SFフェスティバル | |||||||||||||||||||||||||
そもそもSFフェスティバルとは何か。
これらの内容は、いわゆる地方大会であり、たとえばSFセミナー(80年以降)や京都SFフェスティバル(82年以降)、星群祭(74年以降)、また新潟のGATACON(76年以降)、名古屋のDAINACON(82年以降)、浜松のはまなこん(81年以降)などもこの範疇に入る。今日では、ローカル大会は各地に根を下ろしており、わざわざ別の名称で呼ぶ必要もないが、79年までは昔の連携の名残がSFフェスティバルの名前に残っていた。 という意味では、85年には、もうSFフェスティバルを名乗る意味など全くなかったわけである。実際、第11回(1985)/12回(1988)はその正当性(注1)はともあれ、もはや番外のSFフェスティバルであったといってもいいだろう。
それでは、なぜSFフェスティバルが開催されたか。 「DAICON開催前にSFフェスティバルをやってみるとよい」 このアドバイスは柴野拓美さんからいただいたものである。練習台というと聞こえが悪いが、実際そのような位置付けの始まりだった。しかし、大会をめぐる問題点は、規模の大小には関係がなかったことが後に分かる。 1985年の夏、神戸ではユニバーシアードが開催され、関連文化行事も多く行われていた。UNICONは文化行事(国際青年年協賛)として正式に認可されていた。そういうネームバリューを生かす意味でも、条件面では決して不利ではなかった。(注2) 注1:SFフェスティバルにも、その名を名乗るための条件があった。最初期には、SF大会と同様日本SFファングループ連合会議の席上で、SF大会とフェスとの開催場所の決定や地域割りが行われていたからである(たとえば大会が地方ならばフェスは東京など)。SFフェスティバルが地域(またはテーマ)特化するに従って、このような条件は有名無実化した。 注2:実際のメリットは、ユニバーシアードの公式ロゴマークの使用と、「協賛」と印刷物に刷り込める、というだけだった。補助金や援助などは一切ない。しかし、これを刷り込んだ名刺の威力はすさまじく(特に公共施設の役人相手には)効果があった。薄汚い学生風情に見えたスタッフでは応対もぞんざいだったが、名刺を見せると態度が激変、突然丁重になったこともある。 国際青年年協賛を示すロゴが刷り込まれた名刺 |
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