2019/7/7

ベッキー・チェンバース『銀河核へ(上)』(東京創元社) ベッキー。チェンバース『銀河の核へ(下)』(東京創元社)

ベッキー・チェンバース『銀河核へ(上下)』(東京創元社)
The Long Way to A Small, Angry Planet,2014(細美遙子訳)

カバーイラスト:K.Kanehira、カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1985年米国生まれ、LGBTの作家でもある。2014年に本書を自費出版する際に資金をクラウドファンディングで集め(大規模なものではないが)、作品は高評価を得てプロ出版にも成功、その後人気シリーズ《ウェイフェアラー》(旅人の意。現在3作目まで書かれ、今年のヒューゴー賞ベストシリーズ部門の候補作)として続いている。

 宇宙船ウェイフェアラーは、銀河宇宙でワープ航法の航路を拓く「トンネル」工事業者だ。中小ながら堅実な実績を誇る。乗組員はさまざまな種族から成る混成チーム、若い事務員がメンバーに加わり賑やかになった。そんな彼らに思いも寄らない高額のオファーがくる。これまで立ち入りが禁じられていた銀河核、異種族の侵入を阻む交戦地域での難工事だ。

 遠い未来、地球は失われ、人類は火星などの外惑星の一部と、移民船の子孫だけが生き残っている。そのかわり彼らは銀河共同体(GC)への参加を許され、銀河文明の恩恵を受けることができた。ウェイフェアラーの乗組員は9人だ。船長(男)、機械技師(女)、IT担当(男)、燃料の精製に必要な藻類学者(男)、事務員(女)が人類。パイロットは羽毛を持つ爬虫類に似た異星人(女)、6本足の両生類風の医師兼シェフ(両性)、アイスブルーの毛に覆われた霊長類のようなナビゲータ(男)、擬人的なAI(女)である。人類が5人を占めるが、出自や経歴、船に乗る動機はばらばら。男女の区別には意味があって、それぞれ種族間を越えた恋愛感情が描かれるのである。

 異形の生物たちが多数登場する。しかし、彼らはすべて人間的な感情を持ち、人間的な打算で動く。見かけは違っても人間なのだ。著者の意図が、人種・民族・宗教・性別・外観・社会階層・貧富の差・障害の有無などなどの差別に対するアナロジーであることは明らかだろう。

 この物語は長編なのだが、一話ごとに小さなエピソードが完結するTVシリーズのように書かれている。各登場人物たちの秘密がしだいに明らかになり、思わぬ事件が発生してメンバーの団結を高めていく。山あり谷ありのジェットコースターではなく、むしろフラットなのだ。読めば読むほど、登場人物に共感していける構成といえる。


2019/7/14

ギョルゲ・ササルマン『方形の円 偽説・都市生成論』(東京創元社)

ギョルゲ・ササルマン『方形の円 偽説・都市生成論』(東京創元社)
CUADRATURA CERCULUI:FALS TRATAT DE URBOGONIE,1975(住谷春也訳)

装画:野又穣〈Skyglow-V20〉2008、装幀:山田英春

 著者は1941年ルーマニア生まれの作家。もともとの専門は建築・都市計画で、その傍ら書かれた本書は1975年に出たが、検閲のため10編が省かれていたという。完全版は92年のフランス語版、その後スペイン語やドイツ語版も出た。特にスペイン語版はル=グイン(本書での表記)の興味を引き、自ら翻訳した英語版が(抄訳ながら)2013年に出ている。本書は36の都市をすべて含むルーマニア語原典からの完訳版である。

 七階層から成る格差市=ヴァヴィロンから都市は始まる。巨大なドームで密封された原型市、名のない大陸さえ凌駕する・・・・・、起点も終点もない巨大な塔に似た垂直市、人類の姿さえ変わる海中市、完璧に同一の地区から成る等質市、果てしのない奪い合いのつづく戦争市、ひたすら拡張する自動機械のモーター市、自身が宇宙の中心ではないと気が付いた宇宙市、円環状の通路の果てにある円いホール貨幣石市、惑星の全表面を覆う立体市、夜にだけ活気を取り戻す夜遊市、山頂にそびえる謎の山塞市などなど。そして、誰もいないのに塵ひとつない奇妙な秘儀市で終わる。

