2018/9/2

名倉編『異セカイ系』(講談社)

名倉編『異セカイ系』(講談社)

デザイン:篠原香織(ビーワークス)

 第3のゲンロン系新人作家による第58回メフィスト賞受賞作である。メフィスト賞の受賞作は、内容に応じて出版レーベルが異なる(新書の講談社ノベルズ、文庫のタイガ、単行本のこともある)のだが、本書は《講談社タイガ》から出ている。

 主人公はアマチュアの作家、小説投稿サイトに作品を発表しそれなりの人気を得ている。ところがある時、自分が小説世界に転移したことに気が付く。その世界の中では、自分は創造者であり神様なのだ。しかし、なぜ転移できたのか、この状態は維持できるのか、突然現れる黒い穴は何なのか、他の作家の作品はどうなっているのか、物語で生きるキャラは意志を持ち得るのかなど、さまざまな謎の解決を迫られる。やがて、何者かから「作者への挑戦状」が送られてくる。

 ヤングアダルト向け小説も、時代によって流行を変えてきた。いまは、異世界に転移した主人公が、自分の特殊スキル(オタク的知識から、工学や経理の知識など)で世界制覇するという「なろう系」が一大ジャンルを築いている。ところが、表面的な異世界の仕組みは書かれていても、どういう必然性があって世界が成り立つのかまで、深く切り込んだ作品は(たぶん)ないだろう。こういう「ラノベを哲学する」問題に踏み込んでいるのが本書のユニークさになる。

 表題の『異セカイ系』とは、21世紀初頭(15年くらい前)のラノベで流行ったセカイ系と、なろう系の異世界とをリンクさせた言葉だ。むかしのセカイ系ではセカイは現在の世界や宇宙だったわけだが、今のなろう系の世界はまったく実在しないファンタジイの世界である。しかし、そこに作者が紛れ込んだ瞬間から、実在するセカイの一部になってしまう。ふつうに書けば理屈だけで退屈な話を、ラノベのキャラ小説としても成り立たせた点は評価すべきだろう。


2018/9/9

ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』(竹書房)

ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』(竹書房)
The Dragon Griaule,2012(内田昌之訳)

カバーイラスト:日田慶治、カバーデザイン:坂田公一(welle design)

 ルーシャス・シェパードは、クリストファー・プリースト、サミュエル・ディレイニーらと同年代の作家だ。とはいえ、サイバーパンクなど何らかのムーヴメントに属したわけではない。80年代後半にハヤカワや新潮社などで初期作が翻訳され人気を得たが、その後紹介の機会は減る。2014年に71歳で亡くなったこともあり、もはや翻訳は出ないと思われていた。著者唯一のシリーズ《グリオール》の刊行は快挙といえる。

 表題作は1987年にSFマガジンに掲載され話題になったもの(新潮文庫の『ジャガー・ハンター』や、ハヤカワ文庫『80年代SF傑作選』にも収録)。田中啓文が「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」というオマージュ作品を書いたほどである。本書は改訳版だが、ノヴェラ(長中編)2作を含む前半の3作は、その人気もあって30年近く前に既に翻訳されていた。最後の4作目が初訳になる。さらに著者による作品解題や、おおしまゆたか(翻訳家大島豊)による24ページに及ぶ詳細な解説も付いている。

 竜のグリオールに絵を描いた男:はるか昔に魔法使いと戦い動けなくなった巨竜グリオールは、長さ1マイルの巨体の上に森ができ湖ができるほど歳を経ていた。しかし、グリオールは未だに生きており、近在に住む人々を操るといわれている。あるとき一人の男が巨竜に絵を描くことで、竜を殺せると申し出る。鱗狩人の美しき娘:人に追われてグリオールの口から体内に入った女は、そこに住む種族に囚われ、奇怪な竜の内臓を巡る旅をする。始祖の石:竜を信奉する教祖が殺される。犯人は娘を宗教に奪われた父親だった。その行為に情状酌量があるのか、何か隠された裏があるのか。弁護人は娘に蠱惑されながら思い悩む。嘘つきの館:ある日、男はグリオールの上を舞う竜を目撃する。竜は一人の女に変化して、男と同棲するようになる。女の目的は何なのか。

 グリオール自身は動くことができない。あまりに大きいために、姿は自然の風景と見分けがつかない。それでも、竜は生きている。人々の根源に潜む竜への恐怖心を乗り越えるのは、竜の鱗や副産物で儲けようとする人間の浅ましい欲望だけなのである。そんな卑しい思い自体が、竜の影響下にある証拠かもしれない。本書では人の欲(金銭欲、性欲、名誉欲)が渦巻く。これが登場人物たちの自由意志なのか、竜の(他者に洗脳された)意志なのかが一つの大きなテーマとなっている。一般的なSF/ファンタジイでも同様のテーマはあるのだが、シェパードの緻密な文体と設定のユニークさが相まって、ヴァリエーション豊かな物語を読むことができる。

