2018/6/3

飛浩隆『ポリフォニック・イリュージョン』(河出書房新社)

飛浩隆『ポリフォニック・イリュージョン』(河出書房新社)

装幀:水戸部功

 『自生の夢』は日本SF大賞史上初となる、同一著者2度目の受賞作品となった(1度目が第26回『象られた力』、2度目の第38回が『自生の夢』)。本書はこれを契機に、初期作品集+解説(作家・作品論)、エッセイ類+インタビュー、受賞挨拶等を集成したハイブリッド作品集である。このうち分量的に半分は6作の初期短編が占める。これらのプロ書籍への収録は今回が初(『星窓』が入っているが『自生の夢』収録のremixed versionではなく原型版である)。過去にファンジンに寄せた、著者自身による解題も併録されている。

 第1部では、デビュー作となった「ポリフォニック・イリュージョン」(1982)、著者自身が異色作とする「異本:猿の手」(1983)、著者の根源的関心に対する萌芽が見られる「地球の裔」(1983)、はじめて読者の反響を得た「いとしのジェリイ」(1984)、それを発展させた「夢みる檻」(1986)、ボブ・ショウのスローガラスをイメージした「星窓」(1988)を収める。第2部では、著者に多大な影響を与えた『マインド・イーター〔完全版〕』の解説「人と宇宙とフィクションをめぐる「実験」」(2011)、野尻抱介の作家論ともなった「SF散文のストローク」(2004)、『クリュセの魚』を分析した解説「火星への帰宅」(2016)、独自の解釈で迫る「『シン・ゴジラ』断想」(2016)などを収める。第3部では、ファンジン科学魔界(著者も会員だった)掲載の巽孝之らとの座談会「レムなき世紀の超越」(2006)、佐々木敦による「飛浩隆Eメール・インタビュー」(2009)、香月祥宏によるインタビュー「読者の心に歯形をつけたい」(2008)などを収める。

 20世紀に書かれた著者の上記6作を含む中短篇10作は、SFマガジンに掲載後書籍にまとめられることはなかった。それが、世紀末/初の2000年から01年にかけて『神魂飛浩隆作品集全3巻』としてファン出版される。自費出版ならともかく、現役プロ作家の作品集(事実上の全集)をファンが出すケースはあまりない。それだけ、地域のファンに親しまれた作家だったといえる。著者は当時10年近く沈黙しており、これらを商業出版できる見込みはなかったのだ。とはいえ、そういう形での活性化が、長編『グラン・ヴァカンス』(2002)や、既存作を加筆修正した短編集『象られた力』につながっていく。

 第2部には「私の最上の作品と肩を並べるか、見方によっては凌いでいる」(著者まえがき)とまで書く解説(作家論・作品論)が収められている。著者の評論は独特で、読んでいるとまるでTEDのプレゼンを聴いているような気分になる。目の前で直接語られ、読み手側に高揚感が生まれるのだ。これが著者の言う、作家ならではの視点なのだろう。この他に自治労関係の機関紙やWebに掲載された書籍紹介エッセイ、帯の推薦文、日本SF大賞の選考委員だった際の選評が掲載されている。第3部は上記インタビュー類の他では、受賞挨拶や物故作家に対する弔文が含まれている。

 本書の体裁は、まるで「生前遺稿集」のようだ。寡作な著者が書いた細々とした短文まで網羅されているので、よけいそう見えるのだろう。とはいえ、読んで見ると現在の飛浩隆と直結する発言や、近いうちに(?)書かれるであろう次回作を暗示する、動的/流動的な部分も感じられる。本書は遺稿ではない、マイルストーンなのだと納得できる。


2018/6/10

山田正紀『バットランド』(河出書房新社)

山田正紀『バットランド』(河出書房新社)

装丁:川名潤

 著者が2007年から14年にかけて、主にアンソロジイ用に書き下ろした作品を集めた中短篇集。冒頭の1編を除けば、すべて中編クラスである。しかもSFアンソロジイ掲載作なので、直球のSFばかりという点が共通点だろう。

「コンセスター」(2007):アメリカ永住権をエサに主人公は軍の人体実験を受ける。「バットランド」(2011):認知症に罹った天才詐欺師の男が、蝙蝠が群れを成す地下深くに設けられたニュートリノ検出装置で、遠宇宙に存在するブラックホールの信号に意味を見出す。「別の世界は可能かもしれない。」(2013):識字障害の作業員が逃がした実験用のネズミが、東京の地下空間で大繁殖する。「お悔みなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った」(2014):豊臣秀吉の中国大返しの背後には、時を操る竹拓衆の力があった。「雲のなかの悪魔」(2012):流刑星〈深遠〉は、宇宙を統べる巨大なパノプティコン・システムの一部に過ぎないのだった。

 徳間書店の専門誌〈SF Japan 2007 Winter〉、日本SF作家クラブ50周年記念『SF JACK』、SF大会で作られたプロ作家らによるファン出版『夏色の想像力』、大森望編オリジナル・アンソロジイ《NOVAシリーズ》から2編がそれぞれの発表媒体となる。

 これらの作品にはいくつかのキーワードがある。キーワードはそれが謎解きのキーであるというより、物語をドライブするある種の「乗り」である点がポイントだろう。キャロル・キングのポピュラーソング「ロコモーション」、ジャコ・パストリアス(ウェザー・リポート)の「バードランド」、アニメーションの「トムとジェリー」、ハーラン・エリスン「「悔い改めよハーレクイン!」とチクタクマンはいった」など、あえて1970年代前後のクラシックに寄せたものとなっている。巻末を占める「雲のなかの悪魔」になると、四次元構造体(テサラクト)、泡宇宙(バブル)、人類が含まれる電磁力知性体、重力を自由に操る重力知性体、それらの上位に位置する万物理論知性体が登場、果てはブラックホールのシュヴァルツシルト面に建つ絶対監視装置パノプティコンとくる。

