老科学者、遺伝子強化された強靭な女性乗組員、神経質で線の細いテレパスなどなどが船上で起こるホラー風事件と絡み合う。他の作品でも、叛骨だが気の優しさが徒となる山師や、自分のふがいなさを嘆く凡人、詩人と科学者の感性の対比、異星の宗教に惹かれていくテレパスが幻視するものと、人物の個性を描くだけでなく、情動の揺らぎを収れんさせながら結末へと導く描写力に感心する。

 何しろ、集中一番新しい「ナイトフライヤー」でも40年前の作品である。当時からは社会背景、テクノロジー、倫理感すら大きく変わった。しかし、古さを感じさせる作品がないのだ。70年前のヴァンスを読んで古いと思う人は少ないが、それに近いエキゾチックさ、ヴィンテージの味わいが出ているのかもしれない。


2019/5/12

宮内悠介『偶然の聖地』(講談社)

宮内悠介『偶然の聖地』(講談社)

装丁:川名潤

 この作品は、講談社の文庫版雑誌「IN★POCKET」で、2014年11月から同誌が休刊する18年8月まで、都度5枚半という短い枚数で46回にわたって連載されたもの。最後の4章(全体は第1部と2部に別れ、合計50章ある)と300に及ぶ注釈は新たに書き下ろされた。併せて400枚弱になる。そのあたりの経緯は、本書のカバーを外した表1に書かれているのでお見逃しなく。

 物語では4組の登場人物が描かれる(他にも多数出てきて、途中で入れ替わる)。わたしと友人のジョンは、行方不明だった祖父の落とし子が住むというイシュクト山の麓を目指す。レタとファナはスペイン出身のバックパッカーで、カシミールのパキスタン側から川下りするとき、偶然イシュクト山を目撃する。泰志とロニーは世界医である。世界を混乱に陥れる「旅春」が引き起こす不具合を修復する役割だが、イシュクトが関係する世界医会長の死による異常事態に巻き込まれる。ルディガーとバーニーは刑事である。わたしの家で発見された不可解な死体を捜査するうちに、わたしを追ってなぜかイシュクトに行きつくことになる。

 元帰国子女かつ辺境を旅するバックパッカーにしてITエンジニア、大学ではワセミスに所属しプロ雀士を目指したこともある。そんな規格外の経歴とは裏腹に、著者は何事も計画的に進める性分であるらしい。リスクが多い環境で生きるためには、ノープランは避けた方が賢明と学んだのだろう。ところが、本書は宮内悠介が初めて無計画に書き進めた長編小説なのである。いつ終わるかも知れず、細切れ過ぎるので全体の見通しを立て難かったからだ。結果的に、西はシリア東はパキスタン(あまりにも大雑把)からしか入れない謎の山イシュクト、チベットの秘密宇宙基地にある宇宙エレベータ(郝景芳の「弦の調べ」みたい)、世界に生じたバグをデバッグする世界医、オブジェクト化・階層化された物語の構造と、先が全く読めない設定の組み合わせをフリーに書いたらいったいどうなるのか、という実験小説になった。

 ある人物が上記登場人物2組の小説を書く、その書かれた登場人物がまた別の登場人物の小説を書く。そういうメタフィクションの構造が、物語の中ではプログラムのオブジェクト図で説明される。複層的な入れ子構造になっているわけだが、軽妙な会話をベースに進むため難解とまでいえない。注釈も小説内容の説明というより、本来の筋書きと無関係な自身の記憶(8bitマイコン時代からゲームに入れ込んだこと、独特な慣習が渦巻く中央アジアの旅、プログラマ時代の理不尽な経験などなど)の断片になっている。簡略化された小説本体を豊かにする、枝葉のような役割を担っている。

 結局のところ、この物語は世界医の概念、世界に対する世界医的解釈に収斂していく。非実在であることとはすなわちバグなのか。しかし、何がありえないバグなのか、リアルな仕様なのかは定かではないのである。


2019/5/19

柴田勝家『ヒト夜の永い夢』(早川書房)

柴田勝家『ヒト夜の永い夢』(早川書房)

カバーデザイン:早川書房デザイン室、カバーイラスト:タカハシ ヒロユキミツメ

 原稿用紙換算千枚を越える、著者の新作書下ろし長篇である。主人公は南方熊楠で、世評の通りの豪放磊落な人物として描かれる。最初は横田順彌の押川春浪もの(天狗倶楽部)を思わせるが、しだいに物語のトーンはダークなものへと変質していく。

 1927年、熊楠は千里眼事件で面目を失った福来友吉の誘いを受け、昭和考幽会なる秘密の会合に招かれる。そこでは昭和天皇の即位に合わせて自動人形を製作し、お披露目することが提唱される。それはパンチカードを用いた自動装置と、熊楠得意の粘菌を組み合わせた画期的なものだった。粘菌が思考を司る人形は、知能の高さから天皇の補佐たる天皇機関、また可憐な外観から少女Mと名付けられる。

 南方熊楠は1867年生まれ、2年前に生誕150周年を迎えた(著者とは120年違い)。天才と呼ばれ、英米を遊学し菌類の研究で名を馳せるが、一切の学位を取らず大学などの官職にも就かなかった。独特の哲学観を持ち、エコロジー思想の先駆者でもあるが、一つのことに集中するのではなく自由連想的に広げていくような(畳まない、収束しない)性格であったらしい。ある意味、小松左京的な人だったのだろう。物語は虚実入り乱れて進む。60歳だった1927年(昭和2年)に始まり、1932年65歳、35年67歳、41年に亡くなるまでが描かれる。晩年の熊楠を取り上げたことになる。