《グリオール》にはこの他に2作のノヴェラ、1作の長編がある。本書は内容、翻訳、イラスト/デザイン、解説を含め大変素晴らしい出来なので、続巻を願いたいところだ。


2018/9/16

高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』(東京創元社)

高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』(東京創元社)

Cover Illustration:加藤直之、Cover Design:岩郷重力+T.K

 第5回創元SF短編賞(2014年)を受賞した著者の初作品集である。創元SF短編賞は、(短編が対象なので)受賞作だけでは本にならない。にもかかわらず、豊作だった第1回(松崎有理、宮内悠介、高山羽根子)は別格としても、単行本デビューする作家が何人も出ている。各受賞者の書き続ける能力、サポートする編集者に恵まれているからだろう。高島雄哉は1977年生まれ、東大理学部と東京藝大美術学部を出た異色の経歴を持つ作家である。アニメのSF考証家としても活躍中。

 ランドスケープと夏の定理:主人公には天才的な物理学者の姉がいる。実験の行き違いから疎遠になっていた姉から、3年ぶりに呼び出しがある。宇宙にあるラグランジュポイントL2に浮かぶ実験施設での協力を求められたのだ。ベアトリスの傷つかない戦場:主人公は北極圏共同体にある北極圏大学に社会人留学し、自身の研究テーマを進めている。しかし、北極の権益をめぐる国際情勢が緊迫し、大学を巻き込んだ事変が発生する。楽園の速度:2年後主人公は再びL2に赴く。ここにある巨大な計算資源を使って懸案の〈理論の籠〉を翻訳しようとしていたのだ。だが、L2で思いがけない大事故に遭遇する。

 日本で(現時点での)ハードSFの書き手というと、谷甲州、山本弘、野尻抱介、林譲治、小川一水あたりだろうか。そういった諸作家と比べると、高島雄哉はもっと理論のエッジに寄った書き方をする。本書の中には素粒子を停止させる〈量子ゼノン効果〉とか、全ての知性の互換性を証明する〈知性定理〉、宇宙をその内部に持つ〈ドメインボール〉、超未来に至る理論のすべてを包含する〈理論の籠〉などが登場する。こういうイーガン的なアイデアをメインに据える作家はこれまでいなかった。違いもある。あとがきによると、イーガンの『万物理論』を読んで、世界を理論的に構築していく手法には感心したものの、登場人物の描き方に納得がいかなかった、とある(否定しているわけではない)。そこで、イーガンが書かなかった登場人物として、天才科学者の姉や、主人公の分身である妹が生まれてきた。

 姉に振り回される弟(主人公)、姉のパートナー、弟の分身である妹、パートナー人工知能、主人公の指導教授と、主な登場人物は女性。主人公は紛争を契機に作られた北極圏共同体の国籍を持つ北欧人(日本国籍ではない)だが、人種や性差を思わせる描写はほとんどない。大学が舞台のためか、機本伸司の『神様のパズル』を思わせる部分もある。登場人物が国家や組織を超越して世界の危機と直結するなど、かつてのセカイ系的でもある。ある意味ハード・セカイ系小説なのかもしれない。


2018/9/23

ジェイムズ・グリック『タイムトラベル 「時間」の歴史を物語る』(柏書房)

ジェイムズ・グリック『タイムトラベル 「時間」の歴史を物語る』(柏書房)
Time Travel a History,2016(夏目大訳)

装丁:原田光丞、装画:松橋泉

 著者のジェイムズ・グリックは、邦訳もある『カオス 新しい科学をつくる』(1987)などで知られるベテラン作家、科学史家。著作は少ないが、ポピュラーサイエンスの世界的なベストセラー作家でもある。さて、標題が『タイムトラベル』あるいは『タイムトラベラー』と付く作品は極めて多い(『タイムマシン』に広げるとさらに多い)。映画やコミックまで併せると、凡百無数にあるといってもいいくらいだ。科学解説書だけでも、時間論を専門とする青山拓央の『タイムトラベルの哲学』(2002)、時間旅行の規則を旅行案内風にまとめたブルーメンタール他『タイムトラベラー2038年』(1988)、タイムマシンの理論を説明するマレット『タイム・トラベラー』(2006)など、いくつかの切り口で書かれたものが出ている。しかし、ウェルズ以降のSFを含む文芸作品(ヴォネガット、ボルヘス、プルースト、ナボコフ、ハインライン、アシモフ、ディック、フィニイ、ル・グイン(ル=グウィン)、ギブスン(ギブソン)、村上春樹やチャールズ・ユウ。マイナーなカミングスやラインスターにも言及あり)を、哲学や科学と有機的に関連付けて網羅した、本書のような著作はこれまでなかった。