 山田正紀の真骨頂は文体とかストーリーだけではなくて、上記のようなキーワードを操る格好よさにある。確かに登場時に比べると、読者を驚かせる意外性は薄くなったように思えるけれど、キャロル・キングやジャコ・パストリアスをこんなふうに使う作家はいない。疑似科学用語を破天荒に繰り出し、物語を爆発させる破壊力は健在だ。科学的には正しいが、面白みに欠ける作品よりはずっと良い。


2018/6/17

乾緑郎『機巧のイヴ 新世界覚醒篇』(新潮社)

乾緑郎『機巧のイヴ 新世界覚醒篇』(新潮社)

カバー装画:獅子猿

 隔月刊の新潮社電子雑誌yom yom44号(2017/6)から48号(2018/2)に連載された、『機巧のイヴ』4年ぶりの続編である。前作は5作を併せた連作短編集だったのだが、本書では1本の長編となっている。

 前作が終わってからおよそ100年後の1892年。舞台は新世界大陸のゴダム市で、折しも万国博覧会が開催されようとしている。日下國も出展を準備しており、十三層からなる壮麗な遊郭を再現する。最上層には機巧人形のイヴが展示されているが、すでに技術が失われており動かすことはできない。そこに日下人の男が通訳として赴任する。しかし男の背後にはある探偵社からの指令があり、男自身も暗い過去を背負っていた。

 AIロボットも上回る情感を有するオートマタ(からくり人形)のイヴ(伊武)と、もう一体の人形、身分を偽った探偵、奇妙な技を持つ若い大工、探偵社の黒幕、博覧会を牛耳る鉄道会社の富豪、怪しい宿の主人、技術に長けた電機メーカーの女社長と、登場人物は多彩で豊かだ。

 例によって架空の国が舞台。前作は日本ならぬ日下だったが、今回はアメリカ風の国だ。ゴダムは名称的にゴッサム・シティ(ニューヨーク近辺にあるらしい)を思わせるが、都市自体はあまり出てこない。米国民の半数が訪れたという、シカゴ万博(1893)風の博覧会会場がメインだ。シカゴ万博に絡んでは、さまざまなエピソードがあるが、猟奇的な殺人事件まで起こっている。イヴの登場する舞台としては最適だろう。前作同様、しだいに登場人物の異形さが際立っていき、どこにもない世界が浮かび上がってくる仕組みだ。

 ただ本書では主な人物は出てきたものの、物語は同時代の日下國へとまだ続く様相である。次巻を乞うご期待といったところだろうか。


2018/6/24

ニール・スティーヴンスン『七人のイヴT』(早川書房)

ニール・スティーヴンスン『七人のイヴT』(早川書房)
Seveneves,2015(日暮雅通訳)

カバーデザイン:川名潤

 リーダビリティ抜群の人気作家スティーヴンスンだが、日本では16年ぶりの翻訳になる(新刊入手できる単行本や文庫も絶版状態)。『スノウ・クラッシュ』(1992)のような、オールタイムベスト級作品を書く現役作家なのだから、ちょっと残念ではある。本書はビル・ゲイツ(リンク先は全天周動画)やオバマ前大統領らが推奨し、映画化の予定もある話題作である。

 原因不明の要因で月が7つに分裂する。しかし重力の作用で完全にばらばらにならず、お互いに干渉し合いながら細片に分かれていくのだ。やがて、破片は軌道に拡散し、地球にも降り注ぐことが予測された。地上にいたのでは人類は生き残れない。国際宇宙ステーションISSにできる限りの人を送り込み、流星雨が終わる数千年後まで生存を図るしかない。本当にそんなことが可能なのか。絶望的な状況下で人々は苦悩する。

 もともと1冊の本だが、大部のため日本では3分冊、3か月連続で刊行される。本書はその第1分冊、物語の冒頭部分にあたる。10年来の構想を基に満を持したもので、経緯は牧眞司の解説や著者の解題にも書かれている。

 天体現象による地球壊滅と人類脱出は、かつてSFの定番ネタだった。何しろノアの箱舟伝説があるのでイメージしやすい。ただ、現実的に考えて人類が素直に一丸となれるのか、一時的になれたとしても後まで続くのか、そういうポリティカルな一面まで考慮した次世代作はなかなか現れなかった(日本でなら、谷甲州の『パンドラ』が近い状況を描いた)。本書の舞台は近未来であり、恒星間宇宙船や宇宙植民地などはない。ISSも現在よりは大きいものの、テクノロジー的には大差がない。小規模のリソースと困難な状況で、いかにして人類を存続させるのかが、ISS側と地球側の科学者の視点を通じてスリリングに描かれているのだ。

 スティーヴンスンといえば、とにかく饒舌さが作風を象徴している。下記の『クリプトノミコン』など半分が枝葉の蘊蓄で満たされていた。その点本書は不要と思える部分が少なく、かなりブラッシュアップされているようだ。ところで、7人のイヴとは分裂した月のことだけではなく、未来の人類の7人の母親を表している。ミトコンドリアのイヴをたどると、現代ヨーロッパ人の母親は7人だった――そんな研究にヒントを得たのかもしれない。人類のルーツは思うほど多様ではない。タフな状況を生き残ってきたのである。