第5回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作(津久井五木『コルヌトピア』と同時受賞)。著者は1989年生まれ。受賞のコメントで「次に示すのは回想だ……目をこらすと、海岸線に自動演奏ピアノが打ち上げられているのが見えた。ピアノは全ての場所で、全ての時間で、全ての音楽を奏で続けていた……私にはそれが聞こえている。私にはそれが聞こえていた」(SFマガジン2017年12月号)とうそぶく韜晦さを見せている。この謎めいたトーンは本書の中身とも共通する。「完成度は円城塔Self-Reference
Engineに匹敵する」(SFマガジン編集長)など、審査委員から高く評価された作品だ。
主人公の父親はSF作家だったが、時代についていけず忘れられる。父親の死後、彼は未完の原稿を受け取る。そこには両親と同じ名前の研究者が、人工意識を発明する物語が書かれていた。さて、その前提としてL-P/V基本参照モデルというものがある。階層を意味するL、時空を意味するP、規模を意味するVからなり、この組み合わせで多元宇宙が記述される。階層構造は構造であると同時に素子である。これがつまり構造素子だ。主人公が存在するのはL8-P/V2であり、L7-P/V1は記述できるがそれ以上はできない。以下の物語は主にL7とL8について語られる。
検索すればすぐに分かることだが、主人公のダニエル・ロパティンや、構造素子の理論となるオートリックス・ポイント・システムはバンド名から採られた。Prefuse-73もミュージシャン名だ。他にもポーから採られたエドガー、ウィリアム・ウィルソンとかライジーアなどがあり、SFからはジェイムスン教授(機械人21MM-392)やシオドア・スタージョンとかがそのままの名前で出てくる。オーソン・ウェルズ、H・G・ウェルズ、エイダ・ラブレス(最初のプログラマー)、ロバート・オーウェン(社会改革家)は改変された歴史上の人物として登場する。本書の人物名は実在するが、すべてがオリジナルと大きく異なる偽物となっているのだ。
物語は全部で(プロローグ、エピローグを含む)10章から成る。これらの章(の和訳は)定義、バグ、人間(人間要素?)、メソッド、変数、エンジン(駆動系)、仮説、対話と名付けられておりプログラム言語を意識したような流れになっている。章の下には節があり、L8-P/V2(主人公の位置する物語の最上層)、L7-P/V1(主人公が書く物語)、仮想L7-P/V1環境(物語のシミュレーション)、実行L7-P/V1環境(成立した物語)という各層が複雑に絡み合っている。複雑といっても、L7、L8では比較的長い単独の物語が書かれていて、それぞれが難解ではない。最初のL7で構造素子が生まれ、無数の物語となる過程が語られ、やがてバグが発生して物語は変調をきたし、最終的にL8層にまで影響が及ぶ。
円城塔が純文学の世界で受け入れられているのだから、それに対抗しうる(円城塔以外の)SFでの先端はどうあるべきか。2007年以来続く、長年の課題に対する一つの回答である。物語ではSF作品が多数言及されている。ただし、現代SF100年を総括するメタSFとまではいえず、SFに限らない著者の読書体験を巧みに織り込んだ作品というべきだろう。また東浩紀が指摘するように『クォンタム・ファミリーズ』がメインの設定に影響を与えている(本書の参考文献にも含まれる)。