 意外なことにウェルズが『タイムマシン』(1895)を書くまで、人々の関心が未来や過去に向くことはなかったという。そんなことはない、別の時代に転移する物語はたくさんあったと指摘はできるが、それらは空間的に(風俗だけが異なる)別の地域を描いているに過ぎないのだ。今も昔も変わらないのだから、時間に意味などなかった。ウェルズの描く未来は、現在とは全く異なっていた。『タイムマシン』誕生以降、はじめて「時」の存在が明確になる。20世紀になると、時空連続体の考えが生まれる。やがて時間/タイムトラベルの問題は哲学者を巻き込んだ論議を呼び、時間旅行に伴う矛盾は新たな物語を生み出していく。

 18世紀に書かれた未来予測小説の舞台は未来ではなく、批判や風刺を目的とする、当時の政治や宗教を敷衍したものだった(そんなレベルの小説は今でもある)。それが、マーク・トゥエイン『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889)では、過去に現在の知識を持った男がタイムスリップして大成功するという元祖なろう系小説となっている。それぐらい、19世から20世紀にかけてはテクノロジーによる社会変化が激しかったのである。そこでは「時」が重要になる。百周年を祝うこと自体、19世紀末に初めて出てきた概念なのだ。ウェルズの投げかけたアイデアは作家たちに引き継がれていく。たとえば、ガーンズバックの創刊したパルプ・マガジンの中でも、タイムパラドクスにまつわる様々な議論が読者から寄せられたりした。

 ニュートンの絶対的な時間は、アインシュタインによる相対的な時間に置き換えられる。確定的な宇宙は量子の不確定性により確率的になり、1つの時間線が無数の可能性の宇宙へ、並行宇宙へと広がっていく。タイムマシンはホーキングの時間順序保護仮説や、ワームホールを使った実現性まで論議が進む。ゲーデルは、ルディ・ルッカーにタイムパラドクスの不可能性を述べたという。本書の面白いところは、そういった科学的な論議と、われわれの持つ時間感覚の重要な要素「記憶」に、フィクション=物語を結び付けた点にあるだろう。人間の記憶は物語とよく似ている(逆に、物語が記憶に似ているともいえる)。曖昧で離散的な記憶は、物語になることで明確化されるのだ。象徴的な作品としてフランス映画『ラ・ジュテ』も紹介されている。


2018/9/30

カート・ヴォネガット『カート・ヴォネガット全短篇1』(早川書房)

カート・ヴォネガット『カート・ヴォネガット全短篇1』(早川書房)
Complete Stories,2017(大森望監修、浅倉久志・他訳)

装画:和田誠、装幀:川名潤

 創元がバラードなら、早川はヴォネガット全短篇(というわけではないだろうが)。昨年アメリカで出たばかりの『ヴォネガット全短篇』を4分冊とした1冊目にあたる。ヴォネガットが短編を書いたのは1950-60年代に限られ、生前2冊の短編集しかなかったのだが、死後未発表の作品(短篇集3冊分)が大量に見つかったことで、面白さが再評価されている。すでに多くは個別の作品集として紹介済みだ。『全短篇』は未完のものを除く全98編を新たにテーマ別に編み直したもの(研究者ジェローム・クリンコウィッツとダン・ウェイクフィールドによる解説付き)。未収録の5作も含まれる。これまでとは異なる視点で楽しむことができるだろう。

 セクション1 戦争:捕虜がチェスの駒になる「王様の馬がみんな……」、ウクライナの母親からアメリカの父親への手紙「人間ミサイル」、中古のクルーザーを買った退役軍人が田舎町で見た記念碑「ジョリー・ロジャー号の航海」、元妻に再会した男が渡すお土産「バコンボの嗅ぎタバコ入れ」、世界陸軍がタイムマシンで出撃した先にあったもの「審判の日」、戦後隠れ続けた少年と老人「ハッピー・バースディ、1951年」、少年が森に仕掛けた罠「一角獣の罠」、ありえない目標を掲げた研究所の顛末「追憶のハルマゲドン」など19編。セクション2 女:プレイボーイを翻弄する女「小さな水の一滴」など2編(第2分冊に続く)。

 戦争編に含まれる作品は、同じ設定(同じ物語もある)で書かれたものが多い。「記念品」「あわれな通訳」「バターより銃」「明るくいこう」「略奪品」「サミー、おまえとおれだけだ」「暴虐の物語」などだが、バルジ作戦中に捕虜となった自身の体験が反映されている。収容所内での乏しい食料やタバコを奪い合う醜態や、ドイツ降伏後看守の去った収容所を出て、ソ連軍から逃げたり略奪品を奪い合う滑稽さが、さまざまに描かれている。

 本書の各セクションとも、前半が既発表作、後半が未発表作となっている。小説としての面白さ、出来不出来に差はないが、どちらかといえば後半の方がよりシニカルなお話が多いように思われる(発表しなかった/できなかった理由は定かではない)。半世紀どころか60‐70年近く前、当時ヴォネガットは一般読者向けの大判スリック雑誌を活動の舞台としていた。本書を読んでいると、そういうやや保守的+やや懐疑的な(今や失われた中産階級の)価値観、倫理観の中で、ヴォネガットの描く人物たちが読者の共感を呼んでいたのだと納得がいく。