著者の高木刑は1982年生まれ。昨年出た『SFの書き方』に実作例として初登場、「ゲンロン 大森望 SF創作講座」第1期(2016年度)のエース級でもある。本作は受賞作品を大幅に改稿した決定版のため、出版までに相当の時間がかかった。八島游舷はカクヨムやエブリスタなどで作品を発表する傍ら、今年の第5回星新一賞でグランプリ「Final
Anchors」と優秀賞「蓮食い人」をダブル受賞してデビュー。ただ、星新一賞は文藝新人賞とは性格が異なるので、今回が本当の意味でのデビューかもしれない。また、ゲンロン第2期(2017年度)の受講生でもある。両者ともゲンロンなのだが、この講座がこれまで日本になかった、クラリオンワークショップ型の実作重視である点が、優れた才能を呼び込むきっかけになったのだろう。なお本稿は前者を電子書籍版、後者を紙版で読んで書いたものである。
ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地:異星の荒野に十字架が立てられている。そこに磔にされているのは、イエスではない異星の何かだ。これは奇跡なのか。時は17世紀、ポルトガル沖に来訪した異星人の力を借りて、修道士たちは生き物の存在しない惑星に植民している。物語はバチカンから派遣された奇跡調査官が遭遇する、奇怪なできごとを中心に描かれる。
天駆せよ法勝寺:30億仏教徒の祈りを祈念炉に収めた巨大な九重塔は、それ自体が一つの寺院であり、佛理学を極めた宇宙船でもあった。折しも法勝寺は、39光年の彼方にある持双星にある大佛ご開帳に合わせて宇宙に飛び立つのだ。しかし、一行にはもう一つ重要な任務が課せられていた。その同乗者を巡って、寺の行方にはさまざまな障害が立ちはだかる。
カトリックの修道士と佛教の宇宙僧という違いがあるが、ある意味よく似た構造を持つ2作品といえる。40数か所にも及ぶ聖書等からの引用を鏤めた前者と、佛教用語をハードSFの疑似科学用語のように鏤めた後者は、どちらも読者をめまいに満ちた迷宮へと導く。ストーリーの組み立てやアイデアの生かし方など、基礎的な部分で危うさが見られないのは、実作を大量に書く講座によって培われた実力だろう。
「ガルシア……」は、冒頭部分からハリイ・ハリスン「異星の十字架」かと思ったのだが、宗教色よりも観念性が際立つ作品である。荒れ果てた砂漠の惑星は、人の思念を反射するソラリスの海でもある。「天駆せよ法勝寺」は必ずしも新味のないストレートなお話に、マジックワード(大半の人にとって意味不明の佛教用語)を塗すと、まるでハードSFのように見えるという錯覚を逆手にとった作品だ。「SF的なるもの」に対する、ある種の批評ともなっている。何れも発想がユニークである。
ところで、この2作(特に後者)を読んでいるとクリス・ボイス『キャッチ・ワールド』を連想する。一見宗教的なもの、科学的に見えるものが、視点を変えたとたんオカルトめいた禍々しさを曝け出す、そんな迫力を産みだしているからだ。