 ルーマニアの作家というとエリアーデが有名だが、SF周辺の作家ではあまり紹介がない。昔出た『東欧SF傑作選』『時間は誰も待ってくれない』などで数編があるくらいだろう。そんな中で、本書はカルヴィーノ『見えない都市』(1972)とほぼ同時期に書かれた、異色の架空都市幻想譚である。36の掌編からなる構成もよく似ている(『見えない…』は50都市)が、著者は79年に翻訳が出るまでカルヴィーノの同作を知らなかった。実際、幾何学的シンボルを配し、物理的なイメージを伴って描写される都市の姿は(現実に可能かどうかは別にして)著者独自のものだろう。

 本書の副題は、建築士という著者の本業を意識したものとなっている。ただし、自身が書いた解題の中で「都市と建設はただの口実で、本当の主題は人類の道程である(大意)」とあり、もっと壮大なSF的ヴィジョンが背後に潜んでいる。歴史や人類、戦争、進化などが小さなエピソードの中で何度も論じられている。

 ル=グインは2003年に『なつかしく謎めいて』という作品を書いた。都市ならぬ次元を旅する話だが、その次元ごとに見知らぬ異世界と接する。異界の文明、異界の風景は旅人を魅了する。ル=グインは本書の中に、同様のものを見出したのかもしれない。


2019/7/21

フレドリック・ブラウン『フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ』(東京創元社)

フレドリック・ブラウン『フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ』(東京創元社)
From These Ashes: The Complete Short SF of Fredric Brown,2001(安原知見訳)

Cover Illustration:丹地陽子、Cover Design:岩郷重力+W.I

 創元推理文庫SFマーク(現在の創元SF文庫)の第1弾が『未来世界から来た男』(原著1961/翻訳1963)だった。それ以前でも、サスペンス扱いで『スポンサーから一言』(1958/61)などがあったので、日本ではSF翻訳小説の黎明期からよく知られていた作家といえる。《エド・ハンター》ものなどミステリ長編も多数訳されたが、シェクリイと並ぶしゃれた短編小説の名手、ショートショートのお手本として人気が高かった。

 しかし、1960年代半ばに執筆活動を休止し72年65歳で亡くなると、アメリカでは急速に忘れられていった。日本でも、死後半世紀を経て大半の著作、特に短編集は(『さあ、気ちがいになりなさい』など)一部を除けば新刊入手できない状態だ。本書は、アメリカの老舗ファングループNESFA(ニュー・イングランドSF協会)による短編全集を底本としている。いわばファン出版なのだが、研究書や歴史的価値のある作家の選集を出す定評ある出版社でもある。

 最後の決戦(1941)*1:人類の運命を左右する事件は、意外にも地方都市のショーでおこる。いまだ終末にあらず(1941)*2:異星人は地球人類の危険性を見極めようとしていた。エタオイン・シュルドゥル(1942)*1:ある最新の自動鍛造植字機が、思いがけない動作をするようになる。星ねずみ(1942)*3:博士の打ちあげたロケットには、実験用に小さなネズミが乗せられていた。最後の恐竜(1942)*2:滅びゆく恐竜の時代、残された最後のティラノサウルスの運命。新入り(1942)*4:神々に操られた男は、犯罪の衝動を抑えるために葛藤する。天使ミミズ(1943)*1:結婚を控えた男が、ありえない事件の連続で精神を病む。帽子の手品(1943)*1:手品を強要された男のみせたものとは。ギーゼンスタック一家(1943)*2:娘はプレゼントに人形の一家を得るのだが、以来奇妙なできごとが重なる。白昼の悪夢(1943)*3:カリストで殺人が発生、警部補は目撃者の証言がまったく食い違うことに気が付く。パラドックスと恐竜(1943) *5:講義中に一人の学生がタイムマシンと称する空間に迷い込む。イヤリングの神(1944)*6:ガニメデを調査した探検隊は、原住民のイヤリングのような装飾品に注目するが。
*1『天使と宇宙船』*2『未来世界から来た男』*3『宇宙をぼくの手の上に/わが手の宇宙』*4既訳あり単行本未収録 *5『SFカーニバル』*6『スポンサーから一言』