 本書の登場人物は、大半が実在し昭和ゼロ年代/十年代に活躍した。カバーの登場人物一覧にもあるが、江戸川乱歩、西村真琴(筆記ロボット学天即の製作者)、岩田準一(男色研究科)、佐藤春夫、宮沢賢治、北一輝(2.26事件の思想的指導者)、石原莞爾(日中事変の黒幕)らで、やがて、粘菌予言機械を政治利用したクーデター事件へと結びついていく。昭和十年代は、翼賛政治による全体主義化、日中戦争の拡大と一気に時代は暗転するが、そういう雰囲気が流れるようになるのだ。そこが〈天狗倶楽部時代〉と〈昭和考幽会時代〉との大きな違いになる。出てくるのは歴史に名を遺す有名人ばかりだ。千枚の中とはいえ、ちょっと多すぎるかもしれない。

 さて、本書は『ヒト夜の永い夢』という表題で、主人公が夢みた場面で始まる。物語中でも、夢見た世界は実在する現実の一つと説く。これはもともと江戸川乱歩の考えなのだが、物語の中では熊楠と乱歩がともに議論を闘わせる。著者はこれを、熊楠の根本にある東洋哲理と共鳴し合うテーマにしているのだ。


2019/5/26

マレイ・ラインスター他『最初の接触 伊藤典夫翻訳SF傑作選』(早川書房)

マレイ・ラインスター他『最初の接触 伊藤典夫翻訳SF傑作選』(早川書房)
First Contact and Other Stories,2019(高橋良平編/伊藤典夫訳)

カバーデザイン:早川書房デザイン室

 2016年12月に出た『ボロゴーヴはミムジイ』に続く、伊藤典夫翻訳SF傑作選である。今回は宇宙編として7作を収録する。中では「キャプテンの娘」が原稿用紙換算150枚の中編で、他は80枚未満の短編になる。

 マレイ・ラインスター「最初の接触」(原著1945/翻訳1964)かに星雲にあった超新星の爆発痕を探査する恒星間宇宙船が、異星の宇宙船と初めて接触する。そこで下される決断とは。ジョン・ウインダム「生存者」(1952/64)火星に向かう貨客船で事故が発生する。救難には時間がかかるが、船内に残された食料には限りがあった。ジェイムズ・ブリッシュ「コモン・タイム」(1953/64)光速を超えるオーヴァードライヴの実験で、宇宙飛行士の主人公は時間の異変を知ることになる。フィリップ・ホセ・ファーマー「キャプテンの娘」(1953/68)厳格な宗教で知られる星からやってきた宇宙船で、乗組員が一人行方不明となる。船長には娘がいたが、主人公はその娘に惹かれていく。ジェイムズ・ホワイト「宇宙病院」(1958/65)宇宙空間に設けられた巨大な宇宙病院では、あらゆる異星種族の治療が行われる。折しも恐竜型生物が運ばれてくるが。デーモン・ナイト「楽園への切符」(1952/65)火星で発見されたゲートを経て、主人公は無限の別世界へと足を踏み入れる。ポール・アンダースン「救いの手」(1950/67)戦争で疲弊した二つの世界。一つは地球からの援助を全面的に受け入れ繁栄し、もう一つは全く受けずに厳しい復興を強いられる。

 SF用語の語源でもある「最初の接触」以外は1950年代の作品(ゼロ年を含む)、翻訳はすべて60年代である。この中では「コモン・タイム」「キャプテンの娘」「宇宙病院」「救いの手」は初単行本/文庫収録となるが、単行本収録作を含めても現在では入手困難だ。コレクターが減ったのか(亡くなったのか)、古いSFマガジンが安く出回るようになっている。この時期のものは、本で探すより直接SFマガジンを集める方が手軽かもしれない。

 「最初の接触」はファースト・コンタクトものの嚆矢とされる作品。評者が最初に読んだころ(リアルタイムではない)は、野蛮で非現実的と思ったのだが、今また「文明の衝突」(二つの異なる文明が接触すると、他方を征服する覇権争いが必ず生じるとする)が平然と唱えられる状況を見ると、人類は所詮そういう野蛮な生き物なのかも、と思ってしまう。「生存者」は宇宙のサバイバルもの。ある意味、当時の常識を逆手にとったアイデアだ。「コモン・タイム」はオーヴァードライヴ(ワープ航法)に伴う時間を扱う。ハードSFというより認知の変容に近いものだろう。「キャプテンの娘」は性を絡めたSF。今となっては、ファーマーのどこにモラル的な問題があるのか、分かり難いかもしれない。病理ミステリとして素直に読める。「宇宙病院」は、バーンズやヴァンスなどの宇宙ハンターもののバリエーションとみなせる。「楽園の切符」はポールの『ゲイトウェイ』や、シモンズの《ハイペリオン》に出てくるゲートにつながる作品。「救いの手」はマーシャル・プランなど、アメリカによる戦後復興支援政策(多額の援助のかわりに、相手国の固有文化に汚染をもたらす)を皮肉ったもの。これは今でも通用するし、人間は何も変わっていない。

 翻訳からすでに半世紀を超えたものばかりが収められている。前回も書いたが、本書は(何も知らない人が基礎知識取得に読む)予習用ではなく、(既にある程度のSF読書経験がある人が)復習用に読むと面白い。最新SFとの変化点、あるいは変化していない点を知ることができる。