 全集はもともと1冊で、全部で111編が執筆順に並べられている。翻訳版は全4巻の分冊となり、本書には12作を収録する。数が少ないのは、比較的長いもの(中編3作「星ねずみ」「天使ミミズ」「白昼の悪夢」)が含まれるためだ。その一方、20枚足らずのショートショートもある。既訳作品が大半だが、すべて新訳である。

 ブラウンは作家になる前、自動鍛造植字機(ライノタイプ)のオペレータをしていた。活字を1文字づつ人手で拾うのではなく、機械が1行分(ライノの意味)を自動的に鍛造するのだ。この機械は、活版印刷を行う印刷所にならまだ残っている。本書の中では、それらが超自然的な力を持つようになる。少し前までのコンピュータ、今ならAIに相当する存在だろう。ブラウンは言葉を紡ぎだす=人の運命を決めるものと考えて、さまざまなアイデアに応用した。

 本書の作品を、評者は主に中学生の頃読んだ。「天使ミミズ(ミミズ天使)」は、こんな謎解きがありなのか!と、とても吃驚したものだ。いま改めて読み返すと、細かい中身はともかく(意外な)オチの大半は憶えている。それだけ印象が強かったのだろう。既に古びたものもあるものの、原点はすべてここにあるのだ。


2019/7/28

澤村伊智『ファミリーランド』(早川書房)

澤村伊智『ファミリーランド』(早川書房)

装幀:受川ミドリ、装画:mieze

 第22回日本ホラー小説大賞(2015)を受賞した澤村伊智によるSF連作短編集。SFマガジン2017年6月号から、不定期に掲載された5短篇に書下ろしを加えた6作品を収める。それぞれの作品に関連性はないが、家族をテーマとしている点がポイントだろう。

 コンピューターお義母さん(2017/6):老人ホームにいる義母は、タブレットを介して何かと家庭内の問題に口を出してくる。翼の折れた金魚(2017/10):計画的な子ども作りが主体となった時代、主人公は無計画児に対する嫌悪を隠せない。マリッジ・サバイバー(2018/2):結婚しないと出世に関わるとサイトに頼った主人公は、理想のパートナーと出会ったと思ったが。サヨナキが飛んだ日(2018/10):不幸な家庭で育った主人公は、一人娘が翼を持つ医療ロボットに頼り切る態度に反感を抱く。今夜宇宙船の見える丘に(書下ろし):時に認知症の症状を示す老父は、突然宇宙船が見たいと言い出す。愛を語るより左記のとおり執り行おう(2018/12):売れないディレクターの主人公は、古風な葬式を希望する一家のドキュメンタリーを計画する。

 物語の設定は、(明示されてはいないが)21世紀後半から22世紀にかけての時代のようだ。タブレット、デザイナーベイビー、マリッジ相性サイト、家庭用ロボット、安楽死サービス(に類するもの)、VRと、本書で描かれた未来は、どちらかといえばいまのテクノロジーの延長線上にある。その背景には、遠隔地に住む親の介護、外見による差別、婚活、ひきこもりやニート、在宅介護、様式化した葬儀と、現代家族の問題点が明確に顕れている。

 20世紀末頃のさまざまな音楽を連想する作品名だが、物語の中身は曲とはあまり関係なく、すこしダークな雰囲気で書かれている。ホラーの超自然的な存在が現れない代わりに、テクノロジーの生んだガジェットがその役割を果たしているのだ。本文中に「十分に発達した科学技術は、技術にも魔法にも見えない。ただの手段にしか見えない」とあるが、日常にある道具=手段がごくふつうの家族に暗黒面をもたらす。

 本書の中では「愛を語るより…」が、100年後に20世紀風葬式を再現する家族のコメディとして面白い。家庭内にある電子機器は数年サイクルで大変化していくし、社会環境も十年たてば変わるが、人間の感情は簡単には変われない。そういう悲哀が込められているようだ。